意外に思われるかも知れないが、源氏物語はルーマニアの若者の間でもよく読まれている。それは日英バイリンガルのマンガの貢献によるものである。大和和紀著「あさきゆめみし」。日本で一時ブームとなり、若者を古典に親しませたという評価もあるが、ある30代の女性によると「原作を読まなくなるからという理由で高校では禁書となりました。」心の狭い教師もいるものだ。
♪ 光る源氏の夜遊びを
いみじゅうおかしと言うけれど
俺たちゃちっとも おかしかねえ
いやな古文を やめちまえ
自然院の高校の時(45年も前になるが)、学校でアングラ的に流行った歌である。「ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた・・・・」のメロディで歌うとよく合う。(試しに歌って下さい。)
学校で強制的に古文を習わされると、若者の常として反抗してみたくなり、こんな自虐歌を歌って溜飲を下げたりした。この歌は全科目にあり、例えば、
♪ 三角形の一辺が
他の二辺の総和より
短かろうが長かろうが
俺は知らない 幾何やめろ
しかし、還暦を過ぎたこの年になると、何故か「自発的に」源氏物語を読んで見たくなる。だから高校の時に古典を無理矢理に読ませるというのも、意味があるのかも知れない。
今回は与謝野晶子の現代訳を読んだ。血筋も良く(天皇の子)、歌舞管弦でも和歌の道でも並ぶ者がないほどの才能があり、全ての女をウットリさせる美貌を持つ男なんて、あまりに出来すぎで、何がおもしろいものかと最初は思った。しかし、読んでゆくうちに少し考えが変わっていった。確かに、どんな女もイチコロというのでは、「いかに女を落とすか」という男の視点から見ればこんなに都合の良すぎる(従って、つまらない)小説はない。しかし、視点を変え、主人公は源氏ではなく周りの女たちであると考えたらどうであろうか?そうすると源氏は単に女達を繋ぐ共通項に過すぎないことになる。そう考えると、女性たちが生き生きと個性的に描かれていて、なかなかおもしろい。作者が女であることを考えると当たり前のことかもしれないが、その当たり前のことに気づくまで恥ずかしながら少々時間を要した。
それにしても大胆なストーリーである。母親似の女性を熱烈に恋慕うマザコンあり、ロリコンもあり、少女拉致あり、家宅侵入は頻繁にあり、強姦すれすれの和姦あり、これらの罪を権力で押さえつけるというパワハラもある。父帝の側室を寝取ってしまい、その大不倫で生まれた子が後に天皇となる。兄帝の側室も寝取ってしまうが、兄帝は側室に「朕より源氏の方が魅力ある男なのだから、源氏にに惹かれるのも無理はない」などと理解を示すのだから、何とも情けない天皇である。・・・ フィクションとはいえ、こんなワルのストーリーが、天皇の権威を失墜させると問題にならなかったのだろうか? この小説が明治時代に書かれていたなら、紫式部はおそらく不敬罪になっていたのではないか。そう考えると、天皇も含め貴族達が喜んで回し読みしたという平安時代は、摩訶不思議。当時の貴族は余程暇だったのだろうか? こんな大らかな男女関係を認める社会は世界に類を見ないのではないか。中国や韓国では宦官制度だから、こんな宮廷ラブストーリーはあり得ない。日本独特。いみじゅうおかし。
源氏物語の後半は源氏が死んでからの話になるが、この部分はやや退屈である。源氏物語は長いから、これから読まれる方は先ず前半の玉鬘十帖くらいまでに挑戦されることをお勧めします。
時代を超え国を超えて、勝手気ままに想像を巡らしながら楽しむのが自然院流の読書です。気まぐれな読後感に付き合って頂き感謝します。
♪ 光る源氏の夜遊びを
いみじゅうおかしと言うけれど
俺たちゃちっとも おかしかねえ
いやな古文を やめちまえ
自然院の高校の時(45年も前になるが)、学校でアングラ的に流行った歌である。「ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた・・・・」のメロディで歌うとよく合う。(試しに歌って下さい。)
学校で強制的に古文を習わされると、若者の常として反抗してみたくなり、こんな自虐歌を歌って溜飲を下げたりした。この歌は全科目にあり、例えば、
♪ 三角形の一辺が
他の二辺の総和より
短かろうが長かろうが
俺は知らない 幾何やめろ
しかし、還暦を過ぎたこの年になると、何故か「自発的に」源氏物語を読んで見たくなる。だから高校の時に古典を無理矢理に読ませるというのも、意味があるのかも知れない。
今回は与謝野晶子の現代訳を読んだ。血筋も良く(天皇の子)、歌舞管弦でも和歌の道でも並ぶ者がないほどの才能があり、全ての女をウットリさせる美貌を持つ男なんて、あまりに出来すぎで、何がおもしろいものかと最初は思った。しかし、読んでゆくうちに少し考えが変わっていった。確かに、どんな女もイチコロというのでは、「いかに女を落とすか」という男の視点から見ればこんなに都合の良すぎる(従って、つまらない)小説はない。しかし、視点を変え、主人公は源氏ではなく周りの女たちであると考えたらどうであろうか?そうすると源氏は単に女達を繋ぐ共通項に過すぎないことになる。そう考えると、女性たちが生き生きと個性的に描かれていて、なかなかおもしろい。作者が女であることを考えると当たり前のことかもしれないが、その当たり前のことに気づくまで恥ずかしながら少々時間を要した。
それにしても大胆なストーリーである。母親似の女性を熱烈に恋慕うマザコンあり、ロリコンもあり、少女拉致あり、家宅侵入は頻繁にあり、強姦すれすれの和姦あり、これらの罪を権力で押さえつけるというパワハラもある。父帝の側室を寝取ってしまい、その大不倫で生まれた子が後に天皇となる。兄帝の側室も寝取ってしまうが、兄帝は側室に「朕より源氏の方が魅力ある男なのだから、源氏にに惹かれるのも無理はない」などと理解を示すのだから、何とも情けない天皇である。・・・ フィクションとはいえ、こんなワルのストーリーが、天皇の権威を失墜させると問題にならなかったのだろうか? この小説が明治時代に書かれていたなら、紫式部はおそらく不敬罪になっていたのではないか。そう考えると、天皇も含め貴族達が喜んで回し読みしたという平安時代は、摩訶不思議。当時の貴族は余程暇だったのだろうか? こんな大らかな男女関係を認める社会は世界に類を見ないのではないか。中国や韓国では宦官制度だから、こんな宮廷ラブストーリーはあり得ない。日本独特。いみじゅうおかし。
源氏物語の後半は源氏が死んでからの話になるが、この部分はやや退屈である。源氏物語は長いから、これから読まれる方は先ず前半の玉鬘十帖くらいまでに挑戦されることをお勧めします。
時代を超え国を超えて、勝手気ままに想像を巡らしながら楽しむのが自然院流の読書です。気まぐれな読後感に付き合って頂き感謝します。