初夏を彩るマーガレットが清楚に咲きそろっています。この日は28度まで気温が上がって夏の陽気となりました。子どもたちは会場のメイン舞台とは別のサブ舞台でずっと続けられていた「ダンス競演大会」で幼稚園児と思われる小さい子から、高校生まで思い思いのダンスを披露して汗を流していました。メイン舞台では記念式典に続いて、1895年農民軍の指導者たち(5名)が逮捕され、当時のソウルに連行され裁判を受ける場面を再現した寸劇や、パンソリなどのステージ、太鼓のセレモニーなどこちらも多彩なプログラムが続きました。ところで「甲午農民戦争」と呼ばれるようにこの農民たちの戦いは文字通り官軍(+日本軍)と農民たちの血で血を洗う戦争でした。実際は竹槍、旧式の火縄銃の他には斧や鎌など農機具くらいが武器のせいぜいだった農民軍に対して、特に日本軍は連発式機関銃であるガトリング銃などを活用して大殺戮を行うというむごたらしい場面もあったと言われています。農民軍の死者は全国で20万人から30万人といわれるくらいおびただしい犠牲を伴いました。写真には竹を編んで作った銃弾除けのチャンテと呼ばれる道具やそれが登場するレリーフも見えます。農民が信じていた東学という宗教では銃弾に倒れても天の国に行けるから恐れることはないという信念を持たせたといいますが、特に日本に対しては豊臣秀吉の侵略以来の再侵略と映っただけに、絶対に引き下がれないという思いの強さが想像できます。行事の終りのほうで5月11日にちなんで511人のパフォーマンスという行進が行われました。当時の農民軍の行進を思わせる行列に感動しました。あの時も農楽隊が戦いの戦闘に立って皆を鼓舞していたと言います。日本でもかつて歌舞伎役者などは卑賎な身分と考えられていましたが、朝鮮でも芸能に携わる人は賤民に区分されていたそうです。そのような身分の人たちが戦いの最前列で自分たちの身分解放を唱えて戦ったという面もこの戦争で見逃せない面です。かつて日本でも「一向一揆」というのがあって信長や家康を手こずらせ、100年近く北陸地方などを自治支配したと聞きました。同じく宗教を背景に持つ農民の戦いを比べてみるのもおもしろいかもしれません。
初夏を彩るマーガレットが清楚に咲きそろっています。この日は28度まで気温が上がって夏の陽気となりました。子どもたちは会場のメイン舞台とは別のサブ舞台でずっと続けられていた「ダンス競演大会」で幼稚園児と思われる小さい子から、高校生まで思い思いのダンスを披露して汗を流していました。メイン舞台では記念式典に続いて、1895年農民軍の指導者たち(5名)が逮捕され、当時のソウルに連行され裁判を受ける場面を再現した寸劇や、パンソリなどのステージ、太鼓のセレモニーなどこちらも多彩なプログラムが続きました。ところで「甲午農民戦争」と呼ばれるようにこの農民たちの戦いは文字通り官軍(+日本軍)と農民たちの血で血を洗う戦争でした。実際は竹槍、旧式の火縄銃の他には斧や鎌など農機具くらいが武器のせいぜいだった農民軍に対して、特に日本軍は連発式機関銃であるガトリング銃などを活用して大殺戮を行うというむごたらしい場面もあったと言われています。農民軍の死者は全国で20万人から30万人といわれるくらいおびただしい犠牲を伴いました。写真には竹を編んで作った銃弾除けのチャンテと呼ばれる道具やそれが登場するレリーフも見えます。農民が信じていた東学という宗教では銃弾に倒れても天の国に行けるから恐れることはないという信念を持たせたといいますが、特に日本に対しては豊臣秀吉の侵略以来の再侵略と映っただけに、絶対に引き下がれないという思いの強さが想像できます。行事の終りのほうで5月11日にちなんで511人のパフォーマンスという行進が行われました。当時の農民軍の行進を思わせる行列に感動しました。あの時も農楽隊が戦いの戦闘に立って皆を鼓舞していたと言います。日本でもかつて歌舞伎役者などは卑賎な身分と考えられていましたが、朝鮮でも芸能に携わる人は賤民に区分されていたそうです。そのような身分の人たちが戦いの最前列で自分たちの身分解放を唱えて戦ったという面もこの戦争で見逃せない面です。かつて日本でも「一向一揆」というのがあって信長や家康を手こずらせ、100年近く北陸地方などを自治支配したと聞きました。同じく宗教を背景に持つ農民の戦いを比べてみるのもおもしろいかもしれません。