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バルカンの古都ブラショフ便り

ルーマニアのブラショフ市へ国際親善・文化交流のために駐在することに。日本では馴染みの薄い東欧での見聞・体験を紹介します。

ルーマニア革命

2010年05月10日 00時30分11秒 | ルーマニア事情

 ブログの最終回を書くつもりでしたが、その前にルーマニア革命について一つ書いておきたい事情ができたので最終回はひとつ延期します。その事情とは次の二つです。

1.ルーマニア革命を扱った小説「百年の予言」を書いた高城のぶ子さんが、先月、川端康成文学賞を受けられたとの報に接したこと。(受賞対象は別の作品ではあるが)
2.NHK「仕組まれたルーマニア革命」の放映を見たこと。

 ルーマニア革命の概要: 
 1989年、ベルリンの壁崩壊に象徴される東欧革命により東欧諸国では次々に共産党政権が崩壊していったが、最後に残ったのが強力な独裁で民衆を弾圧してきたルーマニアのチャウシェスク政権であった。そのルーマニアでもハンガリーに近い辺境の街ティミショアラから発した反政府運動はあっという間に全国に飛び火し、一週間後にはデモ隊が首都ブカレストを包囲するまでになった。
 これに対しチャウシェスクは群衆を前に型通りの大政翼賛演説を行い事態の収拾を図ろうとしたが、逆に民衆からの大ブーイングを突きつけられ党本部に逃げ込んだ。そしてヘリで逃亡したが、数日後捕らえられ人民裁判にかけられ即処刑された。

 まさに弾圧された民衆が1000名の犠牲を出しながら一致団結して独裁者を倒したという勇気ある民衆革命として世に喧伝された。

 以上はルーマニア革命について当時TVニュースで伝えられた概要で、自然院も見ていたし前知識として持ってルーマニアに来たのだが、ルーマニア人とこの話題について話をすると、どうもしっくりしないというか、次の2点が疑問として残るのを感じていた。

疑問1:密告制度が完璧に張巡らされた社会にあって、なぜかくも短期間に組織的な民衆蜂起が可能であったのか? 
疑問2:民衆の力が独裁政権に勝利した見事な事例だと言われるが、当のルーマニア人たちはあまり達成感を持っていないのは何故か?  

 つまり、ルーマニア人に「どのようにして秘密裏に武装蜂起したのか?」と聞くと「いつの間にかリーダが現れ、気がついたら銃を握っていた」というような事を言う。「いつの間にかやっちゃっていた。」という感じで「俺たちはやったぞ」という感じではない。
 この違和感については、当ブログで以前(2007年4月17日付)に紹介しましたが、先日のNHK番組を見て、見事に謎が解けました。やはりCIAが関与していたのです。

  NHK「仕組まれたルーマニア革命」の概要:
 当時の米ブッシュ(父親の方)政権は、欧州東西統合後に主導権を握る事を目指してした。一方ソ連ゴルバチョフはペレストロイカを推進したかった。ここにおいて東西の首脳は、チャウシェスクは障害であるという点で一致した。そこでCIAが暗躍し、ルーマニア内の反体制派を煽ったというのが真相である。 CIA元工作員が、その手口を明かしていた。

●外交官を装うCIAが反体制派に接触する。
(「百年の予言」では日本の外交官がブラショフの黒の教会で、秘密警察の目をかいくぐってレジスタンスと接触する場面がある。小説はフィクションではあるが、同じようなことが行われていた。さすが高城のぶ子は着眼が鋭い。)
●自由欧州放送(ドイツから発信されるルーマニア向けラジオ放送)に米が資金提供し、反体制派を煽り、イエリスクを英雄扱いして次期リーダとする機運へ誘導する。
●発端となったティミショアラはハンガリー系住民が多い街である。そこで「チャウシェスクがハンガリー系村落を大量破壊している」とプロパガンダし危機感を煽る。
●武器・銃弾を支給する。
●チャウシェスクには「民衆の前で貴方の力を見せるべきです」とおだて、最後の演説をさせる。一方民衆からのブーイングも、唖然とするチャウシェスクの映像が世界に流れることも計算にいれておく。

