「アンチが帰って来るような組織作りを目指してはどうか」という提案
【感想】
上記のやり取りを読み、
いくつかの感想を持ちました。
まず一つは、
すでに、他所でも指摘されていることですが、
一口に、〝信仰〟といっても、
大川隆法を神と信じることと、
この地上を超えた高次なる存在を信じることとは、
別だということです。
大川隆法を神と信じないからといって、
この世を超えた高次なる存在を信じていないとはいえません。
二つ目は、
正当な批判をよしとするならば、
誹謗中傷をも甘受する覚悟が必要だということです。
歴史を見れば、
正当な批判であっても、
「誹謗中傷だ! 冒涜だ!」とみなされ、
圧殺された事例は少なくありません。
一つの発言が、
正当な批判なのか、誹謗中傷なのかの判断は、
当事者には難しいということでしょう。
そうであれば、
正当な批判を認めようとするならば、
正当な批判はもちろん、
正当な批判とは思えない誹謗中傷も認める覚悟が必要です。
三つ目は、
これからは、
聖人、仏陀、英雄などは、
存在しえないだろいうということです。
高度情報化社会においては、
有名人の私生活や、ささいな落ち度も、
大勢の人々に知られるようになっています。
このような状況下では、
聖人、仏陀、英雄などの偶像は、
存在しえないでしょう。
この現実を見れば、
これからは、
地上に生きている教祖を崇拝する型の宗教は
淘汰されていくと思われます。
四つ目は、
自分の判断を確定するのは
全てが終わってからにしてはどうかということです。
・大川隆法と幸福の科学とは何であるか?
・自分にとって、大川隆法と幸福の科学は何であるか?
こういう問いについて、
現時点ではどのようなこたえを持っているにしろ、
最終的なこたえがどうなるのか、最期のときまで分からない、
という慎重さを保持しておくことは大切だと思います。
五つ目は、
既存の宗教、哲学、思想などと比べて、
幸福の科学の教えが優れているかどうかについてですが、
これについては次の記事に書きました。