:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ローマより

2011-09-12 00:24:56 | ★ 聖書のたとえ話


谷口神父 メール  09/12/24


今年もあとわずかになりましたが、お変わりありませんか?
ローマから谷口神父です。元気にしています。

このメールに 聖ペトロ大聖堂前の広場の大きな馬小屋の写真を入れようと 
昨日の夕方でかけましたが、まだ最後の仕上げ中で囲いがしてありました。
さすがはいい加減なイタリア!と半ばあきらめ顔で、賑やかなナボナ広場のあたりを散歩して、
路地のバーの写真を撮って帰りました。
ローマならどこにでもありそうな景色です。

 


 ローマに一時避難している高松の神学校もクリスマス休暇です。

外国人の神学生たちは 各地のイタリア人神学生の家庭に引き取られていきました。
院長の平山司教様は ローマの北100キロほどの海辺の町の教会に身を寄せられました。
私は共同体が用意してくれた ローマ市内のアパートに居ます。

 今年は私にとって一生忘れ難い動乱の年になりました。日本を離れ、亡命者のようにローマの神学校に身を寄せています。
高松の神学校は11月30日をもって、最終的に私たちの手を離れました。土地・建物は近く売却処分になるとのもっぱらの噂です。
20年間情熱を傾けて築いた偶像(?)が 音を立てて崩れていくのを体験しました。(ハッと我に帰る思いがしました。)

 昨年の岡山の全国の集まりには、まだお元気だった元高松の深堀司教様(写真中央)、
今ローマで神学校の院長をしておられる 元大分の平山司教様(写真左)が そろってミサの司式をして下さいました。
その深堀司教様も、この9月24日帰天されました。 最後の1週間を親しくお側で過ごせたのは神様の恵みでした。
このスリーショットは今では貴重な思い出です。

 

 今こうして一人静かに暮れ行く年と70年の人生を振り返ると、思い出されるのは自分の罪、奢り、至らなさばかりです。
人に説く前に、自らが回心してその実を証ししなければと思うことしきりです。

 「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)と説いて、
十字架の上で全人類の罪を一身に背負い、その贖いのために33歳の若さで
十字架刑の壮絶な苦しみの末に命を捨てて見せた
ナザレのイエスの後を辿るということの重みをあらためて黙想するこの頃です。

 世俗社会は過去1世紀を費やして、クリスマスがキリストの降誕を祝う日であることを忘れさせるために、あらゆる装置を開発しました。
サンタクロースとトナカイ。ジングルベルとクリスマス商戦。バーやクラブにいたるまで、お金の神様に踊らされてのお祭り騒ぎですが、
そんな時代だからこそ、大失敗と絶望の内に十字架の上で 処刑されて果てる運命を辿るナザレノイエスが 密かに誕生した日であることを、神父としては あらためて真面目に告げなければと思う次第です。 (一時豊かに花開いたかに思われた高松の神学校の運命と重なるものがあります。)

しかし、その彼、キリストは復活してこの世の彼岸で永遠に生きています。
私も貴方もこの十字架によって罪を赦され、彼とともに何時か復活して永遠の喜びに生きる!
という確信を述べ伝えなければと思います。

 高松の神学校は必ず復活する、と言うのも私の固い確信です。

 2010年が皆様にとってよい年でありますように。

 これからもよろしくお願いいたします。 谷口幸紀拝

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★ コメント | トップ | ★ 教皇への手紙 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

★ 聖書のたとえ話」カテゴリの最新記事