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WYD-⑤ 大アクシデント発生! 巡礼は風前のともし火?
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2013年7月23日はイグアスの体育館を出て、日本人移民の多いロンドリーナの町へ行って、日系ブラジル人への宣教とミサをする予定で、長距離バス移動に備えて、早朝5時起き、7時出発と言う発表だった。
前晩のレストランが深夜に及んだので、これは厳しいスケジュールだったが、それでもみんな頑張って、7時には入り口に勢ぞろいした。しかし、待機しているはずのバスの姿が無い。この施設には、他にも大勢の若者が泊まっていたが、我々より遅い出発予定のグループが、迎えのバスに乗って次々に出ていき、一番早く発つはずだった我々だけが最後に取り残された。それでもバスは来ない。
年寄りの私はすぐ異変の臭いを嗅ぎ取ったが、敢えて平静を装った。経験から自分は意外に危機管理に強いと知っていたが、ここで表に出て指揮をとったら、若い神父たちの顔を潰すことになる。
なんでもない。ただ運転手の携帯が応答しないだけ。サンパウロのバス会社はまだオフィスが開いていないが、もうすぐ連絡が取れるから、大丈夫!大丈夫!と彼らは言う。
出発後にバスの中でするはずだった朝の祈り(教会の祈り)を、野外の空気の中で一緒にした。祈りも黙想も歌も終わったが、やっぱりバスは来ない。みんなはと見ると、ギターと太鼓を鳴らして楽しく輪になって踊ったり、おしゃべりをしたり、芝生に寝袋を延べて足りなかった睡眠を補ったりと屈託がない。疑いも、不満も、苛立ちのかけらも全く感じさせない。こいつら天使たちか、ただちょっと足りないだけか?なんて、内心ひどいことを考えたものだ。ああ、神様ごめんなさい。
見かねて、リーダーの神父に、誰にも言わないから本当の事を言ってくれないかと迫ると、実は4000ドル(約40万円)を強要してきたが、手持ちの現金にそんな余裕はなく、ブラジルの共同体の有力者を通して、後で必ず払うから取り敢えずすぐにバスを出してくれるように交渉中、と言う。
恐れが的中した。そう言えば、昨夜レストランの片隅で、何やら深刻な話し合いをしている様子が目に止まっていた。これは現場の運転手の不当なゆすり行為ではないか。遠方の有力者の口約束では切り抜けられるはずがない。
バスを出してしまったら、約束なんか反故にされるに決まっている、と思う彼らは、いちかばちかの勝負に出ている。
本当の事を話して、みんなから現金を集めて用意する他に前へ進む道はない、と言うのが世間を知っている私の結論だったが、楽観的な交渉の努力はなお空しく断続的に続けられた。
世界中から250万人の巡礼が教皇フランシスコ主催の世界青年大会(WYD)に向かって殺到している。ブラジルの動かせる観光バスは高値で総動員だ。この売り手市場で、足元を見てバス料金の割り増しを吹っかける者が現れても驚くに値しない。
時間だけはいたずらに流れて行った。バスで半日走って、昼休みに開かれるはずだったパニーノ(パンに肉と野菜を挟んだもの)の袋も食べ尽くされた。
やっと現実に目覚めて、皆が呼び集められ、事実が明らかにされ、予定外の現金の収集が行われたのは、確か午後の2時ごろではなかったか。
共同体の収集の仕方は一風変わっている。必要額の4000ドルが提示されるだけだ。仲間の人数を頭において割り算すると一人60ドル弱になるとみんな理解するが、貧しい若者たちの事だ。60ドルの現金を持ち合わせていないものもいるかもしれない。最初に決められた参加費以上に出すことに抵抗を感じる者もいるだろう。他方では、その気になりさえすれば100ドルもそれ以上も出せる者も中にはいるだろう。みんなきっちり頭割りの60ドルしか出さなかったら、出せない人、出したくない人がいることを想定すれば、全部で4000ドルに届かないことは初めから明らかだから、自分が幾ら出すべきか、あとは本人と神様の問題になる。
お金は拝むべき尊いもの=「神様」=ではなく、手垢に汚れた「必要悪」にすぎないという観点から、たいてい黒いビニールのゴミ袋が回される。みんな拳に裸の現金を握り、袋の中に手を突っ込んで放す(ゴミのように棄てる)。あとは、二人以上の計算係が数えて結果を報告する。足りなかったときは、あと幾ら足りないからと言って、もう一回ごみ袋を回す。たいていそれでことが足りる。誰が幾ら出したのか、本人と神様しか知らない仕組みになっている。(出せないのもいる。少ししか出さないのもいるに違いない。しかし、多く出すのもいるのだ。)
