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バルカンの古都ブラショフ便り

ルーマニアのブラショフ市へ国際親善・文化交流のために駐在することに。日本では馴染みの薄い東欧での見聞・体験を紹介します。

望郷の東欧

2010年12月06日 22時19分26秒 | ルーマニア以外の国
今夜、上海でハンガリーの風景をTVで見て、ブラショフの街を思い出しました。

懐かしいなあ。石作りのどっしりとした重みのある街。山の懐に抱かれた落ち着きのある街。
そうか、今の中国は活気はあるが、このシットリ感がない。人は多いが、何か個性がない。

ブラショフに住んでいた時には感じられなかった欧州の落ち着きが、無性に懐かしいです。


 中国便り http://blog.goo.ne.jp/chansha/

パリ旅行

2009年03月29日 18時07分52秒 | ルーマニア以外の国

 先月、パリ5泊とベルギー・フランダーズ地方6泊の旅行をしました。その報告を。

 初めてパリを訪れたのは約30年前。その後、10数回の訪問を数えますが、いずれも春~秋で冬の旅行は今回が初めてです。この季節は日本より寒く日も短いので、専ら美術館と劇場巡りに目的を絞ることにしました。
 
 冬空のモンマルトル。
 
 ルーブル宮
 
 オペラ座(ガルニエ)
 
 ルーブルから見たセーヌ
 
 冬木立ち(プチパレ庭園)
 
 夕暮れの街かど(オベリスクを望む)

(1)ルーブル美術館

 ルーブルの訪問も10回くらいになりますが、そのたびに新発見があるように思います。むろん展示場が幾度となく拡充されたりといった設備上の改善もありますが、何日見ても見飽きぬほど展示されている美術品が質量とも世界最高レベルにあるからでしょう。もしルーブルがなければ、これだけの物を見ようとすれば、どれだけ世界中を歩き回らなければならないか、そう思っただけで、ここを訪れることができる幸せに感謝せざるを得ません。(大英博物館と同じく、植民地からの略奪という帝国主義の遺産という見方もありますが。)

 中学の美術史の授業で先生が、「絵は本物を見ないと価値は分からない。画集をいくら見ても限度がある。」と言われました。生徒に画集を見せながらそう言ったので、「変な事を言う先生だな。」とその時は思ったのですが、その後20年経って初めてルーブルへ来た時、この言葉が突如頭に蘇りました。「先生あなたは正しかった!」彫刻などは、レプリカでも良いかも知れませんが、絵だけは、いくら印刷技術が発達しても本物には比肩できるものではありません。

 自然院は絵画に造詣が深いという訳ではありませんが、シスレー・モネ・ピサロなどの風景画をじっと見ていると、自分が徐々に情景の中に溶け込んでゆき、そこの空気、温度や匂い、風の音や犬の声、空の眩しさなどを感じることがあります。そうなると大変快いもので、暫くその中に自分を委ねていたいという気持ちになります。それが私の鑑賞法なのですが、これを展示画の前でいちいちやっていては時間が掛かります。だから同行者がいる場合は少し困るのですが。宗教画には全く関心が無い(ほとんどの日本人がそうでしょうが。)、肖像画や狩猟物の絵も関心が無い(貴族の自慢にしか見えないので。)、そこで心静かに鑑賞できるのは、やはり風景画ということになります。

 今回は冬だったので、さすがに観客は少なく、ゆったりと廻れたのは狙い通りでした。ただ東洋人が多いのには少し驚きました。全観客の4分の1くらいを、中国人・韓国人・日本人で占めているといった感じです。有名作品の前で記念写真を撮っては、足早に次の絵に向かって行くといった人たちが多いようでした。東洋人は記念写真が好きなんでしょうかね。昔は、撮影禁止だったように記憶していますが、今はフラッシュがバチバチ光っています。絵の保存に影響はないのかなと心配になります。

 最近は額縁の前をガラスで覆ってある絵が増え、反射光で見えにくくなりました。昔はモナリザだけがガラスに覆われていたように思います。そのモナリザも以前は間近で見れたのに、今は6~7mくらい離れてロープ越しに見るようになりました。感動はガタ減りですが、監視が厳しくなるというのは昨今ではやむを得ないことなのでしょう。
 

