昨日3月22日で前の家族が失踪してから丸7年だ。
相変わらず何も手がかりはないし、それに結びつくような物もない
と言うか、どうしようもない。
障害者手帳の交付日を見たら、平成20年と書いてあるから、もう
11年目だ。
最初は友人同士と言うか仲間内でのトラブルで、そこからうつ病に
なって、それが解消してだいぶ良くなってきたところに7年前にこ
の騒動で、酷くなるだけでなく元よりもっとマイナスになってしま
った。
一ヶ月で20Kg痩せた。
真っ暗な部屋で、いつも庖丁傍らに置いて、ただ何も出来ずにボー
っとしていたと言うか、抜け殻のようになっていたと言うか、抜け
殻だったかな。
庖丁で首っ切りすれば失血死で死ぬけれど、まあ、もうこんな状態
なら放っておいても死ぬな、と思ってボーっとしていた。
ハナちゃんのご飯だけは上げていたような気がする。
ハナちゃんも被害者だがわたしがいなくなったら自分でご飯の用意
とか出来ないからな、ある意味ストッパーだったのかもしれない。
友達ももう前のうつの原因が解決したところで全員無断で切った。
そんな中で、唯一なぜか残していたのが今の女房のアドレス、と言
うか、放っておいても勝手に向こうから「大丈夫ですか?」とか来
るので「もうじき息絶えます」とか送り返していたら、電話で話し
ませんかと言われて電話するようになった。
元々その当時でもう何年もメールだけのやり取りをしていた人なの
で(メールと言っても「おはようございます」とか「今日はどうで
すか?」くらいの一言二言だが)顔は知っているけれど声も聞いた
ことない人だったし、女房もその当時うつ病で(いまは躁鬱)勝手
に実家に放り出されて訳も分からないまま一方的に離婚させられて
その実家にもいられなくて、一人でおじさんの持つ空き家を借りて
一人でいたから、もしかしたらさみしかったんじゃないかと思うけ
れど、まあそういうことで電話で話すようになった。
で、ああでもないこうでもないという事を話して、お互いの事を打
ち明けあって、そのうちに女房の方が(まだ女房ではないけれど)
名古屋に来ようかな、と言い出したので、わたしももうその頃には
やけくそと言うか、どうせ死ぬなら何とでもなれと思った、と言う
と女房に失礼だが、完璧にもう精神的に追い詰められていたし、女
房のほうも、朝になるとパートに行ってくるといって電話を切るの
だけれど、殆ど行けずに家で寝ていたそうだから、お金もなくなっ
てきてもうどうしようもなくなったと言うので、じゃあ名古屋おい
でよ荷物取りに迎えに行くから、と言うことで7年前の暮に名古屋
にやってきたのだ。
でも二人生活で、お互いせなかに大きな傷を背負っているので、な
かなかそう簡単に「ハイじゃあ結婚しよう」とは行かないわけで、
結局名古屋に来てから5年目で結婚した。
向こうと言うか、元家族を5年待った訳で、まあ今でもそれ(待っ
ている)のは変わらないけれど、もう向こうにもいい加減生活基盤
が出来上がっているはずなので、もう帰ってこないだろうという諦
めもあって、2017年6月に結婚したのだ。
今でもお互いの元家族の話になったりするし、女房は離婚したとは
言えもう独立している子供が4人もいるので、わたしは自分はさみ
しいけれど、女房は子供が味方してくれるのでまだましであると思
う。
わたしが今一番会いたいのはやはり3人の子供たちで、一番上はも
う結婚したようである(住民票がまだこの家に残っていて選挙票と
かが送られてくるのだが、元事実婚女房の分しか(あと今の女房)
来なくなったということは住所を移したということか死んだかどち
らかだろうけれど)まさか死んだらいくらなんでも連絡よこすと思
うので結婚したのだろう、下の2人坊主は連れて行かれたとき小学
生だったけれどもう上は高校三年生である、想像も出来ない。
今頃どこでどんな生活をしているのか元気なのか幸せに暮らしてい
るのか気になり出すとキリがないので、普段夢見る時以外あんまり
考えないようにしているけれど、さすがに昨日は一日考えていたな。
と言うか「何かを待っていた」と言う感じかな。
もう7年もたつがまだ7年でもあって、こればかりは何か送り元の
ない手紙の一通でもあれば、納得すると思うのだけれど、それもな
いのでわたしのうつ病は物理的にどうにもならないのだ。
変わらないのはハナちゃんだけなのです。
そのハナちゃんも今でもよく玄関で戸の方を見つめて誰かを待って
いるけれどね。
本日の種:二コンD610