 当時、「ルーマニア革命は自然発生的に起こった。」と報じられたが、実はこのような舞台裏があったことが20年経った今明らかにされた。本来、政治(特に外交)には機密がまつわる事も、また国益を考えるとそういう裏事情は当分の間は公表出来ないという事もある程度やむを得ないことだろう。一定の期間を経て、このような舞台裏も白日の下に曝され、その是非が歴史的評価に委ねられるという条件なら、手段を選ばぬ裏工作も一時的には容認されるべきかも知れない。 欧米の政治機密を許容する考え方は、概ね以上のようなものであろうし、それはバランスの取れた考え方であるように思う。
 一方日本では、このようなバランスで処理しようとする考えは醸造されていないように思う。例えば、米原潜の核持込み問題でも、当時の首相が「持込んでない」と答弁したからといって40年経っても「持込んでない」と頑張るのは滑稽に思える。持ち込んだ事を潔く認めた上で、当時日米秘密協定に則り嘘の答弁した事は結果的に国益に叶っていたと正当性を訴え、その歴史的評価を仰ぐ方がよっぽど理にかなった大人のやり方だと思うのだが。
(米では秘密文書が残っているのに、日本では廃棄されて歴史的評価の機会が失われたのは残念。日本人は潔癖過ぎるのか?一度ついた嘘は最後まで守る、守れなければ切腹するという感じかな。「嘘も結果が良ければ歴史的に許される。」くらいの度量を持たないと虚々実々の外交には耐えられないと思う。)

 話が飛んでしまい、また長文になって申し訳ありませんが、ルーマニア滞在中に気に掛かっていたテーマなので、書きました。 なお、2007年4月17日のブログは、下記からもリンクできます。
  http://blog.goo.ne.jp/jinenin/m/200704 旧共産党本部とルーマニア革命

 


ルーマニアの山村

2009年12月28日 23時48分44秒 | ルーマニア事情

 ルーマニアの山村は長閑で好きである。しかし、そこで住んでいる人たちの生活は大変なようだ。国全体が市場経済へ移行してゆく中にあって、農業だけでは現金収入が少なすぎる。そこで若者たちは、ほとんどが街へ出てしまう。過疎化は相当にひどく、村には年寄りしか見あたらないし、空き屋になった家々が朽ちるに委されているという光景が、あちこちに見られる。教会も来る人がいなくなって放置されたものも多い。あと5年10年たったら完全にゴースト・ビレッジとなるのだろうか。

 
写真:廃墟となった村と教会

 トランシルバニア地方は昔からトルコ軍その他と戦って来た土地だけあって、有名・無名とりまぜて多くの砦跡などが残っている。たいていは周囲を見渡せる山の頂上にある。石を運び井戸を掘り・・・・作る時は相当苦労しただろうと思われるが、今は崩れるにまかすという状態である。有名な砦なら改修して観光収入をということもあり得るだろうが、それほどでないなら、仕方がないか。

 まわりで羊飼いが番をしていたりする。それを見ると、自然院もここに生まれていたら、あんな風に終日羊を追っているのかなあと思ったりする。経済大国に生まれ常に何かに追いまくられるような人生を送って来た身には、それでは退屈極まりない生活のように思われるのだが、案外あれはあれで幸せなのかなあとか・・・・・訳の分からない思考に入り込んだりしてしまうので、この辺にしておこう。

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 実は自然院は2009年2月に日本へ帰国しました。帰国後もルーマニアについて紹介したいことが一杯あったので、本ブログを書き続けています。(あと2-3回かな)

 帰国後の日本では趣味三昧の生活を送っていましたが、ふとした縁で中国企業から経営指導をしないかとのお誘いがあり、10月に中国へ赴任しました。
 急激な成長を遂げる中国の実態を新たなブログで報告しますので、これまで同様ご愛読下されば嬉しい限りです。よろしくお願いします。  

