:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 憐れみの人=教皇フランシスコ、 日本のために二人の司祭を叙階、 教皇としての初の叙階式で

2014-05-17 19:05:51 | ★ ローマの日記

バチカン門外不出の不朽の名作ミケランジェロのピエタ像は大聖堂に入ってすぐ右手にある。

普段は人でごった返していて落ち着いて写真も儘ならないが、今日は叙階式。

司祭更衣所のすぐ隣で人の気配がないとあって久々にしみじみと眺めた。


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憐れみの人=教皇フランシスコ

教皇としての初の叙階式で

日本のために二人の司祭を叙階

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教皇フランシスコによる初の叙階式の始まりを待つ聖ペトロ大聖堂の中の様子。 

上のピエタ像はいま写真を撮っている私の真右にある。


いつもとちょっと手法を変えよう。

派手な写真で押していくのではなく、教皇の人柄に光を当てたい。

 

 教皇フランシスコは去る5月11日、教皇に登位して初めての司祭叙階式を聖ペトロ大聖堂で厳かに執り行った。

 あらたに叙階される13人の若者の内、7人までが我がレデンプトーリスマーテル神学院の出身で、残りの内4人がコレジオロマーノとその他のローマ教区の神学生、2人が外国の他教区から委託された被叙階者だった。


直前の動作確認のリハーサル風景。黒いスーツ姿は叙階を受ける神学生たち


 我々の神学院がローマの司祭叙階式の中心になる傾向は既に定着の感がある。しかも、その7人の内2人が、叙階の時から、将来の日本のための宣教師であることが決まっている。


中央奥のうしろ手姿がダビデ・チャンフェローニ神学生 スイス衛兵の左側の横向きが日本のための神学校の副院長アンヘル神父


 2人は元高松教区立レデンプトーリスマーテル神学院」の出身で、今はローマにある「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」に属している。

 ダビデ・チャンフェローニはフィレンツェの出身。ダミアノ・パクは韓国人だが、二人とも高松の神学校が閉鎖される前の数年間を日本で過ごし、日本語は極めて堪能だ。彼らも環境が整い次第、司祭不足の深刻化している日本の教会の活性化のためにローマが用意している司祭団に加わることになっている。


左からダビデ、ビン・ラーディンの渾名の或るフロリアン神父(ローマの神学院の副院長)、ダミアノ、わたし


式の始まりを待つ参列者たち

 

実は、この臨時の更衣所は、列聖されたばかりの教皇ヨハネパウロ2世のお墓のある祭壇の前を衝立で囲ったもの


福者の称号から聖人(SANCTUS) の称号にあらためられたま新しい大理石の銘盤

普段は祈りに訪れる人の波で混み合っている場所だが 今日はわたしもその前に跪いて落ち着いて祈ることが出来た


ふと目をやると、あのヴァリーニ枢機卿も人知れず内陣の隅に座ってじっと祈っていた

私は、人の視線を意識していないときの彼のこういう自然な姿に感動を覚える


私も養成者の側に連なるものとして、共同司式者の群れにまじり、叙階式の教皇フランシスコの説教を聞いたが、

教皇の今回の説教のトーンには強く心を打たれるものがあった。

教皇の説教が普段どのように準備されるのかよくは知らないが、シャドーライターがいて、

たたき台は教皇以外の人が書いているのではないかと思われるふしもある。

聖人になった教皇ヨハネパウロ2世の場合、聴衆が信頼のおける身内だと見るや、

原稿を離れて、即興で自由に話すことがよくあったように記憶するが、

今の教皇フランシスコにも、どうやらその傾向があるようだ。

この日、司祭というものの心得につて語る説教の半ばを過ぎのところで、

突然原稿を離れ、自由に話し始めた。私はその部分に、聴きながら強烈な印象を受けた。曰く:


「・・・。赦しの秘跡(告白、懺悔)においては、あなた達はキリストと教会の名において罪を赦すことになるでしょう。

ここで私は立ち止まり―と言いながら、原稿から目を離し、自由に語り始めるあなた達に

イエス・キリストの愛のために、憐れみ深くあることにおいて決して疲れることの無いように求めたいと思います!

お願いします!

罪に定めるためではなく、罪を赦すために来られた主が持っておられたあの赦しの特技を身に着けてください!

たくさんの憐れみを持ってください!

そして、もしあまりにも見境なく「赦しすぎる人」になってしまったのではないか

という後ろめたさを感じることがあったら、

あなた達に話して聞かせたあの聖なる司祭が、聖櫃の前に行って

「主よ、もし私が赦しすぎているとしたら、どうかそんな私を赦して下さい。

けど、私に悪い模範を示されたのはあなたご自身でしたよね!」 と言ったことを思い出しなさい。

そして、あなたたちに心から言いたい。

告白場で打ちのめされ叱られたため、二度と告白をしに行かなくなってしまった人々を見出すたびに、

私はひどい苦痛を覚えるということを。

彼らは、目の前で教会の門が閉じられたように感じたのです!

