自燈明・法燈明の考察

堅樹院日寛師の教学を見直せ

 創価学会では大石寺の第二十六世貫首である日寛師の教学について、見直しを掛ける事を2014年11月に表明しました。これは「会則改正に伴う教義改正」の動きで、その時に発表された内容は確か以下の項目であったと記憶しています。

 ◆弘安二年の大本尊を受持の対象とはしない。
 ◆日蓮直筆の本尊はみな事の本尊である。
 ◆御本尊は創価学会が認定する。
 ◆日蓮出世の本懐は民衆仏法の確立である。
 ◆日寛師の教学は、今後見直しをかける。

 これを見た時には、良くもまあこれだけ今まで自分たちが「正義」と掲げてきた事を破壊できるものだと驚きもしましたが、残念なのが、当の創価学会の活動家や幹部たちが、この教義改正の内容の大きさに、殆ど気がついてもいないという事でした。この内容に危機感を持ち、異を唱えたのは当時の教学部長の遠藤氏でした。彼は「諌曉の書」なるものを認め、創価学会執行部に提出しましたが、執行部はそんな彼を役職解任と職員解雇という事で報いたのです。しかしこの動きすら、当の創価学会の活動家幹部達は知ることもありません。何とまあ無斬な事だと当時の私は思いましたが、要は今の創価学会の活動家幹部には、教学とかは興味がないという現れなのでしょう。

 先日の任用試験の折り、知人の壮年部幹部から「日蓮大聖人の出世の本懐って変わったのか?」と、私の処に問い合わせがありました。もう教義改正から四年も経ってからです。私は何を言ってんだと言いながら教義改正について教えましたが、その壮年部にしても大して驚きもせずに「そうだったんだ」て終わりました。

 要は教義よりも選挙や新聞啓蒙が大事なのでしょう。しかしそんな彼らは何を広めようとしているのでしょうか。紛いなりにも創価学会とは宗教団体のはずですよね?その宗教団体が自分達の教えにこれだけ無関心というのもどうなんだろうと、私は素朴な疑問すら感じます。

 ただこんな創価学会の教義改正でも、私が一つだけ評価している事があります。それは「日寛師教学の見直し」を掲げている事です。この項目については、私も賛同してしまいました。何故ならば、創価学会や宗門の抱える問題の根っこにある思想とは、紛れもなくこの日寛師の教学にあると私は考えているからなのです。

◆創価学会の支柱思想であった日寛師
 創価学会は過去に二回、その思想的な依処でもあった日蓮正宗と抗争をしています。第一次宗門問題では、創価学会としての教学の解釈が宗門との間で問題となり、結果として当時の会長であった池田大作氏が会長を辞任しました。(この問題の根っこには、教学より別に根深い物がありますが、それはここでは割愛します)

 そして第二次宗門問題では、教学そのモノでガチにぶつかりましたが、その際、創価学会が主張の論拠にしたのが日寛教学でした。対宗門の現場では日寛教学を学び、その応用でもあった波田地教学により、創価学会は日寛教学を「本義」と呼んで、徹底的に宗門を叩きました。またそれかあったればこそ、後に授与し始めた栃木県浄圓寺所蔵であった文字曼荼羅をも、創価学会の会員は容易に受け入れる事が出来たと思うのです。

 しかしそれから四半世紀以上経過して、創価学会はこの日寛教学を見直しすると言い出しました。しかしそこにあるのは日寛師の教学への問題意識ではなく、単に宗門から完全分離をする際に、一番の障害になるという理由でしか無いようです。

◆問題その壱:日蓮本仏論
 鎌倉時代の日蓮を「本仏」として仰ぎ、その日蓮は五百塵点劫当初(そのかみ)に成仏したとして、久遠実成の釈尊をも日蓮の「迹仏(仮の姿の仏)」とするのが、日蓮本仏論です。この日蓮本仏論は、日寛師の前にもすでに存在していた論であり、その根拠は身延相承書であり、池上相承書であり、百六箇抄、本因妙抄、御義口伝とされています。そして日寛師はその日蓮本仏論をより強固にする為に「文底秘沈」という事、また三重秘伝(権実相対・本迹相対・種脱相対)という理論を固めたと言えます。
 しかし昨今の研究により、先の両相承書や血脈抄と呼ばれる御書は、後世における偽作の疑いが濃厚であると言われておりますし、何よりも日蓮本仏論のひな型は、実は天台宗恵心流の中古天台であったという事が判明しています。

 この様な事から、日蓮本仏論は見直しをかける必要があると思われますし、その観点から見ても、日寛師の「六巻抄」についても、より見直しが必要となるのは明らかな事と言っても良いでしょう。

 この「日蓮本仏論」ですが、これが下敷きとなった事で、創価学会の活動家幹部の中に於いても、従来からある仏教思想についても軽視する風潮が出て来たともいえますし、昨今、創価学会で主張している「創価師弟三代の血脈」「師弟不二」という、トンデモ思想の発生を許容していると言っても良いでしょう。

◆問題その弐:板曼荼羅絶対主義
 また日寛師は「六巻抄」にある「法華取要抄文段」において、弘安二年大本尊を「根源」と呼び、その根源の下で各寺院や各家庭にある本尊を「義理の本尊」としてきました。しかしこの大本尊についても、実は後世の偽作であるという事が最近になり言われており、様々な研究が為されて判明してきています。くしくも大石寺の貫首であった故・日顕師は大本尊を「後世の偽作」と言ったと言われていますが、日顕師も一時期は大石寺の教学部長であったという事から、その事を実は知っていたのかもしれません。

◆問題その参:化義の広宣流布
 日寛師は観心本尊抄にある以下の日蓮の言葉。

「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。」

 ここから日蓮は「法体の折伏」をしたのであり、後世の弟子は「化義の折伏」をするという論を述べました。しかし果たしてこの解釈は正しかったのか、そこについても考え直さなければなりません。何故ならば、この広宣流布の考え方を下にして、創価学会では日蓮の文字曼荼羅をばら撒く事を「化義の広宣流布」と呼び、その活動が結果として現在の創価学会の姿を現出させたと言っても良いでしょう。日蓮の求めた広宣流布。また法華経の薬王本事品で述べられた広宣流布とは、そういった事では無かったのではありませんか?

 以上、概略的に日寛師の教学について問題ある事を、つらつらと書いてみました。ここに書いたのは飽くまでも概要であり、より詳細については、今後もう少し掘り下げて書いていくつもりですが、やはり今の時代、堅樹院日寛師の教学については、見直しをしなくてはならないでしょう。

 私はその様に考えています。



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