 (2)オルセー美術館

 初めて訪れた頃は印象派美術館と称していました。その後、駅を改造した小面積に大量の印象派絵画を持ち込んだため、ルーブルより効率的に周れるため大好きな美術館です。
 

 (3)オランジュリー美術館

 モネの睡蓮の絵が圧巻。大きな壁一面に描かれた絵の迫力には圧倒されます。やわらかく揺らぐ睡蓮の中に身を置く贅沢を満喫することができます。
   
 楕円形の壁一杯に展示されたモネの睡蓮

(4)新オペラ座

 1989年に設立された最新鋭の設備を誇るバスティーユの劇場で、歌劇「蝶々夫人」を鑑賞しました。世界最高レベルのパリのオペラ。「素晴らしい」の一言だけです。敢えて低レベルのコメントを致しますと、歌手のコスチュームは少し違和感がありました。日本で演じるオペラでは、蝶々夫人はじめ日本人役は着物、ピンカートンなど軍人は将校服というのが普通でしょうが、今回は全員長いローブでした。日本というより、ビルマかベトナムのような印象で、ちょっと変な感じは残りました。
 


 世界の一流ブランドが集まるパリの中心街。夜中の12時頃、たまたま有名ショップの前を通りかかりました。すると、何とドアの前にホームレス達が寝ているではありませんか。同じ地面を昼間はセレブ達が闊歩し、夜はホームレス達が寝る。24時間で両極端が入れ替わる。何とも皮肉な都会の一端ではありました。
 
 エルメスとクリスチャン・ディオール 

 ギャラリー・ラファイエット


アイルランド歴史の旅と国家の品格

2008年09月27日 22時09分10秒 | ルーマニア以外の国
 アイルランドには多くの遺跡があります。歴史的には次の4段階に分かれると思います。

(1)先史時代:
 エジプトのピラミッドと同じくらい古い歴史がある。イギリスのストーンヘンジのように巨石を使った遺跡や巨大古墳があるが、同時代の他の文明がそうであるように後続時代に継承されず、誰が何のために作ったのかなど不明で謎が多い。
 
ニューグレッジの古墳遺跡と玄室(世界遺産)

(2)ケルト人の遺跡
 ケルト人が流れついてこの地に定着した。独特のケルト模様が建物を飾っている。ケルト人は部族ごとの集団で、組織だった軍隊を作ることはなかった。そのため、外部からいろんな人種の侵略を受けることになる。
 
(3)原始キリスト教の遺跡。
 この国にキリスト教を広げた聖パトリックたちは、元からあったケルト人の土着宗教(自然崇拝など日本と似通った面もある。)を融合しながら布教した。このため、他の地域に比べ、カトリックが大きな混乱なく広がった。

 
初期キリスト教会の遺跡(グレンダーロッホ)

初期キリスト教の特徴であるハイクロス(背の高い十字架) アダムとイブやメシヤを探しにゆく3博士など聖書の話が刻まれている。(ニューグレッジ)

(4)イギリスとの確執時代
 アイルランドはケルト人のあと、バイキングやノルマン人が侵入して来たが、いずれもケルト文化に溶け込んでいった。しかし、その後擡頭してきたイギリスとは緊張した関係になる。宗教上や政治上の理由でイギリスとは大きな確執に至る。この頃の建造物は海岸の要塞などが中心になる。
 
キルケニー城

海岸に立つ要塞ダンルース城

 近年ベストセラーとなった「国家の品格」を読んだら、アイルランドのことが出ていました。著によると、アイルランドは飛び抜けて天才の輩出量が多いそうです。数学ではハミルトン、文学では、オスカー・ワイルド、ジョナサン・スウィフト、ウィリアム・イェツ・・・・・・綺羅星の如くです。「吸血鬼ドラキュラ」の著者ストーカなどは、このレベルから見れば褌担ぎです。ちなみに有名な「ガリバー旅行記」を書いたスウィフトは、アイルランド最高教会の最高司祭でもありました。日本でいえば、天台座主が「東海道中膝栗毛」を書いたようなものでしょうか。
 そのアイルランドは人口わずか400万人、静岡県くらいの規模です。なぜそんな小国から天才が多く輩出するかというのが大きな疑問ですが、「国家の品格」によると、天才が多い国は、いずれも次の3条件を満たしているそうです。
  ●景色が良いこと。
  ●ひざまづく心があること。
  ●精神性を尊ぶ心があること。
 確かにアイルランドは景色は抜群だし、旅行中の住民とのちょっとした触れ合いでも「おもてなしの心」はいつも感じられるし、これらの条件は十分に満たしている素晴らしい国だと感じました。

