新古今和歌集の部屋

美濃の家づと 四の巻 恋歌二3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨のふる日女につかはしける 俊成卿

おもひあまりそなたの空をながむれば霞をわけて春雨ぞふる

四の句、たゞ何となくいへることゝも聞えず。されど其意いまだ

思ひえずもしことなるよしなくは、詮なきいひごと也。

水無瀬恋十五首哥合に    摂政

やまがつのあさのさ衣おさをあらみあはで月日や°杦ふけるいほ

本歌√すまのあまの塩やき衣おさをあらみまどほにあれや

君がきまさぬ。万葉に√杦板もてふける板目のあはざらば云々

  此二首を合せて、間遠にあれや君がきまさぬの意もて

あはでといひ、月日の過るを杦ふける庵といひかけたるなり。

  月日のとあるべきを、や°と疑ひたるは、たゞ語の勢ひをあ

らせんためのみか。や°にては、行末をかけておもひやる意に

なる也。 杦ふける庵とゝぢめたる、本歌の詞にはあれ

ども、庵は上ニいさゝかも縁なければ、無用のはなれものなり。

いかゞ。然るを或抄に、本哥のとりあはせよろしとて、ほめ

けるは心得ず。此杦ふける庵、衣に縁あることならばこそ、

よくとりあはされたりとはいふべけれ。これは上句と四の句と

は、よくとりあはされたれども、二三の句と結句とは、さらに

かけあはぬことなるをや。すべて古への名高き人の哥と

いへば、よくかなへりやかなはずやをも、くはしく考へず、みだりに

ほめはやすは、後世諸注家のくせなり。そはまことにはよし

やあしやをも、えわきまへず。くはしきことをもえしらず

て、たゞおしこめて、古人の哥は、及びがたき物とのみ、みづ

からと思ひ、人にもおもはせて、まぎらかしたるもの也。然る

を今歌をまなぶ輩、一すぢにこれを信じて、古への哥はみな

すぐれて、手のつかられぬ物とのみ思ひおくゆゑに、その

わろき所を見しることもあたはず。又すぐれたる味を、ま

ことにさとることもあたはず。さるからすべてよきあしき

けぢめをわきまふることあたはざれば、みづからも、よき哥を

はえよみいでぬぞかし。古への名高き人たちといへども、その

歌ごと/"\くてよくき物にはあらず。わろきもまじり、又よき哥

にも、疵もあるわざなれば、たとひ人まろ貫之の歌なりとも、

よしやあしやを、及ばぬ考こゝろむべきことなり。

つねに然するときは、おのづからよきあしきけぢめは見

ゆる物にて、かのみだりなる注釈などには、惑はぬわざぞ

かし。こは事のちなみにいさゝかいふなり。

百首歌奉りし時          俊成卿

あふ事はかた野の里のさゝの庵しのに露ちるよはの床かな

しのには、しげくといふ意にて、さゝの縁の詞なり。 此哥

初句をのぞけば、二の句より下は、戀の哥にあらずいかゞ。さゝの

庵とある故に、たゞさゝの庵の歌とこそ聞ゆれ。

 

※本歌√すまのあまの
古今集 恋歌五
 題しらず           読人しらず
須磨の海士の塩焼き衣をさをあらみ間遠にあれや君が來まさぬ

※万葉に√杦板もて
万葉集 巻第十一 2650
十寸板持盖流板目乃不<合>相者如何為跡可吾宿始兼
そき板もち葺ける板目のあはざらばいかにせむとか我が寝そめけむ
拾遺集 恋二
 題しらす
                   人まろ
杉板もてふける板間のあはざらば如何せんとか我が寝そめけん
 
※或抄に 不明
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