ソウルの空の下

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きのうはハングルの日

2014-10-10 10:10:15 | インポート

Photo10月9日は568年前に訓民正音の名でハングルが公布された記念日、ハングルの日でした。写真は1933年に発売された最初のハングルタイプライターです。文字の形に味わいがありますね。せっかくの重要な記念日ですが、1990年から「産業発展のためには休日を減らそう」という政策から長く祝日から除外されていましたが、おととしから復活して全国で様々な記念行事も行われたようです。由緒ある民族固有の文字ですが、全体の単語の中で漢字起源の言葉で、文字だけをハングルで表している単語が60%近くあったり、専門用語の90%が漢字語だったりという現実があります。街を歩いていても英語だけの看板もずいぶん目立ちます。これは地域によってもずいぶん差がありますから、江南などに行けば外国の町にいるようだと思えたり、逆に仁寺洞の道を歩けば、おしゃれなハングルの装飾文字が目を楽しませてくれます。カフェの名前も「この辺り」とか、「何が心配なの」なんていうハングルならではのセンスを感じさせるものにも出会えますね。慣れない人にはハングル酔いをもたらすとか言われますが、新しく開館した「国立ハングル博物館(4号線イチョン駅下車 国立中央博物館となり)」に出かけて、ハングルという文字の魅力を見直してみてはいかがでしょうか?


文化の季節

2014-10-01 11:01:30 | インポート

Photoこれも10日ほど前のことになりますが、東福寺の裏手の山の方にある「京都国際学園」の文化祭を見に行きました。ネットで見るとバス停から徒歩20分とあったので(しかも上り坂)恐れをなして車で行くことにしました。正解でした。道を登りながら、この道を毎日通う生徒や先生もいるでしょうが、相当な運動量になって健康増進には良い環境だなあと思ったものです。さて、学校の沿革によりますと、国際学園は今から56年前に京都韓国学園として設立されたそうです。初めは中学校だけだったのがやがて高校も設置され、2004年からは学校教育法の第一条に規定されている学校として再出発するようになりました。現在在日韓国人生徒が65%、日本人生徒が25%、さらに韓国から親の仕事の関係で日本に住むようになった生徒など、韓国人生徒が10%という比率だとか。授業は日本語で、文科省の定めるカリキュラムに沿って進められますが、それ以外にこの学校ならではの特色ある文化、国際教育も含まれるようです。

Photo_2その一端が見られたのが、文化祭で発揮された生徒たちのパフォーマンスでした。写真の「三面太鼓」などはずいぶんレベルの高いテクニックを見せ、雰囲気も韓国の伝統文化の息吹を十分に感じさせてくれるものでした。学内の多くのクラブ活動のうち、舞踊部に所属する生徒たちだそうです。中学2年生たちの演劇「沈清伝」は、朝鮮の代表的な古典文学で、パンソリやオペラなどでも知られています。生徒たちが難しいセリフをよく覚えて一生懸命な姿が、劇中の主人公「沈清」の姿に重なって健気に見えました。歳とともに涙もろくなってきたのか、思わず目頭が熱くなったものです。昼時にはチヂミやトッポッキ、ピビンパなどのコーナーで腹ごしらえをして、野外舞台のカラオケ大会の熱演なども楽しめました。

先生のお話によれば、最近はK-POPにはまって韓国文化に興味を持つようになった日本人学生も入学するようになったとか。そんな生徒が増えてくれば、将来の交流にも大きな力となってくるでしょうね。10月19日には「京都コリアフェスティバル」というイベントが開かれる予定で、韓国からK-POPグループの公演もあるそうです。もう少し先の11月2日には、これも長い歴史があって今年で22回目を迎える「東九条マダン」が元・山王小学校で行われます。様々な民族が共に主体的にまつりに参加して、真の交流を創り出すという趣旨で、多彩な公演や遊び、もちろん露店などもたくさん出店してにぎやかに秋の一日を彩ります。京都芸術センターでは韓国茶道と伝統芸能を楽しむというイベントもありますよ(10/25)。詳しくはセンターのホームページをご覧ください!


思い出横丁にて

2014-09-28 13:44:38 | インポート

Photoもう二週間前くらいになりますが、今回年末に出版される本に関連して、話の舞台になる会社を訪問しました。書き始めた当初から資料の提供や、関係する方へのインタビューなどでお世話になったものですから、出版の目途が立ったという報告を兼ねてお礼の挨拶をしようと思ったからでした。また出版社としても営業上の話もありそうでしたから、編集部の担当の方と同行して行くことになっていました。ところが今まで直接やりとりをしていた方だけでなく、何やら上層部の方までおいでになるということで、出版社の方でもそれに見合った役職の方までご一緒するという話になり、何だかちょっと緊張したひと時となりました。まあ、それほど大ごとになってわけではなく、良い雰囲気で無事終了。