 「国家の品格」の中で著者は、「日本は、やたらと論理・合理性に基づくグローバル化に走るのではなく、長年育んで来た『情緒と形(武士道精神)の文明』を世界に通じる『普遍的価値』として大事にし、品格ある国家を再構築すべきだ。」と説いています。
 品格を持つ国家のモデルとして著者は、例えば現在のイギリスに近いものを考えているようです。日本の言うことに世界は誰も耳を傾けないのに、なぜ経済的にも軍事的にも大したことがないイギリスの言うことに世界は耳を傾けるのか? それは、イギリスの持つ「普遍的価値(議会制民主主義、シェイクスピア、ニュートンを生んだ土壌など)」に世界が敬意を表するからとしています。

 ということで、アイルランドからの帰りにロンドンに寄りました。ロンドンに初めて行ったのは約30年前。その頃のイギリスは英国病と揶揄されるように経済のドン底にありました。ヤマネコストが頻発しロンドンは汚く公衆電話も半分は故障していたという有様に愕然とした思いがあります。
 一方当時の日本は高度経済成長の真っただ中にあり、当時ロンドンを訪れた日本の財界人は一様に「もはや英国から学ぶものは何もない。」などと言い放っていましたし、私も同じように感じました。
 その後ロンドンへは10回くらい行きましたが、その間にサッチャー改革により経済は見事に復活し、ロンドンは見るたびに綺麗に賑やかになって来ました。

 今回のお目当ては、ロイヤル・アルバート・ホールで毎夏開催されるサマー・コンサート。一流アーティストの演奏が連日目白押しなのです。この夜の演奏は、パイプオルガン曲とサンサーンスの交響曲でした。巨大なパイプオルガンの演奏はド迫力あり、交響曲はこれまで聞いたことのないくらい柔らかい音でした。ホールは円形で内部は写真のように壮大にして荘厳な作りになっています。
 面白いことに、サマーコンサートの期間は中央の座席が取り払われ、立ち見となります。少しでも多くの人たちに楽しんでもらおうという趣向なのでしょう。私は座席のある席を予約しましたが、立ち見の人たちは3時間あまりをじっと立って聞いていました。そんな辛抱をしてでも演奏を聴くという、これもすごい伝統だなと思いました。日本にも科学の粋を尽くした機能的に勝れたホールは多いけれど、このような格式と伝統は逆立ちしても望むことは出来ません。やはり、英国の品格というものなのでしょう。
 
ロイヤル・アルバート・ホール: 巨大な円形ホールで右側にパイプオルガンがある。中央席は夏期は立ち席となる。

 今回は、ドラキュラが結ぶ縁から始まって品格を考える旅となりました。お疲れ様。

PS1:
 「「国家の品格」を読んだあと、著者の藤原正彦氏は作家新田次郎氏の次男であることがわかりました。道理で理想が似ている筈です。新田次郎の小説「孤高の人」は若い時に読みましたが、時風に流されず自分の自分たるものを矜持して生きる男の姿を描いており感動を受けた覚えがあります。

PS2: 
 歴史とも品格とも関係ありませんが、レストランのショーでアイリッシュ・ダンスを見ました。足が綺麗でキビキビとよく動くし、迫力ありました。 暗いステージなのでこんな写真しかなく、その迫力が十分伝わらないかと思いますが、関心がある人が多いようなので掲載します。
また、アイルランドを代表する飲物といえばこれ。ギネス・ビールの工場へも行きました。前回紹介したアラン島の絶壁から下を覗く人の写真も面白いので追加します。  
   

アイルランド 風景

2008年09月14日 23時34分08秒 | ルーマニア以外の国
前回のブログで写真画面が粗すぎるとの指摘がありましたので、改めて風景写真を掲載します。自然の迫力を少しでも多く実感して頂きたいので。

ジャイアント・コーズ・ウェイ (前回の写真では六角柱であることが分かりにくかったので、画質を上げました。)