  ブログ:中国便り(三国志ゆかりの長沙と万国博の上海から) 
  http://blog.goo.ne.jp/chansha/


ヨーロッパ鉄道の旅

2009年12月06日 14時58分28秒 | ルーマニア事情

 ルーマニアは5カ国に囲まれている。陸続きなのでいろんな国へ鉄道で行ける。ウィーンまで12時間、ブダペスト(ハンガリーの首都)まで9時間、ソフィア(ブルガリアの首都)まで6時間というふうに、夜乗れば朝には到着という距離にあるので便利である。しかも安い。例えばブダペストまで寝台車(2人部屋)で往復しても14,000円(400レイ)。日本のブルートレインの1/3くらい。ただ、深夜に国境を越えるので、寝付いた頃に起こされるのが難点だが。

 ということで、周辺国への旅行には鉄道も随分利用したが、国内の鉄道旅ものんびりしていて捨て難い情緒がある。自然院が子供の頃は、汽車といえば蒸気機関車やディーゼル機関車に牽引されるタイプであったが、いつの間にか全て電車型(各車両に動力がついているタイプ)に変わってしまった。どういうわけか欧州の列車は今でも機関車に牽引されるタイプである。客車には動力部がないので、その分静かである。ゴトンゴトンという線路音だけがノンビリ響いて来るのが嬉しい。

 ノスタルジーをもう一つ。ルーマニアのローカル線では、今でも厚紙に手書きの切符を発行してくれる。薄紙にプリンター刻字される現在の切符に比べて、何となく人の暖か味が感じられる。いつまで続くかなあ。

 ルーマニアに限らず欧州の鉄道で解せないのは、プラットホームが低すぎることである。乗車するにはかなり急角度のハシゴをヨジ登らねばならない。これは老人や、荷物を持った人には大変である。なぜ日本のようにプラットホームを車体床面と同じ高さに揃えないのか?福祉に優しい筈の欧州で疑問の一つである。

 

 
これでも特急が止まる地方駅。狭く低いプラットホーム(と言えるかどうかだが)。単線なので、右側の列車が停車している間に左側の反対車線に列車が入線してくる。挟まれる感じで怖!

首都ブカレスト駅でも、この有様。乗り込むのに一苦労。


(右上)厚紙に手書きされた切符
(右下)夜のブラショフ駅。暗い!!列車から漏れ出す僅かの照明が頼り。目をこらさないと人の顔が見えない。

 


ジプシーについて

2009年11月01日 22時38分57秒 | ルーマニア事情
 ヨーロッパではジプシーを見かけることが多いが、ルーマニアでは特に多い。公式にはジプシー人口は全国民の4%くらいとなっているが、実際は、その倍くらい居るのではないかといわれている。何しろ戸籍登録しないので正確な数字がつかめていないというのが実態である。
ジプシーというと流浪の民ということで、日本人には何かロマンチックなイメージを持つ人もいるが、ジプシーの実態は、そんなものではない。

 彼らは、個人の所有権を求めない。つまり「お前の物は俺の物、俺の物は俺の物」である。田舎においては、農繁期には農作業手助けをするなど一般村人と協調する行動をとるもあるが、畑泥棒と化すこともよくある。都会においては、普段は物乞いをするが、スキあらば窃盗と化す。ごみ箱を漁り散らかし、金属など金になる物を集める。バスや列車に乗り込んで来ると(もちろんタダ乗り)すさまじい異臭を放つので、他の乗客は鼻をつまんだり離れた場所に移動する。
とにかく、一般の社会規範からかけ離れた価値観を持つ人種である。彼らをどうやって社会に調和させるか?これはルーマニア社会にとって大きな課題となっている。2007年にルーマニアがEUに加盟する条件として、ジプシーの人権を尊重することという条項が入っている。このため政府としては、ジプシーに対し戸籍登録し子供を学校へ行かせれば奨励金を支給するなど、定住促進策を図っているが、どうなることか。


 村を歩くジプシー。男は帽子を被り、女は独特の原色サイケ模様の衣裳を纏っているので、すぐにそれと分かる。ジプシーはインドからヨーロッッパへ移動してきた人種で、肌も浅黒く顔形も白人とは明らかに異なる。