お願いだから、そんなことは決してしないでください

憐れみ! 憐れみです!

善き牧者は門を通って入るが、憐れみの門とは主の御傷のことです。

もしあなた達が主の御傷を通って職務に入らないなら、

あなた達は善い牧者にはなれないでしょう。・・・」

教皇フランシスコは、ここで再び原稿に目を落としお説教を続けた。 ・・・・


このようなハートのある説教をする教皇の手で日本のための司祭に叙階されたダミアノとダビデ神父は、

なんという幸せ者だろうと思った。


2時間ほどの時間が流れた。 実に荘厳な叙階式がつつがなく終わった。

そして、元の控えの場所に戻った教皇フランシスコと新司祭たち。 右から二人目の俯いているのがダビデ新司祭

赤いズケットはヴァリーニ枢機卿


 彼らは、自分の意志で宣教の行き先として日本を選んだのではない。当時世界に30~40校あったレデンプトーリスマーテル神学院姉妹校の中から、たまたまくじ引きで当って日本の高松に送られ、日本のための宣教者となったのだ。

 現在、世界に100校以上に増えた姉妹校の神学生が、全てこのくじ引きで生涯の働き場を決められている。神様の御手に自分の命を委ね切る信頼と委託がなければとても受け入れられないシステムだ。だから、若いのにその召命の最初から離脱心と覚悟の備わった筋金入りの宣教師魂を持っている。

 そこへいくと、私のように、50歳でローマの神学校に入ったものの、将来高松教区で働くものと暗黙裡に行く先が決まっていたのは例外であり、その分、宣教者としての肚が十分に据わっていないのを自分でも感じる。

 韓国からはダミアノ神学生(私は彼を「パクちゃん」と呼ぶ)の家族と彼を生み出し日本の宣教師として送り出した韓国の共同体の仲間が40人余り叙階式に参列した。日本からは、ダビデ神学生の里親となった人たちを中心に日本の共同体のメンバーらが20人余りやって来た。叙階式の後は郊外のレストランに場所を移してやや遅い昼食パーティーが開かれた。


乾杯の音頭を取るパクちゃん その向こうには色とりどりのチョゴリ姿の彼の家族が


 このところ、何事につけても韓国パワーが日本を上回り圧倒する傾向がある。人数は倍、平均年齢も若い参加者が多く圧倒的に低い。その上、叙階式とそれに続く初ミサやパーティーなどの晴れの席では、イタリア人の目には区別のつかない同じ顔のアジア人だが、日本のグループが旅に備えた控え目な洋装なのに対して、韓国陣は男性も女性も色鮮やかな民族衣装で完全に圧倒する勢いだ。


 二つのテーブルに分かれて席に着いた日本の里親と共同体のメンバーたち


彼らを支えてきたローマの共同体の兄弟姉妹たち この日の祝い客は300人と聞いた

如何に彼らが多くの人たちの愛に支えられてきたことか


 ご覧のとおり、叙階式の最中の模様を撮った写真は一枚もない。


 私が恐れたのは、大聖堂のずっと遠くから獲物を求めて睨んでいる大型テレビカメラの存在だ。彼らは、祭服をまとった私が黒い大型デジカメをそっと腰だめに構えてシャッターを切ってさえ、目ざとく見つけてドアップで茶の間に流してしまうから油断も隙もあったものではない。「ジョン!お前が式の最中にはしたなくも祭服姿でカメラをいじっているところがテレビに映ってたぞ!」と必ずやられるのだ。

 現に、叙階式の中で、共同司式司祭たちが新司祭の頭の上に次々と按手していく場面では、私はたっぷりアップで映っていたそうで、その夜の感謝の祭儀の時にみんなから指摘と冷やかしがあった。

 そんなわけで、背広の上着と一緒に更衣の控室に残したカメラのメモリーカードにたまたまあった式の本番の前と後の時間に撮った写真の中から、何枚かをお届けするに止めるしかなかった。

どうか、皆様の豊かな想像力であの荘厳な式に参加していただければ幸いだ。 

 (初ミサ巡りにつづく)

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11 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-05-18 14:30:31
谷口くん

