:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・

2012-04-20 07:36:14 | ★ ガリラヤの風薫る丘で


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2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・

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 ウイーンのシェーンボルン枢機卿、 元信徒評議会のコルデス枢機卿をはじめ、世界中に86の姉妹校を展開するに至ったレデンプトーリスマーテル神学院の、それぞれの設置者である各国の86人の司教のうち50人余りと、神学校の院長や私のような関係者、合計250~60人が、今年もイスラエルのガリレア湖のほとりのイエスの 「山上の垂訓」 の丘の上にある ドームス・ガリレア に結集しました。

 

完成したドームスガリレアの航空写真 今回わたしが宿泊したのは手前一番下の段の右から3つ目のテラスの奥の部屋だ

各室とも国際基準で5つ星のデラックスホテル並みの設備が整っている

上の左の丸いのが大ホール その右の四角いのが図書館

下の段の左側はマンション風の居住空間に囲まれた円筒形のチャペルの上に山上の垂訓のイエスとと弟子たちの群像が

 

 ドームス・ガリレア と言う総合施設は、キリスト降誕紀元2000年の聖年に前教皇ヨハネパウロ2世がこの丘の斜面で数十万人の世界の若者を集めて「世界青年大会」を開催したのを機会に、教皇自身が第一期工事の落成式を執り行った記念すべき建物で、今や世界のユダヤ教徒とキリスト教(カトリック)の出会いと友好の場となりつつあります。

 

2000年の聖年に教皇ヨハネパウロ2世が主催した世界青年大会は

新求道共同体のリーダーのキコ氏がイスラエル政府から借り上げて造成した緩やかな斜面に展開して開かれた

画面右端の黒い熱除けの巨大テントの下 赤い絨毯のプラットホームに教皇や枢機卿・司教たちが

その前の白い服の集団は神父などの聖職者

イスラエル中から駆り集めた約4千台のバスの駐車場はこの画面の外4キロ離れたところにあり 若者たちはそこから歩いた

左上 ヘリコプターの細い尾の上の方 山裾の C の字型に土が露出しているあたりが今のドームスのある場所

この日 エルサレムからヘリコプターで飛来した教皇の野外ミサに与った青年たちの数は20万人余りだったと記憶する

年寄りの私もその中に居た

 

 左下のテラスにある円筒形の小聖堂と その上の山上の垂訓のイエスと弟子たちの群像 

これもキコ氏とその弟子たちの共同作品 眼下に広がるのはガリレア湖

 

  カトリックの-と言うか-キリスト教の施設には必ずと言っていいほど、目立つところに十字架が立っているものです、厳格なユダヤ教徒-とくに聖職者であるラビたち-は、十字架を掲げた建物には決して入らないものです。ところがこのドームス・ガリレアには目立つ場所に十字架がない。だからというわけでもないでしょうが、このドームスには近年ユダヤ教徒の訪問者が著しく増加し、昨年あたりで年間12万人ほどのユダヤ人がこの建物の入り口を通って行ったということです。


上の段右側の図書館の外観


 シェークスピアのヴェニスの商人にあるように、過去2000年間、ユダヤ人はキリスト教徒によって卑しめられ、貶められてきました。それは、キリストは「神の子メシア」であり、「人になった神」であると信じるキリスト教から、キリストを殺した民、つまり 「神殺しの民」 として断罪されてきたからです。しかも、なぜか優秀な民族であるユダヤ人は、その優秀さの故に嫉妬され、迫害されてもきました。そして、常態的にゲットーに押し込められ、時には民族の存亡にもかかわるような-例えば、ヒットラーによるホロコーストのような-抹殺の対象にもなるのでした。

 ところが、先の教皇ヨハネパウロ2世の時、ユダヤ教徒、つまりイスラエルの民とカトリック教会との関係は、かつてないほど友好的になりました。 (私のブログ 「ちょっとさわやかな話」 

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/af28860920e0e8f809dab37c43c1cbdb 

を参照してください。)

 ところで、ユダヤ民族、イスラエルの民、と言うのは実に神秘的と言うか、不思議な民族で、神に選ばれた民の自覚を持ち、音楽や科学や金融や国際政治の分野などで優秀な能力を発揮し、少数民族でありながら世界史に強い影響を及ぼす反面、すでに触れたとおり、歴史の古い時代から度々民族の存亡にかかわるような苦難に見舞われ、しかもその都度しぶとくそれを生き延びてきた民族です。

