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アマチュア無線交信(QSO)の思い出 QSLカード の交換について(海外局との交信) パート3

2016年03月25日 | アマチュア無線

アマチュア無線海外交信の思い出 QSLカードの紹介 パート3

 

パート2 に引き続き、海外交信で交換しましたQSLカードを紹介してまいります。

 

スタートは ナウル共和国 との交信です。 1984年の交信です。

 

 

 

続いては、ヨーロッパから ユーゴスラビア との交信で1984年です。

 

次は、 フィンランド です。1988年の交信です。

 

次は南米の チリ との交信です。 1989年のものです。

 

 

次も南米の アルゼンチン の局です。 1989年の交信です。

 

 

続いても南米 パラグアイ の局で1989年の交信です。

 

 

次も南米から ペルー共和国 です。

 

 

次は珍しいところの マヨット というところとの交信です。

「ウイキペディアから引用」

マヨットは、フランスの海外県(フランス語collectivité d'outre-mer)であり、海外地域圏(Région d'outre-mer)である。アフリカ大陸南東、マダガスカル島との間のモザンビーク海峡に浮かぶコモロ諸島に属するである。

 

次は、ヨーロッパの国 スペイン との交信です。 1991年の交信です。

 

 

次は南米 エクアドル ガラパゴス諸島 との交信です。 

1991年のQSOで7月と8月の2回の交信でした。

 

次は 太平洋に浮かぶ フィジー共和国 です。 1991年の交信で日本人局です。

 

 

次は前にも出てきた トンガ王国 です。 

今回のものは1991年の交信です。

オセアニア ポリネシア 南太平洋に浮かぶ約170の島群からなる国家

 

次は モンゴルのチギスハーン 生誕830年記念局 です。 1992年の交信です。

運用メンバーには、日本の局も入っています。

 

以上のカード紹介で、おおむね世界一周ができたかなと思います。

まだまだ未交信のところや国々が沢山ありますが、今後も地道に

QSOして ひとつずつ減らしていければと考えております。 

 

 

ここからは、各国の記念局との交信によるQSLカードを紹介します。

 

1991年の ’91アマチュア無線フェスティバル (会場は晴海の国際貿易センター新館です。)

 

 

次は韓国で行われた EXPO'93 記念局です。

 

続いては、バルセロナ オリンピック ’92 きねんきょくです。

 

次は韓国ソウルのファミリー局です。データー欄には日本語の仮名交じりの漢字で

コメントを書いてくれました。 リーさんです。

一番左の LEE DONG WOO さんとの交信でした。

 

日本人の当局より上手です。 すごいなー!

 

次は台湾の局ですが 写真が如何にも台湾というきれいなものですので

載せます。 1999年の交信でした。

 

 

次は昔のセイロン 現在の スリランカ との交信です。

1992年交信です。

 

 

次も前にもあったベトナムの局ですが写真が衣装や風景が

らしさを出していますので載せました 両方とも2004年の交信です。

比較的新しい年度です。

 

次は何かと話題の絶えない国の イスラエル との交信で2005年です。

 

 

続いて紛争のあった ボスニアヘルツゴビナ との交信で2005年です。

 

 

つぎは 南鳥島の局2局です。

1局目は、気象庁ハムクラブ局で 2012年の交信です。

 

2局目は自衛隊の方です。 2009年交信です。

 

次は JARL 本部記念局の アマチュア無線の日 記念運用です。 2008年交信です。

 

つぎは小豆島の オリーブ百年祭 記念局です。 2009年交信です。

 

以上記念局を含めて過去に交信した海外局を中心に

QSLカードによる 世界巡りをしてみました。

海外局とは、これまでに 約四千局弱との交信をしており、今回紹介できなかった

多くのカードがあります。 また記念運用局もまだたくさんあるのですが、

今回一部のみを紹介しました。 

 

また、今回ご紹介できませんでしたが、南極昭和基地との交信は1993年に

2度ほど行っておりますが、カードを仕舞いなくしており、紹介できませんでした。

 

最後に当局のこれまでのカードの一部をアップします。

一番最後は、当局の無線局免許状です。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上でQSLカードの思い出を閉じます。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

それではまた!

 

 

 

 

 


アマチュア無線交信(QSO)の思い出 QSLカード の交換について(海外局との交信) パート2

2016年03月25日 | アマチュア無線

   QSO 無線交信の思い出 QSLカードの紹介です。

 

 当局がアマチュア無線を初めてから、今年で47年経ちます。 

これまで交信し頂いたQSLカード(交信証)の整理した中から、

特に海外局に照準を当て、ご紹介する パート2 です。

 

パート2の初めは、お隣の国 韓国 の局です。

韓国とは距離も近く、電波も届き易いので、比較的交信が楽な地域です。

また、日本語が堪能な方が多くいるなどのこともあり、韓国語ができなくても

日本語でQSO出来る場合が多々あります。

 

 

カードの写真は Sejongno Street との表記がされています。韓国へ行かれている方は多いと思いますが

当局は、行ったことがありません。

余談ですが、北朝鮮は、ずっと昔からアマチュア無線が禁止されている国なので世界中の局から

QSOできない国のリストの最上位に挙げられています。

ちなみに、コールサインは P で始まる割り当てがされていますが、

日本からも近くて遠い国となっています。

 

続いてはさらに韓国のお隣の 中国 です。

中国も長い間、アマチュア無線が禁止の時代がありまして、再開されたのは近年になってからのことです。

ここのところ何回か紹介している読売新聞のコラム記事の中でも原会長が述べられているように、再開には

JARL(日本アマチュア無線連盟)の強力な働きかけと助力があってのことでした。

紹介するカードの BY4AA は上海の局で、再開時初めの局だったように記憶していますが、

記憶はあいまいです。

中国の局は、初めは個人には割り当てがなく、

社団局(日本で言うJARLの記念局やクラブの無線局のようなもの)

だったと思います。その後何年かした後に個人にも免許されるようになったと記憶しています。

 表記は 中国無線電運動協会上海市分会 となっています。 1988年の交信でした。

 

中国の局の中にも、日本語が流暢な方が大勢いますね!

