以前にこのブログで「エノクの預言」という事について取り上げました。しかしその後、再考して一旦、過去に書いた記事については破棄しました。このエノクの預言というのは、簡単に語れる内容では無いものなので、もう少し考察を進めてから紹介すべき内容だと考えたからです。
一応、エノクの預言については、別のサイトに本文をまとめてみましたので、興味のある方は読んでみてください。
1.預言について
本年に入り世界は武漢肺炎(コロナウィルス)のパンデミックにより、大きな騒ぎになっています。こういう時代に入ると、世の中には様々な「預言」というのは顔を出して来ます。これは過去の人類史の中でも、常にあった事です。近年では「マヤ暦の終わり-2012年」なんかでは、様々な憶測が飛びました。この憶測によりハリウッドでは「2012」という映画まで作られたのは、このブログを読む人の中には記憶している人も多いと思います。
しかしながら大半の預言と言った類は、その言葉の周囲の状況に近しい事は発生したとしても、主眼である「人類の存亡」という事について当てた事は今までありませんでした。
そういった事から、人々は「預言」という名前が付くと、興味を以って飛びつきはしますが、その預言に語られる事について、胡散臭さを以って見る事はあったとしても、そのメッセージ性にある重要な事柄について常に無視をしてきたという事ではないでしょうか。
ちなみに私は日蓮という人を信じている立場でもありますが、その日蓮は「立正安国論」という論文の中で、時の幕府に対して「自界叛逆難」「他国侵逼難」という二難が近いうちに起きる事を述べ、その言葉は確かに「二月騒動(北条時輔の乱)」と「元寇(文永・弘安の役)」という事で現実化しました。この事から後世の日蓮を信じる人達の中には、まるで日蓮を「予言者」の様に語り、それこそ釈迦を超える仏の法力を持つが故に、この預言を語ったという捉え方をしている人も多くいます。恐らく創価学会の活動家や、日蓮正宗の信徒、顕正会の人達もその部類に入ると思います。しかし日蓮の事を冷静に考えてみるならば、この二難の預言は「予測」であったと考えるのが妥当なのです。
何故なら日蓮という人は、徹底したリアリストであり、かつ頭脳はかなり明晰であった事が伺えます。当時の鎌倉は、幕府の所在地で「日宋貿易」の中心地でもありました。だから鎌倉に居れば、当時の中国大陸の情勢というのは、しっかりとした情報の人脈を持って入れば入手する事も可能であり、そこから元という国が何を考えているのかは分析する能力があれば、いずれ日本に侵攻してくる事は予測可能であったと思います。また「北条時輔の乱」は北条得宗家の内輪の問題ですが、日蓮は立正安国論を上呈する際、宿屋入道という人物を仲介者として、最明寺入道に提出しました。この宿屋入道は、最明寺入道(北条時頼)の執事の様な人物でもあり、そういった人物と人脈として通じていたという事は、北条得宗家の状況についても、十分知りえる立場であったと思います。そこから日蓮は北条時宗と北条時輔の間にある、得宗家を中心とした不穏な動きをキャッチしていた事も十分に考えられるのです。
私は「預言」というのは、おおむね二種類のものがあると考えています。
一つは「直観力」による預言、もう一つはインテリジェンスに基づく預言。そして日蓮の行ったのは後者の預言だと考えています。しかし世の中には前者の預言というのも多くあり、それらは「直観力」が故に、語られる内容をそのまま鵜呑みにする事は危険であると思うのです。
2.エノクの預言について
ではこの「エノクの預言」とは、どういった預言であるのか。その事について、この預言の本文内には以下の言葉が書かれています。
「預言は常に特定の原因に基づいており、そしてこれらの原因からまた特定の結果が生まれるが、先行する原因が形を変えたならば、これらの結果も常に変わり得る。だから否定的な預言や邪悪な預言も、先行する原因が目的に沿って肯定的に変化し、そこから否定的なものや邪悪なものに代わって肯定的なものや善いものが生じるならば、決して実現することはないのである。」
「したがって私が君に第3千年紀に関するエノクの預言の一部を告げても、それらが必ず本当に実現するということを意味しない。なぜならば、預言の実現というものはいかなる場合も、すでにある原因が維持され、あるいはまた将来新たな原因が生み出されることを前提としているからであり、それによって初めて預言は実現し得るのである。」
ここでは先行する原因と特定の原因の上に語った内容という事が、冒頭で述べられていますが、つまり人類のそれまでの行動、そしてその行動の延長線に予測される結果と、その結果を原因としての予測によりこの「エノクの預言」とは語られているというのです。これはある見方では日蓮が過去に行った予測に近いものではないでしょうか。そしてこの語った時期は1987年という、今から30年以上前の時代なのです。
人の行動とは善しにつけ、悪しきにつけ、瞬間瞬間で変化していくものであれば、やはり30年以上前に語られた内容が、そのまま私達の未来図に合致するという事は考えられず、多少なりとも変化をしている事が考えられます。そして変化をしているという事は、またここで語られた内容とは異なる状況が発生して進行していると考える事が妥当だと思うのです。
そういう事から「エノクの預言」についても、単に言葉をトレースするという読み方ではなく、日本語的に言えば「換骨奪胎」した読み方をしない限り、この預言の真意や目的は読み取れないのではないか。
その様に考えるに至り、再度、この預言については再考が必要なのではないかと考えるに至りました。だから過去記事は一旦、削除させて頂いた次第です。
そいう事から、もう少し考察を加えながら、ここで解釈を進めてみたいと思います。
(続く)