幸い今回は一回目の収集で目標額を上回った。ドル、円、現地通貨、ユーロも少々、合わせて4000ドル相当以上集まった。本当にいい子たちだ。
自称危機管理に強い私に言わせれば、定刻朝7時にバスの姿はなく、運転手が携帯電話に出ないなら、9時にバス会社の対応を見極めた上、10時には非常事態を宣言してこの収集を決行すべきだった。しかし、それはビジネスの世界で難局を何度も潜り抜けてきた「荒海の老狼」の言うことだ。ここは、対応に右往左往し、この結論にたどり着いた若いリーダーたちを、よくやったと労うべきだろう。
こうして貴重な日中の時間がマル一日分失われた。ロンドリーナの日系人との交流、街頭宣教、現地の信者たちとの合同ミサなどの予定が全部吹き飛んで、夜遅く疲れ果てて到着し、ひたすら寝るだけとなった。
4000ドル事件の遅れで、その後の日程はもはや全部あって無きが如し。最後までずれ込み、キャンセル、順送りの連続となった。
別の機会に起きたもう一つの事件の事も、ここで合わせて報告しよう。
数日後のこと、前晩の宿を提供してくれたサンパウロの兄弟たちと一緒に、その日の夜までにリオに入り、翌日はコパカバーナの海岸のWYD会場で早めに陣取りをして、前夜祭に参加し、そのまま砂浜で野宿して、次の日のクライマックス、教皇の250万人野外ミサに与かるはずの時だった。
サンパウロの兄弟たちのバスは予定の時間に来て待機したが、我々のバスがまた姿を見せない。地元の兄弟たちは仕方なく出発を遅らせて待ってくれた。数時間遅れて我々のバスがやっと着いた。しかし、一台しか来なかった。今度は、金の要求ではなかった。もう一台は故障していま修理中、もうすぐ直るからあと少し辛抱してほしい、と言う話だった。
それを知った現地の兄弟たちは諦めて、遅くなっても今夜のうちに宿にたどり着けるようにと、そそくさと発っていった。そうしないと彼ら自身のWYD参加が危うくなるからだ。
だいぶ経ってからさらに悪いニュースが入った。修理は今日中には間に合わない。代わりのバスを探しているが時間がかかりそうだ、と言うことだった。
この時期、250万人の若者がブラジル中のバスを借り切って動き回っている。遊んでいる予備のバスなどすぐに見つかるわけがないではないか。案の定、とっぷり日が暮れて、とっくにリオの宿に着いているはずの頃になって、やっと代わりのバスがやって来た。昨夜のホストファミリーは既にリオに発っていないから、今夜はもうこの町には泊まれない。月夜の道をひた走り、バスの車内泊で少しでも後れを取り戻せば、まだぎりぎりWYD参加できる可能性が残っているのではないか?
その夜の月は半月よりやや太っていた (よーっく見て頂きたい 南米の人々は月を日本人とは逆さまに見ている)
(左 リオの月) 子供のころから南米に行ったら自分の目でこれを確かめたいとずっと思っていた (右 野尻湖の月)
待つことにはすっかり慣らされたが、待つという仕事は結構体力を消耗する。窮屈な姿勢と悪路の振動に耐えながら何とか車中で浅い眠りに落ちた頃、突然バスは止まった。なんだ?車内灯は消えているし、外にも人家の明かりはない。時計を見ると深夜の2時を回っている。どうやら荒野の一本道で警察の検問に引っかかったらしい。
ブラジルのパトカーは日本の白黒ワンちゃんより色彩豊かで恰好いい いいツラ構えだ!
何しろ教皇フランシスコと言う第一級のVIPめがけて世界中から大量の外国人が流れ込んでいる。最も恐れられるのはテロ攻撃だ。団体バスの中に不審者が紛れ込んでいないとも限らない。リオを遠巻きに幹線道路では其処ここで徹底した検問を実施している。重装備の体格のいい警官が2階建てのバスに乗り込んできて、パスポートの写真で一人残らず首実検してまわる。やっと乗客全員にOK! が出た。やれやれ、これであと一眠りすれば明日の昼ごろにはリオに着くか、とホッとしたが、そうはどっこい、いつまで待っても動き出す気配がない。
検問所の陣容はかなりなものだ
外に出てお巡りさんに聞いた。不審者はいなかったのだろう?どうして行かせてくれないのか?曰く、乗客は全員OK! だった。だが運転手の一人は駄目だった。トラックの免許は持っていたが、客を乗せた大型バスを運転できる免許を持っていない。その上薬物反応も出た。この男はここで逮捕だ。運転させるわけにはいかない。そんなご無体な!