モハー絶壁



アラン島










アイルランド旅行 大自然

2008年09月13日 18時07分20秒 | ルーマニア以外の国
アイルランドの魅力は次の3点だと思います。

 (1)手つかずの雄大な自然を堪能できること。

 (2)多彩な歴史的建造物があること。

 (3)アイルランド人の親切さ。
 ガイドブックにはアイリッシュ・ホスピタリティとして紹介されていますが、実際にアイルランド人に接してみると「本当に親切な国民だなあ」と実感する場面が数多くありました。例えば、道を尋ねるとわざわざ店から出てきて目印になる所まで連れて行ってくれるとか、ほかの人が引き継いで案内してくれるとか、人に親切を施すのに労は惜しまないという感じでした。今回の旅行で人に接する面で不愉快な思いをしたことはほとんどありませんでした。

それでは、写真で大自然から紹介しましょう。 

 先ずは、世にも不思議な六角柱でできているジャイアントコーズウェイです。日本でも兵庫県の玄武洞など、似た岩層はありますが、全然規模が違います。だから世界遺産です。なんでも、田に水が引いた時に六角形のヒビが地面に生じるのと同じ原理で、溶岩が固まる時に六角柱になったそうです。見渡す限り、同じ大きさの六角形が続いているのは、壮観ですよ。



 


  
 

 次は、モハーの絶壁です。イワツバメしか近づけない大絶壁です。この写真で迫力が伝わるかな。
   

 次は、アラン島です。この島は山が無く石灰岩の平らな層で出来ています。下の写真で見ると、島の左側が海に接しており少し右肩上がりの一枚の平面で出来ているのがお分りになると思います。そして右端はドカンと真っ逆さまに海に落ち込む絶壁です。絶壁近くを人が歩いていますが、山が無いので風が強く、実は大変危険だそうです。手すりもありません。何事も自己責任でやりなさいというのが欧州風のようです。
 
目もくらむ絶壁。あまり近寄りたくない。(・・;)  アラン島周辺は石灰石の平原


よく晴れたディングル岬

次回はアイルランドの歴史的建造物を紹介します。

ポーランドの京都 ・・・ クラクフ

2008年06月28日 00時07分54秒 | ルーマニア以外の国
 「ワルシャワがポーランドの東京なら、クラクフは京都。」 そう云われるクラクフにやって来ました。
 クラクフの最盛期は14-16世紀。ボヘミアのプラハ、オーストリアのウィーンと並ぶ中央ユーロッパの文化の中心地でした。ポーランドではほとんどの主要都市が第2次大戦で壊滅的な被害を受けたのに、クラクフだけは戦災を免れました。(やっぱり京都) どこを歩いても昔の栄華が偲ばれる落ち着いた街並みです。街全体が世界遺産。なるほど。

 中央広場は、「どでかいなあ」というのが第一印象です。そう、この広場は200mx200m、欧州最大の広場なのです。その真ん中にあるのが織物会館。人目を引く華麗な姿です。

 
   中央広場と織物会館

 歴代のポーランド王が居住したのがヴァヴェル城です。城壁の法面には草花が咲き乱れ、庭には桜に似た花が満開でした。

  
 ヴァヴァル城外観

 城前庭 左の塔は大聖堂、右は居城 (パノラマ合成)

 広大な城中庭 (パノラマ合成)

 クラクフには、地動説を唱えたコペルニクスや前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世が学んだヤギェウォ大学もあります。前法王の偉業を記念する大司教宮殿もありました。前法王の像や、活動的に世界各地を歴訪した時の写真パネルが展示してあり、この町の人達の誇りを感じさせる場所でもあります。

 
大司教宮殿。 世界平和を祈願するヨハネ・パウロ2世前法王像

 ミニコンサートが古い教会やホールのどこかで毎夜のように行われているというのも、この古都ならではのことです。自然院もモーツアルトのピアノ・コンサートで一夜を楽しみました。有名なピアノ・コンクールで優勝したピアニストだそうで、汗を飛ばしながら、熱演してくれました。小さなホールだったので、直近で聴けて(見れて)堪能しました。

 クラクフはユダヤ人の多かったところで映画「シンドラーのリスト」の舞台にもなった所です。アウシュビッツ収容所もここから車で1時間余りの所にあるのですが、「シンドラーのリスト」を観た時の何とも言えない重苦しい気持ちが蘇り、訪れる気にはなりませんでした。

オロモウツはオモロイ

2008年06月21日 01時12分48秒 | ルーマニア以外の国
 チェコはモラビア地方のオロモウツ。不便な所にあるので、日本からのツアーにはほとんど入っていないようです。しかし、この町の文化財保有数はプラハに次いで2番目だそうです。自然院はそういう町に興味をそそられます。電車とバスを乗り継いで行ってみました。  

