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故はイカン

国上寺渋谷住職さんの法話術

2012年11月06日 23時41分11秒 | まちづくり
今日は、地元の街、分水公民館で開かれた国上寺の渋谷住職さんの法話講演会を聞きに行きました。
渋谷住職さんをご拝見できたのは初めてでしたが、ご老人ばかりの集まりで「つばめ目耕会」という垂れ幕があり、「いのち」という題名でした。
良寛さんの話題は残念ながら出なかったのですが、私は国上寺の歴史が知りたくて少し遅刻して参加しました。
地元の方言を上手くおかしく使う住職さんの話し振りには聞いている誰もが全く退屈しません。
近頃は、学校の先生などが生徒を教える言葉がどうしても味気なく思えて、日頃私は何か物足りなく思えているのです。
ただ、知識をそのままの用語で教えても先生と生徒とで全く同じ知識の同等な共有者となるだけに思え、先生の存在価値観というものが失われるようで虚しく思えます。
住職さんの話し方は通常の住民感覚でありながらも、本当は使いたくない庶民的方言を意図的に使って笑わせます。
それが本当の習慣や癖だったらつまらないと思いますが・・・・。
何気ない方言らしい表現用語から、そのまま歴史背景や鮮やかに伝わってきて、失礼かもしれませんが話の内容よりも座を盛り上がらせることのほうがずっと過去の歴史や今の社会問題の意味が浮き出てきて分りやすく感じられます。
習慣的に使っている方言を、あえて意図的に表現してみるところに住職さんの素晴らしさと冴えが伝わってきます。
話の内容の受け取り方は各々でも、全体が同じ一体感覚で集えるという素晴らしさは末永く残していきたい郷土のかけがえのない風土だと思います。
宗派や人生観の違いを超えた素晴らしい説法だったと思いました。
きっと、良寛さんもそんな環境で修行したのでしょうし、今も昔もそのままで、長い人生経験者の皆様には何ら変わりはないのだと思います。
最後に、今の自分はまだまだ未熟者だと自分で思える人こそ頭の賢い人間なのだという教えにはまったく感動しました。