有り
と
見て
手には
取られず
見れば
又
行方も
知らず消えし
かげろふ
源氏物語 蜻蛉
あやしかりける事は、さる聖の御辺りに、山の懐より出で來たる人々の、かたほなるはなかりけるこそ、この、はかなしや、軽々しや、など思ひなす人も、かやうのうち見る気色は、いみじうこそをかしかりしか、と、何事につけても、ただかの一つゆかりをぞ思ひ出で給ひける。あやしう、つらかりける契りどもを、つく/"\と思ひ続け眺め給ふ夕暮、蜉蝣の、ものはかなげに飛びちがふを、
有りと見て手には取られず見れば又行方も知らず消えし蜻蛉
「あるか、なきかの」と、例の、独りごち給ふとかや。
よみ:ありとみててにはとられずみればまたゆくへもしらずきえしかけろふ
意味:有ると見えていても手に入れられず、見ているうちにどこかへ消えてしまった蜉蝣の樣な大君、中君、浮橋の三姉妹だったなあ。
備考:本歌
ありと見て頼むぞかたきかげろふのいつとも知らぬ身とは知る知る (古今和歌六帖一)
手に取れどたえて取られぬかげろふの移ろひやすき君が心よ (古今和歌六帖一)
ただし、古今和歌六帖の天部に属するので、陽炎かも。
引歌
あるか、なきかの
世の中といひつるものはかげろふのあるかなきかの程にぞありける(後撰集雑四 よみ人知らず)
あはれとも憂しともいはじかげろふのあるかなきかに消ぬる世なれば(後撰集雑二 よみ人知らず)
たとへてもはかなきものはかげろふのあるかなきかの世にこそありけれ(源氏釈 出典未詳)
世の中と思ひしものをかげろふのあるかなきかの世にこそありけれ(古今和歌六帖一)