(注)「ジプシー」は差別用語であるので、代わりに「ロマ」を使おうという動きがある。筆者はこの考えには与みしないので、敢えて本文中で「ジプシー」としました。

ルーマニアの冬支度

2009年10月11日 00時13分07秒 | ルーマニア事情

 ブラショフは緯度的には、北海道の最北部にあたる。しかも標高600mの所にあるから、冬は長く厳しい。
 夏の間はトマト・キューリなど日本よりずっと美味しかった野菜も、秋が深まるにつれて近農物から、トルコやイタリア・スペインなどからの輸入品に変わって行き、目に見えて鮮度と味が落ちてゆく。(このあたりは、一年中いつも同じ野菜が店頭にならぶ日本と違って、本来の季節感が味わえると言えるのかも知れない。)

 だからルーマニアの人達にとって、長い冬の間、野菜をどう摂取するかは大問題で、いろいろの工夫がなされている。最も一般的な方法は、秋に大量の野菜を仕込んでピクルス化してしまうことである。レストランでも、冬は野菜サラダを頼むとピクルスが出てくる。大きなピクルス用ガラス瓶が並び、ちょっとした秋冬風物となる。
 

  茄子などは、各家庭でも塩漬けにして冷蔵庫に大量に貯蔵する。
 

酒は家で作る人が多い。市販のリキュールに付近でとれたブルーベリーなどで味付けする人もいるし、ブドウを樽に仕込んでワインを作る人もいる。下の写真は、当センターの学生宅で、地下室に発酵用樽や圧搾機を備えて本格的に醸造している。昨年12月初めに試飲させて頂いたが、まだワインとしては若く、クリスマス頃に美味くなるとのことである。

 

ルーマニアの家に招待されると、たいていは自慢の自家酒を振る舞ってくれる。もちろんルーマニア名物ツイカは最も一般的である。日本では、漬物も酒も自家製を作ることは既にすたれてしまったが、この国のように、それぞれの家が伝来の製法と味を守っているのを見ると、なぜか心が和む。


ルーマニアの美女たち

2009年09月22日 16時45分06秒 | ルーマニア事情

 ルーマニアの女性は綺麗だと言われる。確かに欧州の中でも、ドイツ・オランダその他と比べて美人が多いといえる。もっとも、美人比率などという信頼できる統計は存在しないから、全く主観的な判断ではあるが。  
 「ルーマニアの女性の顔が美しく見えるのは、適度な妍があるから」と言った人がいたが、蓋し名言だと思う。妍は刺身の山葵のようなもので、適度にあると生臭い物を引き立ててこの上ない美味を醸し出す。砂糖のように甘ったるいばかりでは、深い味わいは出てこない。顔ばかりでなく、ルーマニア女性は足が長くスタイルが良い。

 しかし、美しいのは15歳くらいから18・19歳くらいまでである。20歳を過ぎると、加齢による経年変化が如実に現れてくる。「山高ければ、谷深し。」 この点、日本女性は、アップダウンがなだらかで賞味期限も長いから、神は平等に人間を創りたもうたのかなと思ったりする。以下の写真は、我がセンターに通ってくる学生たちである。ほとんどが、女子高生・女子大生だから最も旬な時期である。

           

 ルーマニア社会は完全に女性上位である。いろんな夫婦を観察してみても、たいがいは妻がリードしているようである。オフィスでも、たいてい女性の方が数が多い。聞くところによると裁判官でさえ女性の方が多いらしい。それでは、男は何の仕事をしているのかというと、建設現場などが男の独壇場である。つまり知的仕事は女性、力仕事は男性という風に、別れているらしい。
  妻が家にいる場合は、職場からしょっちゅう家に電話するか、さもまければ妻から1日何回も電話を受ける夫の姿がよく見受けられる。(日本でそんなことをしたら私用電話禁止ということになるが、ルーマニアでは公私のけじめは曖昧である。)先日乗ったタクシーでは、走行中に運転手に奥さんから電話が掛かってきた。愛を確かめるために毎日数回掛かってくるのだと言う。「浮気していないかのチェックじゃないの?」と聞いたら、「無論それもあるが、それは自分を愛してくれている証拠だ。彼女は俺のエンジェルだよ。」と堂々とのたまわったのには恐れ入った。

