自燈明・法燈明の考察

「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言)を読んで

 あけましておめでとございます。
 このブログを書き始めて1年以上経過しました。このブログでは創価学会への批判を書いていますが、もともと私が考えている事を、思いつくまま書き連ねる目的で書いています。だから学会に対する考察や、それによる批判も書きますが、私の思考はそれだけではありません。だから多岐に渡る内容について書き連ねていきます。

 本年も様々な事を書き連ねていきますので、お時間のある方はお付き合いください。

 さて、この年末年始は「チベットの生と死の書」などを、ちまちま読みながら、また時にはネット上の動画や映画を観て過ごして来ました。そんな中、以下のHPを見つけ少し読みふけっていました。


 友岡雅弥氏は「ブッダは歩む、ブッダは語る」などを著作し、また以前には全国セミナー部長をしていた人だと記憶していて、池田氏の記念提言なども代筆していた人でした。また東洋哲学研究所の所属し、仏教に対する慧眼は素晴らしいの一言の人でした。

 私も創価学会の活動を止めた後、とある機会に少しお話する事があったのですが、その時に「今の創価学会から家族は離した方が良い」と言われた事を今でも覚えています。何でもネットで「白バラ通信パンドラの箱」というブログを立ち上げ、創価学会と対している香川大学の高倉教授が、創価学会の闇の部分を知ったのも、この友岡雅弥氏からの話であったと、以前に耳にした事もありました。

 やはり創価学会の中枢に居て、一時期は池田氏の側にいた人なので、先のHPに記載されている内容は、とても生々しく、末端組織で「清浄無垢な組織・絶対正義の創価学会」を妄信する人達には、その内容は当然、受け入れられるものでは無いでしょう。

 先のHPの詳細について、興味のある方は目を通して頂いても良いかと思うのですが、私はこの内容を読んで率直に感じた事は、友岡氏は池田氏をとても敬愛し、その池田氏の作った創価学会の事が、とても大事で大好きだったんだろうと言う事でした。

 今の信濃町の幹部たちは、確かに池田氏の親派から見たら、許せない存在なのかもしれません。しかし創価学会を「ビジネス組織」として考え、創価学会の会員を「市場」とし、そこに対して「聖教新聞」「文字曼荼羅」「各種の池田氏の書籍」というプロダクト(商品)を売りつけ、「ゴーイング・コンサーン(事業活動の継続)」を考えた時、その「経営層」としての姿であれば、ある意味でビジネス的にはマトモなのかもしれません。

 ビジネス組織であれば、創価学会が売掛や買掛の立場となり、日本社会の中で様々なしがらみもある事から、経済的な責任も当然持っているのでしょう。

 まあ、不正だ派閥抗争だ何だはありますが、こういった事は大企業になれば、どこでも起きうる事なんですから。

 先のHPの中には「※当時の創価学会職員の多くには、名誉会長は理想論、会長は現実論という雰囲気があったと証言するのは、あるベテラン現役職員の言葉」という一文がありましたが、池田氏は自身の理想を語っていた部分は確かにあると思います。そしてそんな「理想論」が、この創価学会という「ビジネス組織」をかきみだしている。その様に幹部連中は感じていたのかもしれません。

 ここからは私の個人的な私見ですが、昭和五十四年の第一次宗門問題では、そういう「理想論」を語る池田氏を、秋谷氏を中心にした幹部達が創価学会から放逐し、無力化しようとしていたのではないでしょうか。秋谷氏を始め、当時の幹部連中の中には、これだけ巨大化した組織でもある事から、権力側とも手打ちをして、他宗教団体と同列となり、経営の継続化を考えていたのかもしれません。
 しかし池田氏には持ち前の「大きなカリスマ性」があり、そのカリスマ性を梃子にして、現場の会員を味方にして、創価学会の中で「SGI名誉会長」として復権した。そういう事ではなかったのかと思います。そして池田氏はより自身の権力の背景となる会員とのつながりを強固にしようとして、文化祭運動を提唱したり、同時中継を提唱したりしていたのかもしれません。そしての行きついた形が「師弟不二」という言葉であったのではないでしょうか。

 本来、宗教団体であれば、教義面についての研究なども進めなくてはならないところでしたが、そもそも日蓮正宗の教義自体も、富士宮の富士山の裾野にあった「山寺の一つ」でしかなく、世界的に拡大するにも、その教義が足かせになるという事も、恐らく池田氏の脳裏にはあったと思います。だからその教義の大きな転換点を第二次宗門問題の時には実施し、合わせて池田氏に異を唱える「現実派」の幹部連中を一掃しようとしたのかもしれません。

 しかし相手も「手練れ」であったので、結局はこの第二次宗門問題で行おうとした池田氏の改革は、道半ばでとん挫し、いわゆる「現実派」と言われる秋谷氏を始め、当時の幹部連中は徐々に力を盛り返してきたという事はないでしょうか。

 そして2010年の同時中継を最後に、当時、体調も悪かった池田氏は表舞台から押し込められ、ただその持てる「カリスマ性」と、それまでの人脈を最大限に活用しているのが、現創価学会の執行部なんだと思います。

 と、、、これは私の個人的な妄想という事ですけどね。

 ただし創価学会の問題というのは、とても複雑で根深いものがあります。
 単なる浪花節で「池田先生を偉大な師匠と見れない現執行部の問題だ」という一言で指摘する事が出来ない問題です。そしてそこの根っこには、牧口・戸田という歴代会長が信じてきた「大石寺の教義」という、思想的な問題があります。そしてその奥には「宗教に対して無防備な人類の脆弱性」も関係している事でしょう。だから先のHPにある、友岡雅弥氏の証言だけを見て、池田氏との師弟関係という視点だけで今の創価学会の問題を捉えると、そもそもの問題の全体観が理解できなくなってしまうのでは無いでしょうか。

 ふと、そんな事を考えてしまいました。

 つらつら書き連ねてきましたが、こんな感じで本年も続けていきますので、よろしくお願い致します。



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