Photo_2その後で東京に住む友人と新宿で待ち合わせしましたが、少し早く着いてしまったので、久しぶりに西口にある「思い出横丁」へと足が向いてしまいました。昔20代の頃に何度か寄り道したことがありますが、その雰囲気は少しも変わっていませんね。路地を入ってすぐのところにある一軒のお店で、喉の渇きを潤すことに(要はまだ明るいうちからお酒を飲みたかったということです)…。で、カウンターだけのその店の女主人がなかなかの美人でしたので、「松田聖子」に似ているって言われませんか?などと話を向けると、うーんと少し考えてから、「安藤美姫」には似ているとよく言われますよ、と返されました。うーん、どっちがいいかなあ。後から入ってきた外国人観光客との会話で流暢な英語を操っているのを聞くと、どうもアジア系の移住者の方と見受けました。こういうレトロでノスタルジックな場所にも国際化が進んでいるのだなあと感心しつつ、美味しい焼き鳥をほおばって至福のときを過ごしたのです。


秋夕を前に

2014-09-25 09:23:30 | インポート

Dscf0267今年の秋夕(チュソク)は9月8日で、今まで9月下旬か10月初め頃だったのに比べてずいぶん早くなっていました。陰暦で8月15日ということですから、毎年陽暦とずれていくのはわかりますが、それにしてもまだ、残暑が厳しいかもしれないこんな時期に、名節と呼ばれる行事が行われるのは、どうも季節感が感じられないような …。今年から韓国でも祝日と日曜などが重なった場合に、翌日も休みになる「振替休日制」が実施されることになって、実は秋夕が最初の振替休日実施となりました。8日の当日の前後1日ずつが本来休みになりますが、7日が日曜だったので、10日までが秋夕連休となるわけです。遠い故郷に帰省する人たちには嬉しいことですね。今回の旅程ではその日まではいられませんでしたが、せっかく日本から来たということで、義理のお母さんを中心に、妻の兄弟とその家族たちが合わせて10人くらい集まって、焼肉屋に繰り出して一大パーティとなりました。私の子どもたちも訪問したので、いつにない大歓迎行事となったようです。

Dscf0270ものすごい量の肉が次々と運ばれてきて、一体これだけの肉がどうやってお腹に入っていくだろうと心配しましたが、自分でも知らないうちに箸が伸びて、ほぼ完食!親戚の男性二人と一緒に焼酎も6本を空けてしまい、果たしてホテルまで帰れるのかと、初めの頃は考えていましたが、気がついたら鐘路3街のホテルの部屋に寝ていましたねぇ。その間の記憶は残念ながらきれいに消えてしまっていました。翌日は、せっかく来た子どもたちを連れて、ソウル市内を観光案内。これでも昔は韓国から来る団体観光客を連れて、日本中を飛び回ったガイド経験8年のベテランですから、名所案内は得意技です。ソウル駅からスタートして、南大門、南大門市場、明洞、仁寺洞、景福宮と主なスポットをしっかりガイドしつつ、パッピンスやマッコリ、ビビンパなどの味覚も味わえるという、ゴールデンコースを無事に案内することができました。二日酔いも全くなかったのをみると、どうやら韓国の生活は日本に暮らすより体に合っているのではないかと、改めて思った旅でした。次はいつになるかまだわかりませんが、たくさんの人に出会いながら楽しい旅ができたら、また報告をしますね!


李小仙さん三回忌

2014-09-24 16:56:31 | インポート

Dscf0244今回の旅の目的の一つは、3月に翻訳出版した「この身が灰になるまで(緑風出版)」の主人公である李小仙さんの三回忌追悼式に参加することでした。前日には原著者のオ・ドヨプさんにもお会いして、いろいろお話をうかがいました。李さんは息子の遺志を継いで、1970年代からずっと労働運動に取り組んで、急激に発展する韓国社会の底辺で苦しむ労働者とともに歩んできた人です。それで韓国労働者のオモニ、とも呼ばれています。9月3日に、参加する人たちを乗せた貸し切りバスで、ソウルの東の方にある、京畿道南楊州市のモラン公園という公園墓地に向かいました。

Dscf0253今回の日程の中でこの日だけが強い雨が降って、大変でしたが、雨の中二百人ほどの人が集まり、厳かに、でも熱気のある式典となりました。長い間労働運動に携わってきて、今は年齢を重ねて第一線からは遠ざかっている、OBのような方たちも大勢来てましたし、式典の雰囲気を引き締めてくれた合唱団の人たちのように若い人もずいぶんいました。墓前に本を供えましたが、それを見て「日本でもこの本が紹介されて嬉しい」と言ってくださる方も何人かいましたし、この本が日本と韓国の人たちの気持ちをつなぐような役割を果たしてくれればと、改めて思いました…。