 若いカップルでは、さらに女性優位である。例えば、デートの約束をしていても、女性には随時ドタキャンの権利があるらしい。気が向かなくなったら平気でドタキャンするし、謝る必要もないという。女から電話を掛ける時は一旦ワン切りし、相手から掛かってくるのを待つということも極普通だという。つまり電話代は男に払わせて当然という考え方らしい。
 冬なら女性がコートを着ようとすれば、男は素早く立って手助けすることが求められるし、ルーマニアの男は気の毒な気がする。
日本男児で良かった。 (^ー^)


マイケル・ジャックソンとルーマニア

2009年08月23日 15時06分43秒 | ルーマニア事情

 最近日本のレコードショップのマイケル・ジャックソン追悼コーナでDVD「マイケル・ジャックソン・イン・ブカレスト」が山積みされているのを目にした。1992年、マイケルジャックソンは欧州一巡ライブ・ツアを行い350万人の聴衆を集めた。その中でもブカレストで行ったライブは伝説に残る最高の出来で、その後もこれを超えるライブはないとされる。 
 ルーマニアではチャウシェスク独裁政権が倒れて3年目で西側音楽を熱狂的に受け入るという下地があったし、マイケルもアーティストとして最盛期であった。有名監督が指揮し14台のカメラを駆使して収録されたライブが全米放送された時、視聴率は史上最高の34%を記録し放映権料もワンステージ2000万ドルと史上最高に達したという。

 ところで、マイケルジャックソンのブカレスト訪問には面白いエピソードも残っている。チャウシェスクが権威を内外に誇示するために、国民の生活を犠牲にして豪華な国民の館を建設した話は、前のブログ(2007-1-27版  http://blog.goo.ne.jp/jinenin/e/acb7f5f74b573f35141c7bb7a57e10c8 )に書いた。ここのベランダはチャウシェスクが大演説をするために作られた。しかしチャウシェスク以外に、このベランダに立った男がいる。それがライブのためブカレストを訪問したマイケル・ジャックソンであった。
 彼は熱狂する大群衆を前に「ハロー・ブカレスト!」と叫ぶ予定だった。 ・・・・・ が、何を間違ったのか「ハロー・ブダペスト!」とやってしまったという。しかし、ブカレスト市民は彼を暖かく迎え、帰国し他後も「マイケルにノーベル平和賞を!」と要求するデモが繰り返されたという。

 
シャンゼリゼ通りを模した「統一通り」。通りの奥に国民の館がそびえる。


国民の館のベランダから統一通りを望む。ここからはマイケル大群衆に向かって叫んだ「ハロー ・・・・・・」

 ブカレスト・コンサートで体力を使い果たしたマイケルは欧州ツアーを突如中断し、その後は体力にもアーティストの力量も衰退していった。


ルーマニアで見た能

2009年02月24日 11時40分49秒 | ルーマニア事情

 ルーマニアの首都ブカレストで能が上演されることになりましたので観にゆきました。日本の3大伝統芸能は歌舞伎・能・文楽です。歌舞伎は去年上演され、2008年7月6日の弊ブログで紹介しました。(http://blog.goo.ne.jp/jinenin/e/c9a7518902f9733dfe83c8e40b03c38e) 文楽は今年10月にルーマニア・ブルガリアでも上演できるよう日本ブルガリア協会が国際交流基金へ支援申請中で、私もブラショフでの公演が実現するよう協力しているところです。

 自然院としては、観世流謡曲を師について習い免状も頂いている関係上、これら日本の伝統芸術が外国でどのように受け入れられるかという課題について、赴任以来ずっと関心を持ち、それなりに模索もして参りました。だから今回の演能については、人一倍関心があり楽しみにしていたわけです。

 
 国立劇場 (赤い矢印の所に能の看板が見えます。)

