ソウルの空の下

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春が来て…

2023-03-19 22:33:06 | 日記

いよいよ春を実感させてくれる花が咲き始めました!バスの窓から見たケナリ(れんぎょう)の黄色い花は、日本で咲く菜の花のイメージを連想させますね。そんな春にふさわしいピンクのラベルを貼った眞露焼酎の新バージョン「シュガーレス」タイプ。と言いながら前のに比べて「甘く」感じるのはなぜでしょうか。さて、先週の木・金と日本を訪問した尹大統領のことが話題になっています。日本ではもう、ニュースにもならなくなったかもしれませんが…。写真は慶応大学での講演のキャプチャーですが、一体なぜ慶応を選んだのかというのが疑問でした。岸田首相は早稲田出身だというし…。実は慶応の創設者、福沢諭吉は「脱亜論」を主張したと言われていて、その表現は中国・朝鮮を遅れた野蛮な国と断じて、このような国とは決別して西洋列強と付き合っていかなければならない、などと口汚く朝鮮を罵っていました。そんな過去があったので、もしかして「不幸な過去はあったけれど、それを乗り越えて未来を作るのが若い世代の課題」というような話をするのかと思いきや、岡倉天心を持ち出したそうで、この岡倉もまた嫌韓論者だったそうで、結局この大統領やそのブレーンたちは歴史を何も知らないということがわかってしまいました。だから3.1独立運動記念日の演説でも「独立運動の意義」などには一言も触れず、「日韓はパートナー」などと言うしかなかったんですね。そんなわけで帰国後この人を待っていたのは大きな反発のうねりでした。土曜日に行われた「日韓首脳会談糾弾、亡国外交審判」をかかげて大きな集会が行われました。参加者は1万人(主催者発表。ところが警察発表は1万3千人という不思議な集計)規模で、外務省から日本大使館までデモをしました。尹大統領は行く前には「こちらが大きな譲歩をするが、その分日本からも大きな収穫を得る『グランドバーゲン』でいく」などと言っていたのが、お土産をどっさりあげたのに(徴用工問題の第三者弁済という解決方法や世界貿易機構への提訴取り下げなど)もらってきたのは請求書の山(慰安婦問題への約束履行、福島汚染水放出への理解、独島(竹島)領有権問題への日本の立場理解など)だけだったと猛烈な反発を受けています。7年前のキャンドル革命の時の人数に比べればまだまだですが、カトリック正義具現全国司祭団が「尹政権退陣」を掲げて行動を起こしているように、今後の展開は政府が楽観しているようなわけにはいかないと思えます。

3月11日「尹政権対日外交糾弾」集会

2023-03-13 06:23:58 | 日記

土曜日の午後4時、ちょっと中途半端な時間に市庁前広場で政府の対日外交を糾弾する集会が開かれました。本来、植民地の時代に苛酷な労働を強いられた人たちに対する被害補償は、当該企業がするべきことですが、韓国の財団がその肩代わりをするという「解決策」に何よりまだ生存する被害者がとうてい認められないと憤慨しているわけですから、その声に日韓両国の政府は耳を傾けるべきだと思いますが、政治家同士が勝手に「解決」しようとしているので、それに抗議の声をあげようという集会です。呼びかけ団体が1500を超すというので、7年前のキャンドル集会を思い起こしましたが、実際は少し様相が違っていました。まず集会場が大きな広場なのに、真ん中に工事現場のフェンスが設置されていて十分なスペースを確保できないようになっていることでした。この広場は2月末までスケートリンクがあったので、それを撤去し、整備する工事という名目ですが、ソウル市の呉市長は与党「国民の力」に所属しているので、これは露骨な集会妨害だと感じられました。また、集会の前の方に陣取っているのは青い旗の群れで、これは野党の「共に民主党」の党員や支持者の人たちで、集会が特定の政党の影響を受けていると思われてしまうと感じました。今、賄賂事件で問題にされている党首の李在明氏があいさつに立って、熱狂的な支持者が歓呼の声をあげるというのもちょっと違和感を覚えたし、そのあと登場した正義党のイ・ジョンミ代表(女性・最後の写真)に対しては大きなブーイングが浴びせられて、会場の雰囲気が不穏なものになってしまいました。これは国会で李代表の逮捕同意案(国会議員は逮捕の免責特権があるので国会の同意がなければ逮捕できない)に正義党が賛成したからだと言われています。またこの日大統領室のあるヨンサンで抗議行動を行ったグループがすぐ横で引き続き集会を行い、日本大使館までデモをしましたが(キャンドル行動というグループです)、こちらの集会には合流しませんでした。何だか分裂が目立ってしまい、ちょっと先行きが不安になる集会でした。でも、韓国政府の政策と、それをいいことに知らん顔を決め込む日本の態度は何としても許してはいけないと改めて思った日でした。

