MailING!日月説法日誌

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経典の中の王様「法華経全28品」を完全に解読しよう
故はイカン

2月26日(木)のつぶやき

2015年02月27日 02時20分58秒 | 生き方

善哉善哉、と多宝佛を代わった釈迦牟尼佛  【陀羅尼品第二十六:最終回】 jouan.jugem.jp/?eid=110 #jugem_blog


【26日】のDM説法
 
『善哉善哉、と多宝佛を代わった釈迦牟尼佛』
 
第10-26日号  六萬八千人無生法忍を得たり  【陀羅尼品第二十六】<最終回>(六十二行~七十行) 
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「中国天子について   【妙莊嚴王本事品第二十七】」 goo.gl/eq7N8G


「どんなに素直で真面目な者であっても、佛の神通示現の力には適わない 【妙荘厳王本事品】」 goo.gl/KSIq0p


【27日】のDM説法  ≪妙荘厳王本事品第二十七≫
 
『どんなに素直で真面目な者であっても、佛の神通示現の力には適わない』
 
第10-27日号 第一微妙の色を成就したまえり
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どんなに素直で真面目な者であっても、佛の神通示現の力には適わない 【妙荘厳王本事品】その10

2015年02月26日 22時29分21秒 | 生活・文化
これは単なるお金に狂った大馬鹿同士の見栄の張り合い劇だと、多くの佛教信者はそのように完全に思ってもごく当たり前ではないでしょうか?
 
この法華経を初めて知る私たちの脅威の始まりは、巨大な財宝の豪華さや珍しさを最大の舞台装置として用い、そのまま誰もを佛教へ上手く関心づかせ、引導していく大胆かつ合理的な大乗精神の実現という意味を教えられたはずでしたね。
 
ところで、その大乗を初めて理解していくうちに私たちは知らぬ間に今ではもう実際の大金持ちに成れたと同じになっていたのでしょうか?
そんな思いがけない錯覚さえ覚えるほど、ただただ豪華表現を教えとして見せられながら、そのままどんどんエスカレートしてこの法華経のもうじき最終に近いこの妙荘厳王本事品に至り、最初から最後までもうこれで最高だろうと思わされるほど寝ても覚めても豪華荘厳合戦の佛と王の関係に遭遇してしまっているのです。
 
もうこれは滅茶苦茶、佛のお金好きの計り切れなさはには十分思い知らされたという感じになるのではないでしょうか?
またもしかしたら、この雲雷音宿王華智佛にしてみれば、この大馬鹿王族たちにはこれくらい大宝イメージを施しても、まだ佛教の本筋をわからない鈍感で無神経な者たちとしての制裁や他者への見せしめに活用しているのでしょうか?
 
そのどちらにしろ、娑婆世界というどちらかというと貧相に悩む国民俗たちが主流と思える性質にとって、これは実際の現実の心の哀しみのほうを醸し出させようと狙っているのかもしれません。
というのも、現実には金のない庶民の娑婆世界にとって、これでもう釈迦の大乗の話にはいい加減着いていけなくなり、限界が来ることこそ本音の心に立ち戻れるというところなのかもしれないということです。
 
ここまで聞かされたなら、もうどんな馬鹿でもまだ体が小さかった子供の頃の完璧な素直な気持ちに戻れたわい!となってしまいそうですから。
  
 
リンクHPへ ⇒ 第10-27日号  第一微妙の色を成就したまえり  【妙荘厳王本事品第二十七】(五十六行~六十一行)
 

2月24日(火)のつぶやき

2015年02月25日 02時34分46秒 | 生き方

【25日】のDM説法
 
『無盡意の共同連携か、それとも観世音の個人自立か、釈迦の重んじた個人自立』
 
10-25日号 仁者、是の法施の珍寶の瓔珞を受けたまえ【観世音菩薩普門品第二十五】
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2月23日(月)のつぶやき

2015年02月24日 02時33分59秒 | 生き方

【23日】のDM説法
 
『佛塔には舎利(遺骨)を供養するか、経巻を供養するか』
 
王家を引導しようとする佛はずる賢いと考えて良いのでしょうか?
 
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「決して万能ではない佛の力  【妙音菩薩品第二十四】」 blog.goo.ne.jp/jouan/e/ca4230…


【24日】のDM説法
 
『自国で休む暇もなく、幾つ身があっても足らないとても忙しい多宝佛』
 
第10-24日号  我今多寶如來の身を見たてまつらんと欲す 【妙音菩薩品第二十四】五十三行
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決して万能ではない佛の力  【妙音菩薩品第二十四】

2015年02月23日 14時34分58秒 | 生活・文化
佛が決して世の出来事に関してすべてには万能ではないことだとと思います。
特にお金や資産というものは神や佛がすべてを掌って運用しているのではなさそうなのです。
 
すべての最初を創造した神からすれば、あえてお金や資産作りというものは人間同士だけに任せてやらせてみようという分野としてのひとつの実験アイテムに過ぎないのでしょう。
つまり、衆生同士間に於て神や佛の加護から離れて、いかに神や佛の理想とする世の中へ近づけるかが人間のみならず衆生社会全般に与えられたひとつの修練なのだと思えます。
 
ある意味では悪徳に資金や資産を独占して排他的に支配しようと、それが悪徳であるかどうかはいずれそれが巨大化すればするほどに衆生社会だけでも判ることであり、それをどう裁くかどうかは衆生社会の方法で行うか、それとも最終的に神や佛へ裁きを委ねるのかのどちらかなのでしょう。
 
よって、佛は神に準ずると私は思うのですが、神の怒りこそ一番恐ろしいものであり、神が最初に創造した通りに行かなくなることに関して、元通りにしなければならないノルマのために佛が代わって指導に君臨するという仕組みがあると思います。
 
また、衆生がしっかり敬いの心がけを持たなければ天神の数はどんどん減って行くらしいことすら、この前の化城諭品第七にもありましたが、「苦盡の道を識らず 解脱を求むることを知らずして 長夜に悪趣を増し 諸天衆を減損す」の如くにもなるということでしょう。
なお、天上界の天神には幾つかの階級をなしているようですが、人間界に近い低い階級の天神から減損して行けば、いずれは最高驚異レベルの創造神や破壊神に人間界は到達し、直接の滅亡的な裁きに至るまでになるのでしょう。
 
 
リンクHPH ⇒ 2015/01/23/第9-24日-持つて釋迦牟尼佛の所に至り-妙音菩薩品第二十四-四十七行-五十三行/