MailING!日月説法日誌

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故はイカン

良寛さんは偉い

2012年08月18日 11時40分00秒 | まちづくり
良寛さんはどういう功績のあった人だろう。
乱世の幕末の世に日本中の坊さんの集大成をしたかのような大人物であることは何となく知っているが、何か特別な仏教のあり方や生き方を詳しく後世へ残した人でもなさそうだ。
平凡すぎる人、そして平凡だからこそ貴重な人物だったということが窺える。
どんなに有能になろうと平凡な個人の人間として過ごす、これを貫いた貴重な人生と言うべきか。
号は大愚、辞世の句は「散る桜 残る桜も 散る桜」
これは神風特攻隊の心情になぞらえた歌としても著名らしい。
良寛さんがよほどいさぎ良い割り切り肌の性格だったらしいことはまざまざ感じるが何と哀しい人生を物語る歌だろう。
良寛という名前は鎌倉時代の日蓮聖人に対する鎌倉第一の大敵だったとも知られる坊さんも漢字は違うが良観という名だった。
良寛さんと共に江戸幕府は衰退しだし、良寛さんの死後翌年に天保の大飢饉が起こり全国一斉に百姓一揆が相次ぐ中、一気に江戸末期を迎えた。
私のかつての古い先祖も良寛の過ごした国上山近辺の農村で暮らしていた。
しかし良寛さんと共に過ごしていたことは今ではほとんど伝わってはこない。
相当な庶民的であったと知られる良寛さんだが、その伝え話が今のこの地域の居住民には実感としては何も残っていない。
今残るのはただ住んでいたとされる五合庵の建物がひっそりたたずむのみである。いかにこのあたりのその時代の庶民層の生活観とは大きく食い違っていたかが窺える。
良寛さん自身は地域の大きな土木事業などにも積極的に着手したそうで、盛んに動き回ってもいる。そこには大層のんきに貧困に耐えて暮らしたという状況と大きく対比する二面性があるのだ。
坊さんらしからない実態も意外と記録されているのである。
良寛さんは大層恵まれた家柄の生まれでもあったということだが、そんな人があえて苦境な人生を生き抜いたというところに大きな論点が生ずる。
良寛さんへの莫大な評価はそんなところにあるに違いない。
書が達筆で大層優れた方だったことは間違いないのだろうが、無縁孤立な人生を選んだのは相当意味深いことであり、通常の人間にはあまり知られていない意味のようだ。
今一度、個人的にじっくり良寛さんの不思議を考えてみたい。
現代の人類にかけがえのない事実を残している、それを知ることが現代を最大に救うことにつながるのではないか、ふと思ったのだ。

屋外を裸足で

2012年08月05日 21時50分08秒 | 日記
夕飯を食べた後、少し散歩することが日課です。
今日も暑くて夕涼みを楽しみにしてました。
しかしサンダルで指が摺れてしまい、人も見てないからそのまま裸足になって帰ってきました。
なんて気持ちがいいことでしょう。
幼い保育園の頃は外の砂場では裸足で遊んで足洗い場なんてものもありました。
小学校も体育館やグランドでは裸足が通常でしたよね。
そんなことがひょんな懐かしさですね。中学校以来はすべてズック履きだったし、大人になったと思ってもなんだか親近感が薄れてしまってます。
私たちが小さい頃は付近の田んぼでは素足で入って作業が標準スタイルでしたが、今はもう見られません。
大事な文化が終わってしまったようでもの哀しいです。今でも体育館をズック履きが常識というのを誰か変えてくれないかなと思ったりします。
人の気持ちってそんなことぐらいですぐ昔に戻ったりしませんか?
今日は裸足で歩いてきたせいか、とても足がすがすがしく感じます。
皆さんもお試しあれ・・なんて自己満足しながら、ちょっとエキゾチックの世界です。
エジプト文明最後のファラオ、クレオパトラの頃までは人類は裸足だったのかもしれない。
シーザー御前もか?裸足のままアプローチしたのか・・?