 ユダヤ教の信仰の太祖アブラハムが、遊牧生活を捨てて神の約束したカナンの地に定住すると、その孫のヤコブの時代に7年間の干ばつに見舞われ、そこには住めなくなってエジプトに移住を余儀なくされましたが、エジプトでユダヤ人の数が増えると、警戒したエジプト人によって奴隷の地位に落とされて辛酸をなめることになります。モーゼに引き連れられてエジプトを脱出して自由の身になったかと思うと、40年もシナイの砂漠を放浪することになり、やっと再び約束の地に戻ったものの、ヤーヴェの唯一神の信仰を離れて周りの民族のきれいな女達と結婚して彼女らの神の偶像崇拝に流れたため、ヤーヴェの神の罰を受けてバビロンに滅ぼされ、生き延びたものはバビロニアに捕囚として連れ去られ、長い奴隷の苦しみの後、やっとイスラエルの地に戻ることが出来ました。強力な指導者メシアを待望する中で、キリストが現れたが、政治的な指導力を発揮しないキリストに失望し、偽メシアだと思って 十字架の上で始末したら、キリスト降誕70年目にローマ軍にエルサレムを攻め落とされて国を失います。その後は、世界中にディアスポラ(流浪の民)としてに散り散りになり、国を建てることは愚か、個人として土地を持つことも許されず、窮屈なゲットー(居留地)に押し込められ、やむなく金融や商売で身を立てても、成功すると(ヴェニスの商人のように)嫉妬を買って苛められます。復活祭の日曜日の前夜には、金で買収された貧しいユダヤ人が、キリスト教に改宗を強いられ衆人環視の中で洗礼を受けさせられるというような忌まわしいことが、ローマのカトリックの教会で最近まで公然と行われてきたという話も聞きました。(私のようなキツイ言い方では身も蓋もないこの話も、表向きはもちろんもっと優しい美談に仕立てあげられるのでしょう。が、結局のところ実態には何ら変わりがありません。)

 第二次世界大戦中は連合軍の側に賭けて、その見返りにアメリカなどの後押しでようやく約束の地に建国を許されたまではいいが、その後は、国土を死守するために周りのパレスチナやアラブ諸国と絶えず戦争を重ねねばならず、核攻撃により一夜にして全滅する悪夢に苛まれながら回教圏の敵意の前に戦々恐々として生きなければならないユダヤ人のつらい運命をつくづく不思議に思います。彼らがどんな悪いことをしたと言うのでしょう。旧約聖書によれば、彼らは神から選民として特別に愛されたことになっていますが、それに対して他の民族の嫉妬を買ったとでもいうべきなのでしょうか。

 過去2000年の世界史の流れの中で、同じ唯一の創造主の神を拝むユダヤ教とキリスト教は、近親憎悪と言うか、常に犬猿の中であったのが、この10年ほどの間に、急速に関係が改善されてきたような気配が漂い始めたのです。いったい何が起きようとしているのでしょうか。ノストロアダムスの預言ではないが、世の終わりの前に流浪の民ユダヤ人はイスラエルに国を再建し、イエス・キリストが真のメシアであったことを認めてユダヤ教とキリスト教は和解する、と言うような予言がありますが、もしかしたら人類の終末(滅亡の日)が近いのではないかと(私に言わせればそんなことは馬鹿げた全くあり得ない話に思えますが)、真剣に囁く人が出てきてもおかしくない空気さえあります。

 私は、今回のブログを書き始めたときは、全く別のコンテクストで、ドームス・ガリレアにおける今年のレデンプトーリスマーテル神学院の姉妹校の集いで何が行われようとしているのかを、淡々と報告するつもりで書き始めたのに、出だしから話は思わぬ方向に発展して、すでに一回分の量として足りるほどの長さになってしまいました。今から本題に入れば、一回には読み疲れがしてしまうにちがいありません。思い切ってここで区切り、全体を3回ぐらいに分けて、次はなぜドームス・ガリレアにユダヤ人が惹かれてくるのかを説明し終えて、最後に今回の集まりの意義に触れて終ろうかと、方針を転換しました。

では、次回をお楽しみに。


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