信者A 「自分の気持ちに正直になりなさいというのは分かります。けれども、信仰はそれとは別です。気持ち次第でどうにでもしてよいものではありません。信仰は何があっても絶対に手放してはならないものです」
黄先生 「先ほどから、そのような言葉を繰り返してますが、教祖さまが、そういう風に教えているのですか」
信者A 「――はい」
黄先生 「そうですか。率直に言って、『信仰は手放してはならない』という言葉には違和感を感じますね。その言い方では、信仰を所有物かなにかのように見ているようです」
信者A 「そうでしょうか」
黄先生 「そうですよ。『信仰は手放してはならない』というのは、唯物的な発想です。『信仰は私のものだ』という我意がひそんでいます。どうやら、教祖さまは、信者本人の意思で、信仰を捨てたり、掴んだりできると考えているようですね」
信者A 「違うんですか」
黄先生 「違うでしょう。現に、あなたは、強い意思によって、信仰を保とうとしているのに、それができないでいるでしょう」
信者A 「確かに、私は、毎日、信仰心が強まるように努力してますし、祈ってもいます。それなのにその意に反して、信仰が揺らいでしまうんです。乾いた砂が指の間から落ちるように、風を捕まえられないように、信仰は私の心の中に留まってくれないんです」
黄先生 「そうですよね。だから悩んでいるのですよね」
信者A 「……」
黄先生 「結局、信仰というのは、その人の持ち物ではないんですよ。その人の意思だとか、努力だとかを超えたものなのです。信仰は、手放すだとか、手放さないだとか、そういうものではないのです」
(つづく)