:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・②

2012-04-23 11:50:39 | ★ ガリラヤの風薫る丘で


ドームス・ガリレア 空から眺めると大きくて複雑な施設だが 地上から正面に回ると意外と低い単純な建物に見える


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2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・②

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正面玄関のガラスの扉の上の絵は 漁師の船の錨と二匹の魚


 カトリックの宗教施設であるこのドームス・ガリレアに、最近は年に12万人ほどのユダヤ人が訪れるようになった、と前回のブログに書きました。何故そんなことが?まずその疑問に答えなければ、先に進むことが出来ません。

 すでに書きましたように、ユダヤ人が忌避する十字架の印が、目立つところには一つもないという配慮も確かにあります。しかし、ただそれだけのことでしょうか。アメリカをはじめとして、世界中からイスラエルを訪れるユダヤ人は、たいてい土産話の種にと一度は観光でガリレア湖にやってきます。すると、ユダヤ人経営の旅行会社は、観光の目玉の一つとして、必ずと言っていいほどこのドームス・ガリレアをルートの中に組み入れるようになりました。別に話合ってお互いの金銭的利害が一致して了解が出来ていると言うわけでもないのです。自由に中を見て歩いても別に一銭も金を要求されるわけでもない。今回の世界の神学校の会議のような行事などで部外者の立ち入りが制限されていないことだけ事前に電話で確かめておけばいいらしいです。「ではあとで行きますからね」とだけ告げて、どやどやと乗り込んでくる。立ち寄ってお客さんに見せると、みんな喜ぶ。それで、いつの間にか自然にそうなったのでしょう。(一人1ユーロずつ取れば12万ユーロ、それは、えーっと、1,200万円になる。年間の建物補修費は出るのになー、もったいない。オット、これは元銀行マン神父のそろばんでした。キコ氏は何でもタダ。そうでなきゃ!蔭の声

 観光バスを乗り付けて、案内嬢が上のガラスの扉から客を中に案内すると、たいてい準備が出来ていて、ヘブライ語の歌と音楽で歓迎される。ちょっとしたサービス精神のサプライズで人々は大喜び、まずすっかり心が和む。 歌は決まって、

♪ シェマ―イスラーエール ♪ シェマ―・イスラーエ~~ルー ♪ アドナーエロヒムーゥ アドナーァエハー ♪

で始まるヘブライ語の簡単な歌です。

訳せば 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。・・・」

 ユダヤ人、イスラエルの民の聖典「モーゼ五書」の中の「申命記」6章4節のこの言葉は、ユダヤ教徒なら、寝ても覚めても忘れることのできない神の言葉、神の掟です。その言葉を、キリスト教の、カトリックの施設に足を踏み入れた途端に美しく力強い歌声に乗せて聞かされた時の気持ちを思いやってみてくださ。胸がいっぱいになって涙ぐむ人だっているかもしれない。


ユダヤ人観光客を歓迎して 「シェマ―イスラエ~~ル ♪♪」 と歌うドームスの職員たち


 彼らの大きな発見と喜びは、このヘブライ語の歌がこの建物に関わっている者たち自身にとっても、ふだんの祈りのことば、いつもの歌いなれた歌として使われているらしい、ということです。つまり、キリスト教徒なのに、旧約聖書のユダヤ教徒の聖句をヘブライ語で歌っているものたちがいると言うことです。じじつ、私はローマの共同体で、ことあるごとにこの歌を集いの中で歌っています。

 ロビーを抜けて中に入ると、そこにはユダヤ教の聖書の言葉がいたるところに氾濫している。これも彼らにとっては新鮮な驚きです。ここで働いている若い優秀な神父たちは、ヘブライ語もアラブ語も話す、などなど・・・。



 これが、彼らの歴史に、そして心の奥に刻まれた偏見と反感の対象であるキリスト教の、あのカトリックの施設かと、彼らは目を疑うのです。

そして、極め付きはこれだ!


外から見たこの図書館 そこにはガラスの球体の一部が覘いている

中に入って見ましよう



図書館の壁には高価な古い希少本がぎっしり並んでいるが

真ん中にはあの外から覘いていた青いガラスの半球の本体がほとんどの空間占領している

そしてその中心に なにやら防弾ガラスのケースに守られて 安置されているものがある



これなんだかわかりますか?

