ビンラーデン社はサウジ最大のゼネコンである。オイルショック後、大規模工事を目当てに海外の有力ゼネコンがサウジに群がる中、民族資本による本格ゼネコンを育成したいとの国策に沿って生まれた。オーナーは王族とのコネを利用して美味しい工事を優先的に受注し、規模的には世界でも有数のゼネコンにまで育った。主要な建設機械は従来米C社が独占していたが、我がK社もその頃から積極的な売り込みをかけ、自然院の在任中にはかなりの販売に成功するまでになっていった。
オーナーは多数の妻達に子どもを生ませ、優秀な息子達を選んで会社の幹部に登用していた。28番目の息子が、後に無差別テロで世界を震撼させたオサマ・ビンラーデンである。今から考えると、あの頃の商談ではオサマの父親や兄達に会っていたことになる。(オサマは当時25才くらいで、ゼネコンには関わっていない。)

オサマは報道に依ると、若い頃からイスラム原義に忠実たらんとする気持ちが人1倍強く、湾岸戦争に際してサウジ政府がアメリカに協力して国内の基地使用を認めた結果、女兵士が肌も露わな姿で入って来たことが神への冒涜と映り、過激な抗議行動に出た。サウジでは政治行動は厳しく規制されている。父親も苦慮したが、結局は勘当した。オサマは、その際相続した財産(手切れ金)を元にアルカイダを組織し、既に死に体であったアフガンを掌中に収め、さらに9・11へと活動を拡げた。
それにしても、28番目の息子が、1国を支配するのみならず世界をテロの恐怖に陥れる財源として足るだけの額を相続するとは!! ・・・・ それでは、ビンラーデン本家の財産は一体どれほどあるのだろうか? 王家に次ぐ資産とも言われるが。(考えても、無益?所詮下司の勘ぐり?)
サウジとアメリカの関係はデリケートである。
話は石油が発見された1932年にまで遡る。当時、中東石油はイラン・イラクが中心でイギリスが利権を独占していた。アメリカは中東での利権の一画に食いこみたいと虎視眈々狙っていたところ、幸い試掘権を得ていたバハレーン島で油田が発見された。新油田の詳細調査のためアメリカから技術陣が送り込まれた。その1人がふと、対岸の地相がバハレーンに酷似していることに気が付いた。技術者達はすわやと対岸に急行し、夢中で地質調査を開始した。果たして大当たり! 当時石油はアラビア海の東北側(イラン・イラク)にのみ埋蔵されているというのが定説で、西側(サウジ)は放置されたままになっていたが、ここに次々と大油田が発見された。世界最大の輸出量を誇るサウジ石油発見のドラマは、ざっとこんなものだったらしい。
サウジはアメリカ企業に採掘を委ねることにより莫大な石油収入を得ることができるようになり、一方アメリカは念願の石油利権の主導権をイギリスから奪取し、その後原油市場は米メジャー7社による世界支配が続くことになった。サウジとアメリカの蜜月時代の基盤はこのようにして築かれた。冷戦時代、イランもイラクも東と西の間を振り子のように揺れ動くが、サウジは一貫して親米路線を貫く。但し、兵器供与などでアメリカがイスラエルへの好意的政策を露わにした時だけは、アラブの一員としてアメリカに批判的になる。
以上は、政治・経済面であるが、文化面ではどうか? 実はこれが難題である。
サウジは最も戒律が厳しいワハーブ派が国教である。飲酒が露見すれば即牢屋にぶち込まれる。さらにメッカ・メジナを擁しているので、世界のモスレムの守護役を自認している。ハッジ(巡礼)月には、国内から百万人、海外から百万人、合わせて2百万人の巡礼者がメッカに訪れるが、そのための宿泊所やバスを無料で提供するといった大尽的振る舞いを行う。
しかし、イスラム教義を忠実に実行しようとすればするほど、欧米式の経済を取り入れるに当たっては、文化面・習慣面でことごとくディレンマに陥ることになる。
例えば、
【課題1】前回述べた銀行での利息の問題も、利息を取らなければ資本主義経済とはならない。どうするか?
【答え】銀行が貸す場合は利息でなく手数料として徴収する、といったレトリック解決。
【課題2】イスラムの教えでは女性は外で働くことを禁じている。それでは、看護婦はどうするのか?スチュワーデスは?
【答え】外人女性を雇う。これによりサウジ女性が働くことは避けられる。
何だか辻褄合わせをして凌いでいるだけというのが現実であるが、今後どこまで西欧化すべきかという抜本的問題については、開明派と民族派で意見を異にする。
【開明派】そんな辻褄合わせは噴飯ものである。イスラムの戒律は精神上は尊重するものの、経済活動や実生活においては特に問題の無い限り、極力欧米システムを取入れるべきだ。
【民族派】欧米流を神聖な王国に取り入れようとするから、こんな混乱が起こる。西欧文化・慣習の取入れは最小限に抑えるべきだ。
さらに過激派となると、イスラム教義を押さえ付けようとするあらゆる勢力に対してジハード(聖戦)を挑む、となる。
サウジの中でも真面目なモスレムほど、過激派に同調する者が多い。現に9・11では実行犯19人のうち15人がサウジ人であった。
「米兵がモスクでイラク人を殺すのを見て1週間眠れなかった。【イスラム社会から米兵を追い出す】というビンラーデン師に共感した。」というアルカイダに入ったサウジ人のコメントが新聞に載っていた。イラク開戦後3000-4000人のサウジ人が反米に参戦したそうである。もし、そのうちの数人がビンラーデン並の財力を持っていたとしら、どうなるのだろうか?(自然院だけの杞憂?)
日本は原油輸入の3割をサウジに頼る。イスラム文化は分かり難いことが多いが、異教視するだけでなく、もう少しアラブの心理に対する関心があっても良いのではないかと思う。