竹下佳江選手は世界バレー2006でベストセッター賞と大会MVPを受賞しました。それを根拠に、竹下佳江選手を「世界最小最強セッター」と呼ぶような報道がなされ、その単語は最近でも聞かれます。しかし、私は当時の竹下佳江選手は単なる「世界最小セッター」でしかなかったと思います。
では、ベストセッター賞の根拠は何だったのでしょうか。ベストセッター賞は、ランニングセットの成功数を元に算出されます。ランニングセット成功数は、Bパスの数のうち、それを打てるトスにできた数を指します。当時のリベロは、前年まではアタッカーをしていた「かおる姫」こと菅山かおる選手です。そのような急造リベロが守備の要を担っていて、全日本女子のBパス数はかなり多くなっていました。つまり竹下佳江選手がランニングセットをしなければならない場面が多かったのです。では、そのランニングセットは誰が打ったのでしょうか。それは、乱れたレシーブからの平行トスからブロックアウトを取るのが真骨頂の高橋みゆき選手です。つまり、ランニングセットの質に関わらず、竹下佳江選手がお決まりのぶん投げる平行を上げれば、高橋みゆき選手がブロックアウトを取ってくれたわけです。
結局、竹下佳江選手のベストセッター賞とは、「リベロが下手だったで賞」と「高橋みゆき選手の乱れたトスのブロックアウトが上手かったで賞」が生み出した幻想でしかなかったわけです。
MVPは素人記者の投票で決まります。背が低いのが目に留まったのでしょう。
当時の竹下佳江選手には組み立てという考え方がなく、いま以上にバックトスがバレバレなフォームでした。ブロックも上を抜かれまくり。これで最強セッターなんて考えられません。
竹下佳江選手は、いくらメディアに「世界最小最強セッター」と呼ばれようと、自らを律することを忘れず、猛烈な努力を重ねました。WGP2008イタリア戦や北京ポーランド戦を皮切りに、2009年ごろから組み立てという考え方が実践できるようになりました。バレバレバックトスは完全には治りませんでしたが、それでも溜めを作ったりとトスがバレないような工夫をしました。ブロックは独自のフォームの改良とジャンプ力の向上で159cmには思えないレベルになりました。
アイドルとしてではなく選手として大成し、ロンドンの銅メダリストにまで登り詰めた竹下佳江選手。これからも全日本女子有数の選手として、永遠に記憶されることでしょう。
では、ベストセッター賞の根拠は何だったのでしょうか。ベストセッター賞は、ランニングセットの成功数を元に算出されます。ランニングセット成功数は、Bパスの数のうち、それを打てるトスにできた数を指します。当時のリベロは、前年まではアタッカーをしていた「かおる姫」こと菅山かおる選手です。そのような急造リベロが守備の要を担っていて、全日本女子のBパス数はかなり多くなっていました。つまり竹下佳江選手がランニングセットをしなければならない場面が多かったのです。では、そのランニングセットは誰が打ったのでしょうか。それは、乱れたレシーブからの平行トスからブロックアウトを取るのが真骨頂の高橋みゆき選手です。つまり、ランニングセットの質に関わらず、竹下佳江選手がお決まりのぶん投げる平行を上げれば、高橋みゆき選手がブロックアウトを取ってくれたわけです。
結局、竹下佳江選手のベストセッター賞とは、「リベロが下手だったで賞」と「高橋みゆき選手の乱れたトスのブロックアウトが上手かったで賞」が生み出した幻想でしかなかったわけです。
MVPは素人記者の投票で決まります。背が低いのが目に留まったのでしょう。
当時の竹下佳江選手には組み立てという考え方がなく、いま以上にバックトスがバレバレなフォームでした。ブロックも上を抜かれまくり。これで最強セッターなんて考えられません。
竹下佳江選手は、いくらメディアに「世界最小最強セッター」と呼ばれようと、自らを律することを忘れず、猛烈な努力を重ねました。WGP2008イタリア戦や北京ポーランド戦を皮切りに、2009年ごろから組み立てという考え方が実践できるようになりました。バレバレバックトスは完全には治りませんでしたが、それでも溜めを作ったりとトスがバレないような工夫をしました。ブロックは独自のフォームの改良とジャンプ力の向上で159cmには思えないレベルになりました。
アイドルとしてではなく選手として大成し、ロンドンの銅メダリストにまで登り詰めた竹下佳江選手。これからも全日本女子有数の選手として、永遠に記憶されることでしょう。