MailING!日月説法日誌

一生の宝物「法華経」の宝島の世界へあなたをエスコート
経典の中の王様「法華経全28品」を完全に解読しよう
故はイカン

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【ゼロの発見!とは?】

2018年01月09日 10時08分53秒 | コミュニティライフ
【ゼロの発見!とは?】
幸せというものは決して数値になって表れてくるものではありません。
私の言う幸せとは仏教で得る永続的な幸せのことです。
一般に理科解明に少し熟達して次から次と連続してラッキーな数値に自然に恵まれることがあります。
しかし、それは一時の喜びと共に長続きしないまますぐにまた消えていきます。
そんなささやかな一瞬の喜びとは仏よりも神の祝福に近いといえるでしょう。
それら神の祝福は事前の予感と共に物事の初心の清らかさに生じます。
しかし、誰もが幼い頃からそのような不思議なラッキー体験は幾たびか経験していることでしょう。
そして、それが長く続かないことも同じく誰もが感じていることでしょう。
その感覚の答えは移行すべき時です。
不思議と長く安定し続ける事柄に対し成人した生き物は遅かれ早かれ皆、目覚めはじめます。
それら安定がいつまでも継続的に長続きする事柄は誰もが目を見張るほど不思議な驚きに思えてくるからです。
それは滅多にあることではないことを次第に冷静に知り始めます。
そこには自身の経験した過去とこれから始まる将来の完全に未確定な要素とがバランスよく混合している状態と言えそうです。
つまり、過去と未来の分量があたかも上手く溶け合っているかのようです。
これは数値がゼロということですね。
未来予測は全くないほうが良いです!
何よりとてもバランスが良いのがゼロなのでしょう!

(ぶっけん安成)
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仏教に照らして、土地は公共的か私有的か?

2017年12月26日 15時29分39秒 | コミュニティライフ
 
土地とはそもそも公共的なものなのでしょうか、それとも民間個人の私有的なものなのでしょうか?
それらの根本を区分的に考えるには仏教に照らして判断すると良いはずです。
そもそも一言に仏教と言えど、その教えの書物には仏教経典と仏教法典とがあるのです。
つまり、「経」と「法」であり、仏の教えが書かれた物にはお経と仏法があるということです。
それを土地の区分に当てはめると、土地には第一に道が付きものです。
つまり、土地と土地は道で繋がれていますね。
ですから、その道がお経だと考えてよいのではないでしょうか。

私の長年来の研究によれば、物事の最初を考えると、土地が民間個人であり、道が公共物だと思うのです。
ところで、土地が最初にあったから道が出来たのでしょうが、仏様とお経はどっちが先に存在したのでしょう?
私は仏様が先だと思うのですが、仏様には様々な種類と教えがあります。

しかし、どの仏様も大事に活用して守っているのはお経なのです。
つまり、どんな仏様にとってもお経は共通で最高の教科書なのです。
そのように、仏様とは各々の土地のように独自性に近い発想による教えで成り立っていると思います。
それら様々に個性ある仏様と仏様を繋げている共通のルールはお経であり、それが道なのだと思います。

ですから、仏法を目指して歩んでいくことを仏道とも言いますが、仏道とは自分で修行して歩むためのお経を基本とした道の作り方と考えられるのです。

どうでしょうか?
土地は建築よりも民法で出来ていると思いますし、道路は公共のルールに基いて出来ていると考えてほぼ良いのではないでしょうか?

(ぶっけん成安田)
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無縁坂での大きな悟り

2017年12月09日 22時46分58秒 | 生き方

その人の人生にとって最も重要な物事を決定できるまでの時間として少なくとも2年間くらいは誰にも必要ではないかと私は強く想ってきました。
どんな重要なことであろうと何でもかんでも最短の速さで決定して他人と約束しなければならない日常の習慣、そんな習慣こそ辛すぎる人生なのではないでしょうか?
しかし、それがそれほど辛いどころか逆に生きがいでしかなくなるような・・・そんな人生があなたのほんの周りの日常にあるとしたら、きっとそれが無縁坂の母の人生ではないかと思います。
 
