バルカンの古都ブラショフ便り

ルーマニアのブラショフ市へ国際親善・文化交流のために駐在することに。日本では馴染みの薄い東欧での見聞・体験を紹介します。

ルーマニアの山村

2009年12月28日 23時48分44秒 | ルーマニア事情

 ルーマニアの山村は長閑で好きである。しかし、そこで住んでいる人たちの生活は大変なようだ。国全体が市場経済へ移行してゆく中にあって、農業だけでは現金収入が少なすぎる。そこで若者たちは、ほとんどが街へ出てしまう。過疎化は相当にひどく、村には年寄りしか見あたらないし、空き屋になった家々が朽ちるに委されているという光景が、あちこちに見られる。教会も来る人がいなくなって放置されたものも多い。あと5年10年たったら完全にゴースト・ビレッジとなるのだろうか。

 
写真:廃墟となった村と教会

 トランシルバニア地方は昔からトルコ軍その他と戦って来た土地だけあって、有名・無名とりまぜて多くの砦跡などが残っている。たいていは周囲を見渡せる山の頂上にある。石を運び井戸を掘り・・・・作る時は相当苦労しただろうと思われるが、今は崩れるにまかすという状態である。有名な砦なら改修して観光収入をということもあり得るだろうが、それほどでないなら、仕方がないか。

 まわりで羊飼いが番をしていたりする。それを見ると、自然院もここに生まれていたら、あんな風に終日羊を追っているのかなあと思ったりする。経済大国に生まれ常に何かに追いまくられるような人生を送って来た身には、それでは退屈極まりない生活のように思われるのだが、案外あれはあれで幸せなのかなあとか・・・・・訳の分からない思考に入り込んだりしてしまうので、この辺にしておこう。

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 実は自然院は2009年2月に日本へ帰国しました。帰国後もルーマニアについて紹介したいことが一杯あったので、本ブログを書き続けています。(あと2-3回かな)

 帰国後の日本では趣味三昧の生活を送っていましたが、ふとした縁で中国企業から経営指導をしないかとのお誘いがあり、10月に中国へ赴任しました。
 急激な成長を遂げる中国の実態を新たなブログで報告しますので、これまで同様ご愛読下されば嬉しい限りです。よろしくお願いします。  

  ブログ:中国便り(三国志ゆかりの長沙と万国博の上海から) 
  http://blog.goo.ne.jp/chansha/


ヨーロッパ鉄道の旅

2009年12月06日 14時58分28秒 | ルーマニア事情

 ルーマニアは5カ国に囲まれている。陸続きなのでいろんな国へ鉄道で行ける。ウィーンまで12時間、ブダペスト(ハンガリーの首都)まで9時間、ソフィア(ブルガリアの首都)まで6時間というふうに、夜乗れば朝には到着という距離にあるので便利である。しかも安い。例えばブダペストまで寝台車(2人部屋)で往復しても14,000円(400レイ)。日本のブルートレインの1/3くらい。ただ、深夜に国境を越えるので、寝付いた頃に起こされるのが難点だが。

 ということで、周辺国への旅行には鉄道も随分利用したが、国内の鉄道旅ものんびりしていて捨て難い情緒がある。自然院が子供の頃は、汽車といえば蒸気機関車やディーゼル機関車に牽引されるタイプであったが、いつの間にか全て電車型(各車両に動力がついているタイプ)に変わってしまった。どういうわけか欧州の列車は今でも機関車に牽引されるタイプである。客車には動力部がないので、その分静かである。ゴトンゴトンという線路音だけがノンビリ響いて来るのが嬉しい。

 ノスタルジーをもう一つ。ルーマニアのローカル線では、今でも厚紙に手書きの切符を発行してくれる。薄紙にプリンター刻字される現在の切符に比べて、何となく人の暖か味が感じられる。いつまで続くかなあ。

 ルーマニアに限らず欧州の鉄道で解せないのは、プラットホームが低すぎることである。乗車するにはかなり急角度のハシゴをヨジ登らねばならない。これは老人や、荷物を持った人には大変である。なぜ日本のようにプラットホームを車体床面と同じ高さに揃えないのか?福祉に優しい筈の欧州で疑問の一つである。

 

 
これでも特急が止まる地方駅。狭く低いプラットホーム(と言えるかどうかだが)。単線なので、右側の列車が停車している間に左側の反対車線に列車が入線してくる。挟まれる感じで怖!

首都ブカレスト駅でも、この有様。乗り込むのに一苦労。


(右上)厚紙に手書きされた切符
(右下)夜のブラショフ駅。暗い!!列車から漏れ出す僅かの照明が頼り。目をこらさないと人の顔が見えない。