「トラー」 すなわち ユダヤ教の儀式で用いられる旧約聖書の巻きものです

推定約300年前のもの と言うのが どれぐらいの価値のものか私にはわかりませんが

ユダヤ人たちはここでこれに出会って深く感激する

 ユダヤ人たちは、自分たちがアブラハムの子孫、神に選ばれた民、イスラエルの民であると思っている。その多くはユダヤ人特有の顔立ちや人種的特徴を共有している。それに対して、このドームスに関わるカトリック信者たちは、自分たちのことを新しいイスラエルの民だと思っている。神の民、イスラエルの民であるユダヤ人達を年上の兄弟、兄たちと感じ、自分たちカトリック信者をその年下の兄弟、弟たちと感じて、彼らに対して敬意と親近感を抱いている。そのことが、この施設に入ったとたん、ユダヤ人観光客の心に自然に伝わるのではないでしょうか。

 このドームス・ガリレアの施設を着想し、それを具体的に設計したスペイン人の一信者(神父でも司教でもない)キコ氏は、最近「無垢な者たちの苦しみ」と言う題の組曲風のシンフォニーを作曲した。ギターも弾くし歌も歌うが、全く楽譜の読めない彼としては、ちょっとした冒険だった。彼はその曲をこのドームスの円形のホールにエルサレムをはじめイスラエル中のユダヤ教指導「ラビ」達を招いて、彼らの前で自前のオーケストラとコーラスを動員して演奏した。結果は大好評。聴衆は感激し大反響を呼んだ。キコの音楽は、2000年、いや4000年以上にわたる、イスラエルの苦しみと悲しみに満ちた虐げられた民の心に理屈抜きで染み透る力があったのです。

 イスラエルのユダヤ教を代表するラビは、このシンフォニーを聴いたあとの挨拶の中で、旧約の太祖アブラハムの孫のヤコブ(別の名をイスラエルと言う)の12人の子供たちの話をしました。

 末っ子のヨゼフは父イスラエルに特別可愛がられていい目を見ていた。それをねたんだ11人の兄たちは共謀して、ヨゼフをエジプト人の隊商に奴隷として売りとばした。奴隷ヨゼフはエジプトで出世してファラオの宰相(総理大臣)になった。飢饉がパレスチナを襲ったとき、イスラエルは息子たちにエジプトに下って穀物を買ってくるように言った。11人は自分たちの売りとばした弟ヨゼフがエジプトで宰相になっていることを知って驚き、仕返しを恐れたが、ヨゼフは兄たちを赦し、和解し、父と兄たちをエジプトに呼んで大切にした、と言う話がある。2000年前にナザレのイエスをローマ人に売渡し十字架の上で殺した先祖たちは、実は末の弟をエジプト人に売り渡したイスラエルの11人の息子たちだった。いま長い苦難の歴史の後、11人の兄たちの子孫である我々ユダヤ人は、王の宰相となったヨゼフに相当するキリストに出会い、和解する時が来たのだ、と。これ、ユダヤ教の大教師(ラビ)の口から出た言葉ですよ。

 2000年の歴史の中で、かつてユダヤ教指導者のトップのラビの口から、キリストとキリスト教について、ユダヤ人とキリスト教徒の関係について、旧約のイスラエルの民と新約の新しいイスラエルの民(キリスト教徒)との関係について、兄と弟の絆について、これほど明白な肯定的な説明を聞いたことがあったでしょうか。これほどの言葉を引き出すことに成功したドームス・ガリレアの建物の雰囲気と、そこで演奏されたキコの音楽の力に、私は内心舌を巻いた。

 キコ氏は、このシンフォニーをもってアメリカに殴り込みをかけるつもりのようです。この5月4日ら15日までの間に、ボストン、ニューヨーク、シカゴと、アメリカの有名な交響楽団のホームグラウンドに乗りこむつもりです。ニューヨークフィルのホームベース、リンカーンセンターの「エイブリ―・フィッシャー・ホール」は5月8日と決まっています。この結果を見て、彼は日本でも演奏することに意欲を燃やしています。その時は私がマネージャーなのだそうです。そんなわけで、私は今回のアメリカツアーにも同行することになりました。


「無垢な者たちの苦しみ」のニューヨーク演奏会のポスター

 写真は キコ氏の横顔と 民族抹殺工場アウシュヴィッツのユダヤ人移送貨車

(下の方 5月8日8時開演 の下に 「入場無料」 とあるが 実際はニューヨークのユダヤ人上流社会の招待客で一杯になる)


 またどうやら話半分で一区切りするときが来たようですね。 続きます。


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