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故はイカン

『お釈迦さまでも判らない! 法華経とは佛同士の智慧の巡り合わせ』・・妙音菩薩品第二十四(11)

2015年07月24日 11時30分13秒 | 生き方
  
妙音菩薩の多宝佛にお会いしたいという願いに対し、釈迦が多宝佛へどうするか尋ねた所、多宝佛は直接妙音に対し、善哉善哉、君は釈迦牟尼佛を供養し及び法華経を聴き、並びに文殊師利などを見るためによくぞここへ来てくれたと誉めたのでしたが、この誉め方は多宝佛自身が姿を現して見せるという段階までは至って無いようなのです。
 
それはどうやら妙音菩薩や文殊師利が多宝佛塔を崇めに来たとしても、彼らは釈迦の分身諸佛ではないからということだと思えるのであって、つまり多宝佛がその佛身を現わす条件には適っていないことを意味しているなどではないかと思えるのです。
 
つまり、結局この品の最後まで読んでも、妙音菩薩はこの娑婆世界へ来て帰った後、多宝佛塔は見たが多宝佛の姿そのものを見たとはなっていないのです。

また、今回、華徳菩薩が前触れなく突如登場して佛に対しただ世尊と呼び掛けて、この場に来た妙音菩薩についてどういう菩薩なのですかと尋ねていますが、華徳菩薩とは妙荘厳王本事品第二十七の最後の方で明かされている通り、元は妙荘厳王その者だったのであり、妙音菩薩も又、その過去の王妃の淨徳夫人だったらしいのです。
 
つまり、ここではそのかつての王家夫婦は各々に別国に所在する菩薩に変わっており、華徳から妙音を見ても過去世の妻だったとは一切記憶にないということらしいのです。
しかし、これがもし妙音が華徳と面会すれば、過去の妻の直感として夫婦であったことを思い出すのではないかという期待感が持てるようですが、どうやらこの華徳菩薩の姿をも妙音菩薩は後には見たことになっていないのです。
 
つまり、今回この華徳菩薩と佛とが話している最中、その華徳の姿は妙音からは見えていなかったということになるようです。
 
よって、見えなかったということは、この華徳菩薩と佛とは恐らく多宝佛塔の中に居たのではないかということになりそうなのであり、この佛とは多宝佛である可能性が非常に高まってくるのです。
 


本日の参照HP⇒http://jouan167.jimdo.com/2015/03/24/第11-24日号-vol-300-萬二千歳に於て-十萬種の伎樂を以て-妙音菩薩品第二十四-六十行-六十六行/