徴用工問題の解決といいながら…

2023-03-09 06:26:12 | 日記

月曜日に「徴用工問題の解決」として韓国の外交部長官(外務大臣)が発表した案は、苛酷な労働をさせておいてそのことに対する謝罪も被害補償もしないで知らん顔を決め込む、日本企業(日本製鉄、三菱重工業)に代わって、韓国の財団が補償金を弁済し、日本政府はこれまで村山内閣などで発表された植民地支配への「おわび」を踏襲するというものでした。日本の新聞でも韓国政府が白旗を掲げて日本に全面降伏をしたようなもの、という評価があったと思いますが、韓国では怒り心頭の市民たちがすぐに緊急集会を開きました。私も日本人として参加しましたが、それは結局韓国政府が「すでに1965年の日韓条約で解決済みの問題を持ち出して、何とか金をせびり取ろうとしている」という見方を正しいものにしてしまう(正当性がないから自分たちで金を払うことにした)という誤ったメッセ時を伝えてしまうと思ったからです。日本政府は今年100年目を迎える関東大震災の朝鮮人虐殺にも「証拠がない」と知らん顔をするなど、植民地下で起きた様々な人権蹂躙に対する責任を何も取らないでいることが「日韓問題」の根っこにあることを思うと、韓国政府のこのような「解決法」には反対せざるを得ません。この日は市庁前広場に1000人ほどが集まり、民族問題研究所の金英丸さんや、慰安婦問題解決のために活動する正義記憶連帯のイ・ナヨンさん、民主労総の人、キリスト教の人などがステージに立ちました。最後の写真は1907年に当時の大韓帝国の外交権を奪って植民地化の扉を開いた「乙巳条約」締結を進めた「乙巳五賊」と呼ばれる人たちになぞらえた尹大統領、朴外務部長官をはじめとする政府閣僚の写真です。今週の土曜日には1500以上の団体が呼びかけてさらに大きな集会が予定されています。

フィールドワーク 東学農民革命の跡を訪ねて

2023-03-05 21:15:32 | 日記

今回のフィールドワークは全羅北道の井邑(ジョンウプ)というところに残る歴史の遺跡を訪ねる旅になりました。バスで3時間半かかるので朝は6時45分に集合と言うきびしいスケジュール。バスは28席で余裕がありました。韓国の貸切バスもずいぶん快適になりました。全羅道は昔から穀倉地帯として知られていて、農地が見渡す限り広がっています。空気もきれいです。表題の「東学農民革命」というのは1894年に起きた農民の反政府、反外勢の武力闘争で、後半、日本軍との戦いでは死者40万人とも言われるほど、凄惨な闘いでこれはもう、戦争というほどの規模でした。で、この農民が立ちあがった直接のきっかけは、この穀倉地帯に赴任した、日本で言えば「悪代官」のような人間が私服を肥やすために苛酷な取り立てをしたために、抗議する(陳情する)農民をひどく処罰して死者まで出たという事件が起きたからでした。東学というのはキリスト教を西学として、それに対抗する朝鮮独自の思想・宗教で「人は天」「国を扶けて民を安んじる」といったスローガンをかかげて、男女平等、身分制の撤廃なども主張しました。後に全州を占領してからは農民代表が地方政治に参加する地方自治的な機構を作ったりもしたことから、当時としてはかなり進んだ考え方を持っていたようです。日本の歴史教科書には「甲午農民戦争」と書かれていたようです。最初の訪問先は東学農民革命記念公園でした。ここは農民軍が最初の大勝利をあげた「黄土峴戦闘」の戦跡地です。案内をしてくれたのは作家でもあるチェ・ウニさん。このあとも行く先々でいろいろな方が案内、説明を何と6人でかわるがわるしてくれました。近くには竹林がうっそうとしていましたが、日本ではどこででも見られますが、韓国では生育地が限られていて、全羅道が自生地として知られています。この竹は農民の戦いに大きな役割を果たしました。武器の少ない農民にとっては火縄銃とともに相手に脅威を与える有効な武器となったそうです。何千人もの農民がこれを構えて相手に立ち向かえば、その勢いに敵は怖がって逃げ出したとか。広場に置かれた彫刻を見るとその威力が想像できます。農民軍のリーダーは東学の幹部で知識があり字の読み書きもできる人たちですが、明治維新を担った下級武士のような権力側の人間ではなくて、日常では農作業に従事する農家でもありました。もっとも代表的な人が左上にある写真の全琫準(チョン・ボンジュン)です。体が小さいことから緑豆将軍と呼ばれていました。以前京都で運営していた韓国語教室の名前はここからとりました。「蜂起を話し合った家」の近くの塀にはこの戦争に関係した壁画が描かれていました。「緑豆の花は永遠ならん」と書いてあります。以前、「緑豆の花」というこの話をドラマ化した作品もありました。この日は1万4千歩も歩きました!