見境なく「赦しすぎる人」になってしまったのではないか
という後ろめたさを感じることがあったら、

な~るほど神父もそんなことを感じたりしているのか。
J. K.
返信する
Unknown (Unknown)
2014-05-18 21:56:07
これはなんとも素晴らしい話です。日本のためにわざわざ故郷を離れる決意で臨んだところ、否応なくその地を追われるように去らねばならなかった人が、ローマの地で自分が追われた地のために自分を鍛錬しつづけ、司祭職を引き受けた人がいるということ。日本にとってそれはどんなに貴重な出来事だったかと思います。是非、彼らがいち早くその恵みを日本に運んでくれる日が来るのを祈るばかりです。私にはそこまでの愛があるかと考えなおしてしまう、いや回心させられた恵み深い叙階式でした。
N. T.
返信する
Unknown (Unknown)
2014-05-18 22:28:16
: 「司祭に叙階されたお二人は、今の日本にとって大きなお恵みです。 大変嬉しいです。おめでとうございます。」
T. Y.
返信する
解りません。教えてください。 (Unknown)
2014-05-19 05:10:23
共産圏や回教圏にカトリックの宣教師が入れない。入りにくい、のはよくわかります。幕府による鎖国時代、宣教師が入れなかった、入ったら殉教が待っている、という状態が日本を支配した、というのも歴史で学びました。
しかし、戦後の民主、平和憲法下で、信教の自由が日本ほど保証されている国も少ないと言うのに、どうしてローマ教皇が日本のための宣教師として叙階した若い司祭たちが日本に入れないのですか?
埼玉 M. M.
返信する
埼玉の M. M. さんへ (谷口 幸紀)
2014-05-19 19:58:10
お気持ちよくわかります。本当にどうしてなのでしょうね。わたしにもさっぱりわかりません。そのことに責任ある人たちにお訊きしたい心境です。
返信する
Unknown (MG)
2014-05-23 12:24:26
YouTubeで叙階式のようすを見せていただきました。
たいへん素晴らしい式で感動しました。

なにせ教皇のはじめての司祭叙階式で,
いっしょに司式しているわけですから,
これは谷口神父様こそが,
日本のカトリック教会の代表ということですよ。
はやいところ司教になっちゃってください(笑)。

私が神父だったら,
うらやましすぎます。

カトリック新聞は,
神父様のインタビュー記事をのせないとだめでしょう。

というわけで,
次のブログも楽しみにしています。

返信する
Unknown (谷口 幸紀 )
2014-05-24 05:54:23
M.G. さん。このコメントはほとんど削除か保留のままの扱いになるところでしたよ。私は、こう見えてもまじめ人間で、もう少しで貴方のコメントの行間のユーモアを読み落とすところでした。
ご存知なかったかもしれませんが、私は今年12月15日で75歳ですよ。とっくに賞味期限切れですからね(笑)
返信する
イタリア旅行を思い出しました。 (シズコ)
2014-05-28 18:32:14
谷口神父様、こんばんは。お久しぶりです。
2003年に行った、イタリア旅行最後のバチカン、懐かしく思い出しました。
あの日はヨハネ・パウロ二世の謁見日で、私たちツーリストは後回しで、美術館→サンピエトロを見学しました。
前にも書かせて頂いたかもしれませんが、サンピエトロに入った瞬間、つつつーっと涙が流れたのを思い出します。
洗礼を受けてまだ2年目だったからでしょうか?
ヨハネ・パウロ二世さん(こんな呼び方不敬だったらごめんなさい)聖人になられたのですね。
このニュース聞いたとき、前に、マザーテレサが、異例の早さの福者になった・・・と言うニュースを思い出し、「ハーこんなに早くなれるのか・・・」と正直思いました。
この、福者とか聖人とかは、どういう風な基準でなるんですか?
もし良かったら教えて下さい。
ヨハネ・パウロ二世さんのお墓、新しくて格好良かったです。
また、バチカンに行きたいなあ・・・。
イタリアに行きたいなあ・・・。
返信する
追記 (シズコ)
2014-05-28 18:34:05
肝心なこと書き忘れちゃった!
ピエタ像、アップして下さってありがとうございました。私大好きなんです。
バチカンで一枚、ポストカード買ってきたのですが、恩師の先生に差し上げてしまいました。
門外不出だとは初めて知りました。
返信する
シズコさんへ (谷口 幸紀)
2014-05-30 00:03:31
列聖調査についてウイキペディアには以下のようにあります。私の知っていることをうまく要約してくれています。

「カトリック教会では、生前、その生き方において、徳と聖性を示していたと思われる人に関しては死後、申請が行われることによって列福・列聖調査が始められることがある。調査では、まず地域司教の管轄下で調査が行われ、聖人にふさわしいと判断されてはじめてローマ教皇庁の列聖省での調査が開始される。
列聖においては、その人物の取次ぎによる奇跡(超自然的現象)が必要とされるが、殉教者についてはその限りではない。通常は早くても本人の死後数十年、場合によっては数百年という長い年月をかけて調査は行われる。こうして厳しい審査を終えて、教会において聖人の位置に加えるのがふさわしいと判断されると、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂において教皇によって列聖が宣言される。すべての聖人はその記念日を持っており、古代の聖人などを除けば、通常は命日がそれにあたっている。福者と違い、聖人は全世界的に祝われる。」

列聖の決め手として、その聖人の取り成しで複数の奇跡が行われたことが証明されなければならない、というのもありますね。
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