人生で大事なことには慎重に十分な時間を使いたい・・しかしそれが現実的ではないならば、きっとそれがお釈迦様の生涯だったような気がします。
本当は寂しすぎる生涯を静かに閉じた、それが本当のお釈迦様だったと想えたら、お釈迦様の本当の気持や姿が本当に見えてくるようです。
 
お釈迦様は産まれたほんの1週間後に母親を亡くされたそうです。
だから、お釈迦様は自分のお母さんの顔を憶えることすらできなかったまま生涯のほとんどの時間を産んでくれたそのお母さんに捧げた悲しさだったように想えます。
 
お釈迦様が35歳頃になるまでに絶えず苦悩し、一番解明したかった大きな疑問とは、この哀しみのことだったように思えてまいりました。
ところで、法華経の中でお釈迦様が弟子や修行者たちへ力強く話されている内容とは、お釈迦様がこの35歳の大吾を超えられた後の完成された真実の知識であるようです。
ですから、頑張れる人間としてどんな苦しみにも耐えれる生きがいを持つようになるまでには少なくとも数年間連続するとても辛い悩みの期間は誰にも必要であったと思います。
されど、他人にはどういう訳かほとんど解かっては貰えないほどのこの苦悩の期間とはあえて教える必要はない期間であるのかもしれません。
 
(ぶっけん成安田)

https://www.youtube.com/watch?v=EgepNVZSPC4
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ネットとその内部と外部の関係

2017年12月07日 14時25分41秒 | 生活・経済


法華経の僅かな一偈一句にも一つ一つの技が詰まっています。
その一日一つ一つの技を磨き、1ヵ月28品の一偈一句を続ければ28の技が身に付きます。
それを1年間続ければ336、3年続ければ1008もの技を修得できると思います。
そして、その一つ一つの技が更に重なり合い、つながり合って、また新たな技を生み出します。
それが広がって行って大きなネットを作り出します。
これが最も古典的で、かつ外部からの攻撃侵入を防止するために張られたネットそのものなのです。
 
ネットとは情報の普及を図るだけがメインではありません。それよりもかえって防衛に適ってこそネットと言えるでしょう。
だから、ネットとは無闇に外部侵入を取り込むのが目的なのではなく、逆に外部侵入を感知し跳ね返すだけの弾力性と柔軟性が生命なのです。
 
ところで、ネットとはそれが包み込む内部に重要な内容があるからこそ、それに対して外部を防衛しているためにあるのです。
つまり、ネットを挟んでその内部と外部が存在するのです。
ネットの内部はその外皮であるネットを打ち破って外へ出ようとする内圧のエネルギーを秘めており、また、ネットは外部からの外圧のエネルギーに対する防衛膜としての刺激を受けています。
 
つまり、ネットの外部も外圧としてネットを刺激することによりネット組織を強化させ形作らせている役割を持っていると言えるのです。
さて、この内部とネットと外部、あなたが成るのはどれですか?
 
⇒ 第8-7日 Vol.203  一び座して十小劫 【化城諭品第七】(四十二~四十七行)

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多宝仏の物質資産と釈迦仏の広大さ〈妙音菩薩品〉

2017年11月25日 12時39分39秒 | コミュニティライフ
王と菩薩の関係が気になるところです。
薬王菩薩や文殊師利法王子菩薩、宿王華菩薩などはその名前からして王や王子に関係した菩薩のようですね。
それらの菩薩は釈迦牟尼仏よりも多宝仏に関連しているように思えます。
そして、それらの王関係の菩薩は多宝仏を通じて釈迦牟尼仏の娑婆世界に集められたように思えます。
その娑婆国へ更に浄華宿王智仏の浄華荘厳国から妙音菩薩が呼び出されてくるのが今回のシーンです。
その娑婆国には多宝仏も釈迦牟尼仏と一緒に待っているのです。
 
これらは一体何のための大規模な調整なのでしょうか?
幾つかの現役王家一族の財宝保存の仏道信者たちが元王だった釈迦牟尼仏を中心に王族としての合同対策会議を計画し出したのでしょうか?
 
(ぶっけん 成安田)
 
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