 欧州の他のオールドタウンと同じく、町の真ん中に市庁舎広場があります。その中に入ってみると巨大で異様な塔に圧倒されました。その名は三位一体の塔。欧州には同じ名前の塔は多いのですが、その中でもこれは最大規模。そして沢山の彫刻がほどよく配置されており、荘厳な感じです。見ていて惹かれます。18世紀に40年かけて作られました。これ一つで世界遺産。さすが・・・という感じです。

  
三位一体の塔

  ところで、三位一体の三位とは何でしょうか。小泉元総理の「三位一体改革」のことではありませんよ。
解答: 三位とは父・子・精霊のことだそうです。(本件はここまでとしておきましょう。これ以上突っ込まないで下さいね。)

 
 広場でもう一つ目につくのは時計塔です。この時計塔は15世紀建造で仕掛け時計もある立派な物ですが、上の写真で見ておわかりのように、下の方に2人の労働者の絵が描かれています。旧共産党時代の名残で、醜いチグハグなものですが、ある意味では時代を反映した貴重な遺産と言えるかも知れません。

   
 聖ブラーツ教会。形も美しいが100mの高さで聳える姿は大迫力です。オロモウツは、このほかにも噴水なども多く魅力一杯の町です。

チェコはビールの本場

2008年06月07日 00時13分42秒 | ルーマニア以外の国
 チェコはビールの本場です。各地にビール工場があり、それぞれが地ビールを自慢し合っています。

 下の写真はチェスキー・クロムロフにあるビール工場です。超長いタンク・トラックが来て出荷準備しているところでした。
  

工場に隣接して出来たてのビールを飲ませるレストランがあったので入りました。美味しかったですよ。やはりビールは鮮度だねえ。


 今でこそ、ビールは黄色が主流になっていますが、昔は全て黒ビールだったそうです。1840年頃にボヘミアで、この地の大麦とバイエルンの酵母を使って黄色のビールが出来上がって皆が驚いた。これがいわゆるピルスナー・ビールで、瞬く間に世界に広がったのだそうです。
  また、チェコのバドワイーザー・ビールはあまりに評判が良かったので、アメリカのビール会社が「バドワーザー」の商品名を盗用したため訴訟にもなっているという話など、チェコにはビールにまつわる話が尽きません。
 フランス人がワインについてうるさいのと同様、チェコ人はビールの保存方法・注ぎ方などで微妙に味が違うということで、ビール通を満足させるべく趣向を凝らした多くのバーが古い街角に集まっているのは面白い。自然院には、そこまでの事は分からないが、うまくて安いビールが堪能できる楽しみがあることだけは確かです。

それから、ビールに関して今回気がついた事をひとつ。30年ほど前に自然院が初めて欧州を訪れた時、レストランでビールを注文すると、冷やしたビールが出てくる確率は半分くらいだったと思います。最近の欧州では、ほとんどが冷やして出てきます。欧州人の中には今でも、冷やしたビールは胃に良くないと言って冷やさない方を好む人がいるようですが、やはりビールは冷やした方が断然美味いですよね。


世界一美しい町 チェスキー・クロムロフ

2008年05月19日 21時27分21秒 | ルーマニア以外の国
 ボヘミア !! 何と言う優雅な響きでしょう! 復活祭休みを利用して前から訪れたかった、世界一美しい町の一つと言われるチェスキー・クロムロフにやって来ました。

  この町は13世紀に南ボヘミアの貴族がここに城を建設したのが始まりで、その後支配する貴族が交替するたびに華々しく繁栄し、16世紀にはルネッサンス都市として繁栄の頂点に達した。しかし、その後は近代化からは取り残され、住民は潮が引くように減少し寂れていった。ナチ支配、共産党支配の時代は廃墟同然の町であったが、東欧革命後は歴史を見直そうという機運が高まり現在見られるように当時の姿に戻したのだそうです。

  
 

 この町が、他の欧州のオールドタウンと異なるのは、壁に囲まれたオールドタウンの周囲は森だけで人家は見あたらないという点です。即ち、この町はオールドタウンが形作られて以降は発展すことなく、ただ衰退するだけに任された。それを復興しただけだから、最盛期以降の余分な手は入らず、そのままの形が見られる希有のケースということになります。世界遺産として認められたのも肯けられる気がします。
  川がΩ字の形に湾曲して、その内側に抱かれた小さな町です。青い空に映える赤い瓦、天を突くように尖った教会の屋根、複雑に入り込んだ路地、こぢんまりとした家々、谷の向こうには岩壁に沿うように偉容を誇る城。車も少なく、町の外は森だけだから空気も澄んで、小鳥の声と川音だけが木霊し、静かな時間がゆっくりと流れる。中世を感じるには、とっても良い町と思いました。
    