 演目は「葵上」。シテは観世流・武田志房氏。演技は素晴らしいものでした。しかし、どれくらいルーマニア人に受け入れられたのか、これは大きなクエッション・マークです。公演後、あるルーマニア人の要人が日本大使に感想を聞かれて「非常にユニークだった。」と答えていました。これが、ある意味では精一杯の答えかなと、つい苦笑してしまいました。

 日本の伝統芸能の魅力は、文学的要素、音楽的要素そして演技的要素です。文学的要素で言えば、例えば歌舞伎で「月も朧に白魚の 篝(かがり)もかすむ春の空 冷てえ風にほろ酔いの 心持ちよくうかうかと ・・・・(三人吉三巴白波)」という風に、日本人には七五調の名文句が心地よく響くわけですが、日本語を知らない外国人には、この面白さは分からないですね。それでも外国人に対してはガイドフォンなどで同時通訳・解説していますから、ある程度理解の助けにはなります。これが能になると、掛詞・縁語の連続で歌舞伎の台詞よりも遥かに難解であるにもかかわらず、このような工夫が一切ありません(公演の冒頭に全体の説明があるが)。日本においても、歌舞伎座にはガイドフォンが常備され解説者も個性的で人気者となっている人さえいるという状態なのに対し、ガイドフォン設備のある能楽堂はありません。能楽関係者には普及させるための努力が欠如してます。これは昔から観能者は能楽を学んでいる人が主流だったため、そのような工夫は不要であったためと考えられますが、時代のニーズを汲み取らなければ取り残されるのではないかと危惧します。

 次に音楽的要素。ピアノとバイオリンを基調とした西洋音楽に慣れ親しんだ西洋人にとって、鼓と笛を中心とした独特の音階と拍子を持つ日本音楽を、どれほど受け入れてくれるのか。正直なところわかりません。新鮮に思ってくれる人もいるでしょうが、少数でしょうね。

 次に演劇的要素。昨年の歌舞伎では勘三郎さんたちの派手なアクションが大受けで盛り上がりました。能の場合は動きがスローなので、誰もが満足するというわけにはいかないでしょう。

 普通の日本人にも敷居が高い能が、海外で本当に受け入れられたのかどうか、自然院にも正直よくわかりません。能が初めてパリで海外公演したとき、一部の有力紙は「世界に類のない素晴らしい文化」と書いたが、一般の大衆紙は「舞台の上をただ歩きまわっているだけの退屈な芝居」と書いたそうです。今回の関係者のコメントを読むと「入場券が完売になるほどの人気だった。」というようなこととが書いてありました。入場料は日本円にして600円ほどの安さ。完売というだけで単純に成功とは言えないが、成功であって欲しいという気持ちから、今回は少し辛口の記事としました。


1月

2009年01月30日 00時41分33秒 | ルーマニア事情
 1月中旬にブラショフへ帰って来ました。ブラショフは年末から年初にかけて相当寒かったようで、夜はマイナス25度、昼間でもマイナス20度という状態が3週間ほど続いたそうです。私が帰った時には峠を越えていたので、「うまいこと帰ってきたね。」と周りから言われました。自分も内心ではそう思っても、「そうだよね。」とは、ちょっと言えない雰囲気でした。

 1月20日のオバマ大統領の就任式実況をCNNで観ました。(時差の関係で、当地の夜に丁度実況されていました。)演説もパレードもすごい熱狂でした。パレードの途中では、何度か防弾ガラス装備の車から降りて沿道の民衆に手を振りながら夫婦で歩く姿が印象的でした。大丈夫かなと心配もしましたが。(「ゴルゴ13」の読みすぎか?)

