信者A 「信仰は、自分の意思では、どうにもならないものだということはわかりました」
黄先生 「……」
信者A 「では、信仰とは一体何なのでしょうか。誰のものなのでしょうか」
黄先生 「そうですね。強いて言えば、信仰は、神のものであって、神から人への贈りものではないでしょうか」
信者A 「……」
黄先生 「だから、人は信仰に執着するべきではないのです。神は、その人の必要に応じて、信仰を与え、または取り去るのですよ。たとえば、その人にとって、B宗教での学びが必要なときは、B宗教への信仰を与え、そこでの学びが終われば、B宗教への信仰を取り上げて、次のステージに進むように促すのです」
信者A 「……」
黄先生 「あなたのように、どんなに努力しても信仰を保てないというときは、『そこでの学びは終わったから、次のステージに進みなさい』という神からのメッセージであると受け止めて、素直に従うのが一番よいのです」
信者A 「そうでしょうか。人が信仰を持つとき、神の力が介在しているという考え方には納得できます。けれども、神が人の信仰を取り去るというのには、どうしても納得できません。人の信仰を取り去るのは、神ではなく、魔ではありませんか」
黄先生 「確かに、そういう場合も皆無ではないでしょう。しかし、あなたのように、強い意思を持ち、精一杯の努力をして、神を求め、信仰を保とうとしている場合には、魔がつけ入る隙などありませんよ」
信者A 「……」
黄先生 「神が、本気で信仰を求めている人を、やすやすと、魔に明け渡すはずがありません。本気で信仰を求めているのに、信仰が得られないときは、神がそれで良しとしているからです。それがその人にとって最良だと判断しているからなのですよ」
(つづく)