彼が逮捕された問題の無免許・薬中の運転手。観念したか、ふて腐れて寝たふりだ。
4000ドル事件も彼の仕組んだことか?こんな男に我々のバスを運転させた会社の責任はどうなる?
このだだっ広いブラジルの荒野の一本道で、この深夜に運転手を取り上げられて、我々は一体どうすればいい?ブラジル中の動けるバスは全部出払い運転手も総動員体制だ。今頃遊んでいる運転手を見つけるなんて奇跡に等しい。それに夜が明けても9時ごろまではバス会社に事情を伝えることすら出来ない。代わりの運転手が見付かっても、それをここまで連れてくるのに、どれだけ時間がかかる?トイレは?水は?食料は?
やっと交代運転手が着いたのがいつ頃だったかはっきり覚えないが、ヨーロッパがそっくり納まるほど広いブラジルだ。飛行機で1時間かそれ以上の距離を、貧しい我々はひたすらバスで移動する。8時間、10時間のバス移動は当たり前の話。すでに予定より丸1日分ほど遅れている。
これらの写真は、二つの事件の間の移動中にサービスエリアのテレビに映っていた教皇フランシスコの映像
教皇は数日前からリオに入ってWYDの公式行事をこなしていた。 (右はリオの司教座大聖堂の教皇ミサ)
我々がリオの郊外に近づいたころには、はるかコパカバーナの浜辺の会場では教皇を囲んだ前夜祭がもう終わろうとしていた。我々はと言えば、夜遅く、とある教会にバスが横付けされたのだった。
夜遅くたどり着いた教会のポスターの教皇フランシスコに挨拶するメンバーの女の子
ガランとした広い教会堂の木のベンチやコンクリートの床が今夜の宿だ。WYD世界青年大会のクライマックスは既に始まっているというのに、今夜我々は会場からほど遠いところで冷たいコンクリートの床に寝袋を広げて死んだように寝ている。腹の減ったものは三々五々連れ立って近所のコンビニに餌の調達に行った。
何処でも好きなところで心ゆくまでお休み ベンチは狭くて傾いている 床は平らで広いが冷たい
明日の10時の教皇ミサに間に合って会場の入るためには朝5時起きかとひとり覚悟をしたが、リーダーの神父は、みんな今日は遅くなって疲れているから、明日の起床は8時だ、という。 ???! ・・・そうか! きのうのうちにリオの宿に泊まり、今日早いうちからコパカバーナの砂浜に陣取りをして、今頃ゆっくり前夜祭に参加することの出来なかったものは、明日の朝少々早起きしたぐらいでは、もう250万人の若者に埋め尽くされた会場に割り込むことはおろか、交通規制で会場に近づくことすら不可能なのだと深く思い知らされた。ははるばる日本からWYDに参加するためにやってきたのに、すぐそばまで来ていながら、その会場の熱気に触れることもなく、すごすごと日本に帰る運命がとっくの昔に確定していたのだった。
それならば、せめて早いうちに夕べたどり着くはずだったホテルに入って、テレビでWYDの実況を見ようではないか、と提案したが、会場から半径何キロとやらは、テロ対策か何かで、夕方5時まで許可のない車は一切通行禁止なのだそうだ。悪いことに、我々の宿は一部その禁止区域を通らなければ近づけないのだ。これで万策尽きた感じだった。しかたなく、我々はWYDとはおよそ関係のない郊外の大型ショッピングモールで時間をつぶし、食事をし、通行規制が解かれるのをひたすら待つ羽目になった。自棄(やけ)になって買い物をしようにも、虎の子の現金は4000ドルの一部に吸い上げられてすでになかった・・・。
それでも、このおとなしい70匹の子羊たちは、文句ひとつ言うでもなく、平和に楽しげに、この理不尽な運命のいたずらを甘受し、それに諾々と身を委ねている。
私の隣の席の彼女は疲れて椅子にずり落ちて寝てしまった (なぜロザリオの十字架をくわえているの?)
お前たちはどうして不満をぶちまけず、泣きごとを言わないのか?と怒りたくなる。
では、この詰めの甘い計画は大失敗だったのか?
そうではない!
なぜそう断言できるのか?
それはこの次の話にとっておこう。
(つづく)