サントリー美術館 展示会図録
歌枕
あなたの知らない心の風景
6月29日~8月28日
古来、日本人にとって形のない感動や感情を、形のあるものとして表わす手段が和歌でありました。自らの思いを移り変わる自然やさまざまな物事に託し、その心を歌に表わしていたのです。ゆえに日本人は美しい風景を詠わずにはいられませんでした。
そうして繰り返し和歌に詠まれた土地には次第に特定のイメージが定着し、歌人の間で広く共有されていきました。そして、ついには実際の風景を知らなくとも、その土地のイメージを通して、自らの思いを表わすことができるまでになるのです。このように和歌によって特定のイメージが結びつけられた土地、それが今日に言う「歌枕」です。
こうして言わば日本人の心の風景となった歌枕は、その後美術とも深い関わりをもって展開します。実景以上に歌枕の詩的なイメージで描かれてきた名所絵や、歌枕の意匠で飾られたさまざまな工芸品などからは、歌枕が日本美術の内容を実に豊かにしてきたものである事に気づかされます。
しかし、和歌や古典が生活の中に根付いていない現代を生きる私たちにとって、歌枕はもはや共感することが難しいのではないでしょうか。この展覧会では、かつては誰もが思い浮かべることのできた日本人の心の風景、歌枕の世界をご紹介し、日本美術に込められたさまざまな思いを再び皆さまと共有することを試みます。
東京ミッドタウン ガレリア3階(六本木 乃木坂駅)
井手玉川佐野渡屏風(狩野探信 画)の解説について
この屏風は、新古今和歌集の藤原俊成の
駒とめてなほ水かはむ山吹のはなの露そふ井出の玉川
と息子の定家の
駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ
をモチーフにしたものです。
この図録本作品解説(サントリー美術館学芸員 柴橋大典)の中で、佐野を「本来紀伊の歌枕である佐野の渡」とし、この歌枕の地を紀伊国(和歌山県)としています。また、「上野国の歌枕である佐野舟橋が混在」とあえて大和の三輪の歌枕という事実を無視しています。「それは八雲御抄(作品番号28)以降、中世歌論において佐野渡は大和国の歌枕とする説が通説となっていたことを踏まえたものと思われる。」として、「このように、そもそも紀伊国、上野国、大和国と、その所在が曖昧であったため、さまざまなイメージが重ねあわされたところに」として、本来の紀伊国をこの絵を「あるいは大和国の佐野渡がイメージされた図だったかもしれない。」としています。
定家歌の本歌である万葉集巻第三 二六五、定家の撰歌した新勅撰和歌集による
長忌寸奥麿歌一首
苦しくも降り来る雨か神(みわ)の崎狭野(さの)の渡りに家もあらなくに
について、万葉学者が出した異説に従ったものです。
① 井蛙抄による佐野
井蛙抄巻第四には、佐野について、
一 同名々所
さの −渡 −船橋 −中河 −岡
萬三
くるしくもふりくるあめかみわがさきさのゝあたりにいへもあらなくに
大和國也。
萬三 赤人
あさ風のさむきあさけにさのヽをかこゆらん君はきぬかさましを
紀伊國也。
と、同名地名だが、区別しています。
② 歌枕名寄による佐野
鎌倉末期、澄月編で、歌枕を国別に分類して、該当する和歌を載せた歌枕名寄では、「大和 佐野渡」と大和国にあるとしていますが、「上野 佐野渡」にもこの歌と共にあります。この時代にも混乱があったと推察されます。
③八雲御抄による佐野
定家から和歌を教わった順徳院は、佐野の歌枕を大和としています。
④謡曲船橋
中世の世阿弥作 四番目物・執心男物の船橋には、
ワキ 橋の勧めには參り候べし、扨此橋はいつの御宇より渡されたる橋にて候ぞ
シテ 万葉集の歌に、東路の佐野の舟橋取り放しと、詠める歌の心をばしろしめし候はずや
として、万葉集巻第十四
上野の佐野の舟橋取り放し親は離(さ)くれど吾(わ)は離(さか)るがへ
群馬県高崎市の佐野の舟橋が、古くは、万葉集にもある橋だとし、
同 所は同じ名の、所は同じ名の、佐野のわたりの夕暮に、袖うち拂ひて、御通りあるか篠懸の、比も春也河風の、花吹き渡せ船橋の、法に往來の、道作り給へ山伏、峰々巡り給ふとも、渡りを通らでは、いづくへ行かせ給ふべき。
と上野の佐野の渡りは、同じ名前の新古今和歌集の佐野とは違うとしています。
⑤和歌山県新宮市の気象
紀伊国の三輪崎と佐野渡のある新宮市には、アメダスの気象観測点があり、その、「平年値(年・月ごとの値)」をみてみると、
要素 | 降水量 (mm) |
平均気温 (℃) |
日最高気温 (℃) |
日最低気温 (℃) |
平均風速 (m/s) |
日照時間 (時間) |
降雪の深さ合計 (cm) |
最深積雪 (cm) |
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統計期間 | 1991~ 2020 |
1991~ 2020 |
1991~ 2020 |
1991~ 2020 |
1991~ 2020 |
1991~ 2020 |
/// | /// |
資料年数 | 30 | 30 | 30 | 30 | 30 | 30 | 0 | 0 |
1月 | 110.1 | 7.6 | 11.9 | 3.6 | 2.8 | 200.1 | /// | /// |
2月 | 151.8 | 8.3 | 12.8 | 4.2 | 2.9 | 182.6 | /// | /// |
3月 | 259.8 | 11.3 | 15.7 | 7.0 | 2.8 | 196.4 | /// | /// |
さらに、「観測史上1~10位の値(年間を通じての値)」を見てみると、
日最低気温の低い方から (℃) |
-4.6 (1981/2/27) |
-4.5 (1981/2/26) |
-3.4 (1985/1/31) |
-3.3 (2012/2/3) |
-3.1 (1999/2/4) |
-2.7 (1997/1/22) |
-2.6 (2018/2/6) |
-2.5 (2003/1/6) |
-2.4 (2016/1/25) |
-2.3 (2011/2/1) |
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となり、とても袖に積もり振り払ふほどの雪は降りません。これは世界最速の海流黒潮が流れている熊野灘であり、温暖な地区だからです。
また、最低気温は、夜明け前に記録される事が多く、「夕暮れ時」になる事はありません。
気象庁 日別海流 2022年1月9日
以上の事から、新古今和歌集の定家歌の「佐野の渡」は、大和国であると断定でき、特別展示会の説明は間違いです。
拙コレクション 筆者不明
佐佐木信綱 新古今和歌集 挿絵