  ちょと面白いのは、下の写真の建物の壁。石垣のように見えますが、壁に石垣の絵が描いてあるのです。この「騙し絵」は町中では至るところにあり、さらに城の壁や塔まで騙し絵なのには呆れました。少しでも美しく見せようという中世の知恵なのでしょうかね。 



[ 補 注 ]

 自然院の学説 欧州オールドタウンの層別

  自然院は自分の見聞体験を基にいろいろ理論(理屈?)を組み立てるのが好きで、いわば病気と言えるかも知れません。もちろん、これらは我説であって、学問的に正鵠を得ているかどうかは分からないし、的外れも多いことでしょう。しかし手探りでも自分なりに種々思考を凝らしてみると、これまで見えなかったものが少しでも見えてくる気がすることがあり、その時はすごく嬉しいから止められません。また考えは同じでなくても、似たような所に着眼している人がいることが分かった場合など、それだけでも無上の喜びを感じる次第です。
 そんなわけで今回は、欧州オールドタウンについて、その町自身と周囲の発展過程という観点から層別を試みました。すなわち、いかに嘗て栄華を誇った町でも、その後も発展を続けるためには世に適合して自らの形態を変えてゆく必用がありますが、しかしそれは歴史の保存という目的からは背反命題となることが多いというのも現実です。本論は、それぞれの町がこの問題を持ちながら、どういう状況にあるかという分析であります。

第一種:旧市街保存&周辺発展型
  旧市街は歴史地区として特別に保存する。市庁舎・教会・広場といった公的施設はもちろんのこと民間建屋も極力保存するために立て替えについては種々の規制を敷く。 新市街は旧市街の周辺に自然に広がり、普通の街として発展している。欧州のオールドタウンは、ほとんどがこの第一種に入る。 旧市街は嘗て城壁に囲まれていたが、その保存の仕方により、さらに次の3種に分類される。
 A.城壁をほぼ完全に残している場合:ドイツ・ローテンブルグ、ポーランド・クラクフなど小都市に見られる。
 B.街の発展に邪魔ということで取り壊した場合:パリ、ウィーンなど大都市
 C.一部を残している場合:ブラショフなど。

第2種:旧市街官民分離型
  旧市街が官庁地域と民間地域に分かれている場合である。例えば、ロンドンでは貴族はウエストミンスター地域に、市民はシティーにという風に、かなり明確に棲み分けが行われていた。王様といえども簡単にはシティーには入れず予めアポイントを取ってシティーの市長の出迎えを受けて入ったという。王室と市民階級の力関係が、長い歴史的を経てバランスした英国ならではの話かも知れない。 ブダ・ペストもドナウを挟んで城のあるブダと商業地区であるペストが分離されている。
 しかし民間地区といえども手狭になれば郊外に発展せざるを得ず、その意味では第一種の特殊例であるとも考えられる。
  日本でも、武士階級は福岡に、町人は博多に分かれて住んだという例もあるが、この型と考えて良いと思う。

第3種:垂直発展型
  古代ローマの地図は現在のローマの地図にほとんどピッタリ合致するそうである。即ち、2000年の間、ローマの市街機能を存続させるためには当然諸施設の更新が必用となってきたはずだが、それらをほとんど旧施設と同じ場所に設置してきたということである。例えば、郊外に移しても差し支えないと思われる兵舎も、未だに古代ローマ時代と同じく近衛軍団兵舎の中にある。このローマ人の頑固さのために、現代のローマの諸建物の下には何代もの遺跡が埋もれており、地下駐車場も作れないし発掘もままならない。大都市でありながら、地下鉄がようやく3本、それも大深度でという不便さをきたしている。 新市街が旧市街から、第一種では水平に展開したのに対し、第3種では垂直に発展したと言える。 同類型は、ローマに起源を持つケルン・マインツ・リヨンにも見られるという。

第4種:旧市街孤立型
 旧市街が出来た頃が町の最盛期で、その後発展することなく衰退していったケース。今回のチェスキー・クロムロフがこれに当たる。