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新古今和歌集の部屋

発心集 西行が女子出家の事

発心集 西行が女子出家の事

西行法師出家しける時、跡をば弟なりける男に云ひ付けたりけるに、幼き女子の殊にかなしうしけるを、さすがに見捨てがたく、いかさまにせんと思へども、うしろやすかるべき人も覺えざりければ、なほこの弟のぬしの子にして、いとほしみすべきよし、ねんごろに云ひおきける。

かくて、ここかしこ修行してありく程に、はかなくて二三年になりぬ。事の便りありて、京の方へめぐり來たりけるついでに、ありし此の弟が家をすぎけるに、きと思ひ出でて、
さても、ありし子は五つばかりにはなりぬらん。いかやうにか生ひなりたるらん。
とおぼつかなく覺えて、かくとはいはねど、門のほとりにて見入りける折りふし、此の娘いとあやしげなる帷姿にて、げすの子どもにまじりて、土にをりて立蔀の際にてあそぶ。髪はゆふ/\と肩の程に帯びて、かたちもすぐれ、たのみしき樣なるを、其れよと見るに、きと胸がつぶれて、いと口惜しく見たてる程に、此の子の我が方を見おこせて
いざなん、聖のある、おそろしきに
とて内へ入りにけり。此の事、思はじと思へど、さすがに心にかかり日來ふる程に、もしかやうの事をや知り聞かれけん、九條の民部卿の御女に、冷泉殿と聞こえける人は、母にゆかりありて、
我が子にして、いとほしみせんと、ねむごろに云はれければ、人柄も賤しからず、いとよき事とて、急ぎわたしてけり。

本意の如く、またなき者にかなしうせらければ、心安くて年月を送る間に、此の子十五六ばかりなりて後、此のとり母の弟のむかへばらの姫君に、播磨三位家明と聞こえし人を聟に取られけるに、若き女房など尋ね求むるに、
やがて此の姫君も上臈にて、一つ所なるべければ、便りもあるべし。親などもさるものなり
とて、此の子をとり出でて、わらはなむせさせける。

西行、この事を漏れ聞きて、本意ならず覺えけるにや、此の家ちかく行きて、かたはらなる小家に立ち入りて、人をかたらひて、忍びつつ呼ばせける。娘、いとあやしくは覺えけれど、ことさまを聞くに、
我が親こそ、聖になりてありと聞きしか。さらでは、誰かは我を呼び出でん。
と思ふに、
日頃、見でや止みなんと心うかりつるを、もしさらばいみじからん。
と覺えて、やがて使ひに具して、人にも知らせず出でにけり。

かしこに行きて見れば、あやしげなる法師の痩せくろみたる、麻の墨染の衣、袈裟など誠にあはれに覺えて、涙ぐみつつこまやかにうちとけかたらふ。西行は、ありし土遊びの時きと見しにあらぬものに生ひまさりて、いと清げなるあを見るにも、さこそ思ひ捨つる世なれど、さすがにこればかりををば見過さず。事の有樣など聞きてむすめに云ふやう、
年來は行方も知らず、姿をだに今日こそ初めて見るらめ。されども、親子となるは、深き契りなり。我が申す事聞きてむや。違へらるまじくは、云はん。
と云ふ。娘の云ふやう、
まことに親にておはしまさば、いかでか違へ奉るべき
と云ふ。
しかあらば申さん。
と云ふ。
そこの生まれ落ちしより、心ばかりははぐくみし事は、おとなになりなん時は、御門の后にも奉り、もしはさるべき宮ばらのさぶらへをもせさせんとこそ思ひしか。かやうのつぎの所にまかなひせさせて聞こえんとは、夢にも思ひよらざりき。たとひ、めでたき幸ひありとても、世の中の假なる樣、とにかくに心やすき事もなかんめるを、尼になりて母がかたはらに居て佛の宮仕へうちして、心にくゝてあれがしと思ふなり。
と云ふ。やや久しく打ち案じて、
承りぬ。はからひ給はせんこと、いかでかたがへ奉らん。さらば、いつと定め給へ。其の時いづくへも參りあはん。
と云ふ。
若き心にありがたくもあるかな
と返す/\喜びて、しかじか、その日めのとのもとへ行きあふべき事よく/\定め契りて歸りぬ。

此の事、又知る人もなければ、誰も思ひもよらぬ程に、明日になりて、
此の髪を洗はばや
と云ふ。冷泉殿の聞きて、
ちかう洗ひたるものを。けしからずや
など云はれければ、只ことさらに云へば、
物詣でやうの事なめり
と思ひて洗はせつ。

明くる朝に、
急ぎてめのとのもとへ行くべき事のある
と云へば、車など沙汰して送る。今すでに車に乗らんとする人の、
しばし
とて歸り來て、冷泉殿にむかひて、つく/\と顏うち見て、云ふこともなくて、立ち歸りき。車に乗りて去ぬ。あやしく覺ゆれど、かゝる事あるべしとはいかでか知らん。
かくて久しく歸らねば、おぼつかなくて尋ねけるを、しばしはとかく云ひやりけれど、日來經れば、かくれなく聞こえぬ。冷泉殿は、五つよりひとへに我が子のやうにして、片時かたはら離るゝ事なくてならはしはぐゝみ立てたるうちにも、おとなびゆくまゝに、心ばへもはか/\しう、事にふれてありがたきさまなりければ、深く相ひたのみて過ぎけるに、かく思はずして水く別れぬれば、
うらめしかりける心づよさかな。武き者のすぢと云ふ者、女子までうたてゆゆしきものなりけり
と云ひつづけてぞ恨み泣かれける。
但し、少し罪許さるゝ事とては、既に車に乗りし時、
又見まじきぞかし
と、さすがに心ぼそく思ひけるにこそ。させる云ふべき事もなきに、しばし立ち歸りて、我が顏をつく/\とまもりて出でにしばかりを、恨めしき中に、いさゝかあはれなる。
とぞ云はれける。

さて/\、此の娘、尼になりて、高野のふもとに天野と云ふ所にさいだちて母が尼になりて居たる所に行きて、同じ心に行ひてなむありける。いみじかりける心なるぞかし。
彼の養ひ母の冷泉殿も、後にはたふとく行ひて、もとより繪かく人なりければ、日々の所作にて、丈六の阿弥陀佛を書きたてまつられける。命をはりける時には、其の佛の御形、空にあらはれて見え給ひけるとぞ。

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