 昨年は、アメリカの悪い面(過度な保守主義に凝り固まったWASP支配、金融工学の破綻など。)が極端に出てしまった年でした。反動で大きな変化を求めれば、初の黒人(と言っても白人とのハーフ)大統領出現をということになるのでしょう。こんなところがアメリカのダイナミズムで、日本にはない活力と言えるかも知れません。

  この熱狂ぶりを見ていると、ケネディ―大統領の時代を彷彿とさせます。ケネディーが大統領になったのは、自然院が中学2年の時、そしてダラスで暗殺されたのは高校3年のときでした。ケネディー暗殺の日、自分が何をしていたかを覚えているという人は結構いるといわれますが、自然院も覚えています。模擬試験を受けに行く途中で号外を見て衝撃を受けました。その日が衛星放送の開始日で、最初に流れたニュースが、この事件だったというのも劇的でした。

 ケネディーの演説の格調高さはピカイチで、傾倒する若者も多い時代でした。自然院もケネディー崇拝者というほどではないにしろ、ケネディーの演説を丸暗記する暗唱大会に参加したりしました。そしてケネディーの声色(アイリッシュなまりと声高いトーン)を真似て得意になったりしていた覚えがあります。 この頃覚えたスピーチは今でも暗唱できます。

 JFKに続いて弟のロバート・ケネディーも暗殺されたり、JFKの後を継いだジョンソン大統領が不評過ぎたこともあって、ケネディーは死後かなり美化された面もありますが、やはり彼の魅力はリベラルにアメリカの理想を掲げて邁進しようとしたことだと思います。その理想主義が保守派の人たちの強い反感を買っていたことも見逃せません。当時アメリカにいた知人の日本人の話によると、「ケネディーが演説している会場の後方では、多くの右翼保守派が『ケネディーぶっ殺してやる。』といった調子で騒いでいた。ケネディーは危ないぞという予感を誰もが持つ状況だったのに、日本のマスコミはケネディーに陶酔する前方の聴衆ばかりを表層的に見て、抵抗勢力の根強さを報道することはなかった。」と言っていました。マスコミは記事にしやすい華やかな面だけをとらえて商売にする。地道に何が起こっているかを掘り起こすことは努力の割にペイしないので、やらない。これは今も変わらない傾向でしょう。マスコミは正義面をしても決して正義の味方ではない。売れてなんぼのビジネスだから仕方ない。せめて騙されないように心掛けたいと思う次第です。

 ともあれ、アメリカは世界協調路線を標榜する大統領に変わりました。彼の演説も格調高い。期待しましょう。(するしかないというのが、本音ですが。)

書初め

2009年01月08日 18時04分48秒 | ルーマニア事情

 正月に書初めをした。筆を持つと適度な緊張感に包まれて気持が良い。書初めは、日本の素晴らしい習慣だと思う。

 

 昨年秋から世界の景気は暗転した。日本のTVニュース・ワイドショウーでは、「失業者の密着取材」のような番組が多い。画像にしやすく、情に訴え易いからか。確かに失業の実態は深刻ではあるが、そんな表面に現れた現象よりも、なぜこういう事態に至ったかを、もっと冷静に深堀する番組があってもいいように思う。「非正規雇用の増加を許した政治が悪い。」と言う人が多いが、嘗ての日本の金融危機の時、雇用も含めた規制緩和で日本経済が立ち直ったという事実も忘れてはならない。これらプラス面・マイナス面も含めて、是々非々で議論する必要があるように思う。どうも日本のマスコミの論調は情緒に流れているように思う。 

 一方、欧州のニュースは、ガザ地区の爆撃がダントツでトップ、次いでロシアのウクライナ制裁によるガス供給停止などが続く。日本のニュース内容に比べると、ずいぶんキナ臭い感じがある。

 東欧では、昨年来の金融危機で西欧諸国からの支援が減退するとの見方が拡がり、ハンガリー、ウクライナはIMFに緊急支援を要請する事態となった。ルーマニアも一時通貨が暴落するなどの現象が見られたが、その後持ち直し危機は脱したように言われた。しかし年明けになって、支援頼みの経済拡大政策が問題視され、EU唯一の投資不適格国に格付けされるなど、予断を許せない状況になってきた。

  まあ、あんなこんなで今年はもっと波乱の年となりそうな気配ですが、せめて願いを込めて「壽」と書初めした次第です。

本年も、当ブログをご愛読下さい。