:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 久しぶりに九州横断 もし富士山が噴火したら? 阿蘇は噴火を警戒して草千里から先は立ち入り禁止でした

2015-11-03 20:07:23 | ★ 日記 ・ 小話

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

久しぶりに九州横断

もし富士山が 噴火したら?

阿蘇は噴火を警戒して草千里から先は立ち入り禁止でした

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このブログはただの旅日記です。面倒くさい話は一切ありません!安心して読み進んでください!

東京から大分までの一番安い移動手段は格安航空券でしょう。

ジェットスターで1時間50分7,800円ポッキリ。富士山を左に見ながら往きは陸の上を飛びました。

富士山の北斜面はもううっすらと雪化粧 この山が噴火したら大ごとだぞ!

大阪湾では関空が、神戸では世界一の吊り橋「明石大橋」が、瀬戸内海に入ると「しまなみ海道」が目の下に見えました。

大分には私のボス、ローマの「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」院長、91歳の平山司教様を、一人住まいの明野のご自宅に見舞うのが第一の目的。

大腸癌の大手術を克服して退院し、今は午前に1時間、午後に2時間のお散歩で、腸の動きを活発にするのだそうです。日本食で楽しく(司教様は私より健啖)お昼を共にした後は、気を使わせて疲れさせてはいけないと思い、泊めてくださるというお言葉を辞退して、知人の家に向かう。

アメリカ人のトムとゆかりさんと一粒種のショーン君、1歳半、の家の二階に宿を取った。

ショーン君とはすぐ仲良しのお友達になった。

夜は大人の時間で、カラオケに

 

 

上を向いたところはどことなくトラさんの渥美清に似ていないか?このマスター自身が大のカラオケ通で、島原のキリシタンの歌をすばらしい喉で歌ってくれた。

 ほかのお客も、NHKののど自慢に出たら鐘三つ鳴ること請け合いの名人芸だった。このカラオケは120%日本人のこころの小宇宙で、七面倒くさいキリスト教なんて全くお呼びでない世界に、言い知れぬ郷愁をおぼえた。歌うことを強いられるでもなく―事実私は一曲も歌わずー、歌と美味いつきだしを肴に、焼酎のお湯割りを何杯おかわりしても、帰るとき2000円ポッキリという不思議なお店だった。今どき珍しい酔っ払い天国だ。私はキリスト教に汚染されていないむき出しの日本の庶民文化の空気に酔いそうになった。

とは言え、キリストの福音を時なるも、時ならざるも告げ知らせねば、という使命感を忘れているわけではないのだが・・・。

臼杵(うすき)の磨崖仏を見せてもらった。

何とも優しい童顔の仏様ではないか。誰がいつごろ彫ったものか、パンフレットを置いてきたので忘れてしまったが、確か平安時代のものではないか、このあたりだけでこんなのがゴロゴロ数十体あった。

   

臼杵といえば竹灯籠で有名な街でもあるそうだ。地震被災地などでよく見かける、太い青竹を斜めに切っただけの素朴なものが基本だが、こんな芸術的なものも売っていた。

信州黒姫のコスモス園は、スキー場の準備があるから、10月中に早々と閉園になったが、九州ではまだ見事に咲き誇っていた。

野上弥生子の文学記念館にも立ち寄った。臼杵出身とは知らなかった。「日本国天皇は野上ヤエに文化勲章を授与する。内閣総理大臣佐藤栄作」の賞状が勲章と共にあった。昭和46年のものだった。

大分で借りたレンタカーで熊本まで九州を横断する途中に、JR阿蘇駅があった。ちょっと東京の原宿駅を大きくした感じだ。ホームには何やら豪華な車両が停車していた。アガサ・クリスティのオリエント急行を思った。

阿蘇の火口を目指して登っていくと、

広々とした牧草地に牛が寝そべっていた。

親子の馬もいた ここが草千里だ

草千里の先は不意の噴火に備えて立ち入り禁止になっていた。3.11東日本大震災以来、日本中の火山が活発化しているように思われてならない。

熊本では元朝日新聞本社の重役、熊本朝日テレビの名物社長、今は引退して悠々自適の I.K. 氏を訪ね、一晩彼の家で彼の手料理と美味しい赤ワインですっかりいい気分になり、そのまま泊めていただいた。キコのシンフォニーを成功させるための貴重なアドバイスを頂いた。ボローニャでの「イッビー朝日賞」授与式で彼の通訳をしたのがご縁だった。

成田への帰途、ふと窓の下を見ると、海面をバックにもう一機の旅客機が殆ど同じ速度で同じ方向に飛んでいるではないか。私は1965年、東京オリンピックの翌年の25歳の時に、インドのカルカッタから羽田まで、国際線を飛び始めたばかりの日本航空機に初めて乗って以来、数えきれないほど世界の空を飛んできたが、同じ方向に並行して飛ぶ旅客機を間直に見たのは今回がはじめてだった。普通は窓の向こう遠くを白い飛行機雲を引きながら、反対方向に矢のようにすれ違うのばかりだった。航空法ではこんなのもありか、と何とも不思議な目を疑いたくなるような光景だった。

待てよ? 空の回廊は一車線で十分な幅の分離帯を取った対面交通が鉄則ではないのか?

 

 

帰りはずっと海の上を飛んで、伊豆大島の上空で機首を成田に向け、間もなく高度を下げ始めた。

伊豆大島は阿蘇山同様にカルデラを持つ活火山島で、中央火口丘の三原山は1957年の噴火で死者を1名出している。

(おしまい)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★ 〔追加補足版〕 最近のバ... | トップ | ★ 韓国、まさかの撤退、その... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

★ 日記 ・ 小話」カテゴリの最新記事