バルカンの古都ブラショフ便り

ルーマニアのブラショフ市へ国際親善・文化交流のために駐在することに。日本では馴染みの薄い東欧での見聞・体験を紹介します。

マイケル・ジャックソンとルーマニア

2009年08月23日 15時06分43秒 | ルーマニア事情

 最近日本のレコードショップのマイケル・ジャックソン追悼コーナでDVD「マイケル・ジャックソン・イン・ブカレスト」が山積みされているのを目にした。1992年、マイケルジャックソンは欧州一巡ライブ・ツアを行い350万人の聴衆を集めた。その中でもブカレストで行ったライブは伝説に残る最高の出来で、その後もこれを超えるライブはないとされる。 
 ルーマニアではチャウシェスク独裁政権が倒れて3年目で西側音楽を熱狂的に受け入るという下地があったし、マイケルもアーティストとして最盛期であった。有名監督が指揮し14台のカメラを駆使して収録されたライブが全米放送された時、視聴率は史上最高の34%を記録し放映権料もワンステージ2000万ドルと史上最高に達したという。

 ところで、マイケルジャックソンのブカレスト訪問には面白いエピソードも残っている。チャウシェスクが権威を内外に誇示するために、国民の生活を犠牲にして豪華な国民の館を建設した話は、前のブログ(2007-1-27版  http://blog.goo.ne.jp/jinenin/e/acb7f5f74b573f35141c7bb7a57e10c8 )に書いた。ここのベランダはチャウシェスクが大演説をするために作られた。しかしチャウシェスク以外に、このベランダに立った男がいる。それがライブのためブカレストを訪問したマイケル・ジャックソンであった。
 彼は熱狂する大群衆を前に「ハロー・ブカレスト!」と叫ぶ予定だった。 ・・・・・ が、何を間違ったのか「ハロー・ブダペスト!」とやってしまったという。しかし、ブカレスト市民は彼を暖かく迎え、帰国し他後も「マイケルにノーベル平和賞を!」と要求するデモが繰り返されたという。

 
シャンゼリゼ通りを模した「統一通り」。通りの奥に国民の館がそびえる。


国民の館のベランダから統一通りを望む。ここからはマイケル大群衆に向かって叫んだ「ハロー ・・・・・・」

 ブカレスト・コンサートで体力を使い果たしたマイケルは欧州ツアーを突如中断し、その後は体力にもアーティストの力量も衰退していった。


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