 

次は少し場所を西へ移して トルコ共和国 です。

このカードの裏側には、英語ですが {たのしいQSOをありがとう。あなたのカードも素晴らしいです。

あなたのシャック(無線室)も素晴らしいです。またお会いしましょう。さようなら!} とコメントされています。

たぶん後の方で紹介しますが、当局の無線機の前で撮った写真のカードを送ったのを見てのものと思います。

 

 

次は、近年ではお相撲さん特に横綱輩出の国 モンゴル です。

モンゴル国も長らくアマチュア無線が禁止されていた時代があり、近年になって中国と同じように

再開されました。ですからそれまでは、割と距離は近いのですが、高値の花の国でした。

最初のころは、良く首都のウランバートルから運用されていましたね。

 

 このように珍しいところの局の運用があると、各国の局が同じ周波数で束になって呼びます。

これをアマチュア用語では、パイルアップと言うのですが、自分とつながるまでに何時間も呼び続けて

やっとQSO出来たなどということも多々あるのです。 こちらも1988年のQSOですので、

先ほどの中国と同じで、このころに再開されたのかなと思います。 まあ、記憶はあいまいですが?

 

次は、南米に飛んで パラグアイ です。 

地球の裏側です。  ポルトガル語が公用語だと思いますが、QSOは

たいてい、各国とも英語で(当局は片言程度のものですが.)行われます。

 

 

次は、日本国内の記念局を紹介します。

昭和63年夏に行われた 青森EXPO’88 のJARL 記念局です。

この局は、青函連絡船の「八甲田丸」の船内に設置された局で、期間中の8月に

QSOしたものです。

 

 

続いては、大変珍しいカードを紹介します。

このカードだけ、無線交信で交換したものではなく、世界のラジオ局などでは、

その曲を受信した旨のデーターを送ると、記念に受信証が送られます。これを

ベリーカードと言い、各国のリスナーやアマチュア無線の交信を聞いてデーターを送り

受信証をもらう SWL というものがあります。 これは短波の受信者という意味で 

ショート ウエーブ リスナー の頭文字をとってSWLと言いますが各国の放送や無線を

日々受信に精を出す諸兄もたくさんいるのです。

1985年(昭和60年)今から31年前ですが、筑波研究学園都市を会場に

つくば国際科学技術博覧会が開催されました。 すぐ近くで開催の博覧会であったため

何回も足を運んだのを覚えております。

このときに、知らない方がほとんどと思いますが、科学万博放送局 「ラジオ きらっと」

という放送局が守谷市の現在の庁舎が立っているところに放送設備とアンテナが設置されて

中波放送 現在のTBS AM放送 954khz のちょっと下の周波数 855 khz で期間中

万博の会場などから放送されていました。

このときに受信報告を送り、送られてきたのが 今回紹介するベリーカードです。

2度と手に入らない超貴重な1枚です。当局にある自慢カードです。

 

 

裏側は はがきの部分で当局あてに送られたものです。

 

 

どうでしたか? 見たことがないでしょう!

あれからもう31年もたったのですねえ。  感慨もひとしおです!

 

続いては、QSLカードに戻りまして、

ヨーグルトの国? ブルガリア との交信です。

寒そうなところですねえ!

 

 

次は、日本からの旅行者も多い サイパン との交信です。

 

 

続いては、アフリカの タンザニア です。

南アフリカはなにしろ日本からは遠く、アマチュア局も少ないことから

交信は容易ではありません。

1980年交信の貴重な1枚です。

 

 

次は やはり地球の裏側の チリ との交信です。

何度も書きますが、こんな小さな出力の電波が

地球の裏側まで、直線距離で17,000キロメートルぐらいでしょうか?

届くのですからねえ! びっくりポンですね。

 

 

次は同じく南米 ボリビア多民族国 との交信です。

この国は、南米の臍の部分、チリの北部にあります。

 

 

次は、また中東に飛んで イラン との交信です。

皆さんご存じのイランイラク戦争があったところです。

1980年に交信したもので、日本人の現地からの運用でした。

 

 

次は、日本人が戦時下にユダヤ人を救った話で有名な

杉浦千畝 さんが活躍した国 リトアニア です。

1986年の交信です。

 

次も南米です。 アルゼンチン との交信で1984年のものです。

 

パート2 は、このへんで閉じまして、パート3 では残りの未交信地域のカードと

国内の記念局などを紹介しようと思います。

 

 本日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

それではまた!

 

 

 

 


アマチュア無線交信(QSO)の思い出 QSLカード の交換について(海外局との交信) パート1

2016年03月24日 | アマチュア無線

このところの

寒の戻りで、寒い日が多く部屋の中で過ごす時間が多かったので

今まで溜まっていたQSLカードの整理を行いました。

QSLカードというのは、世界各国のハムが、交信をするとお互いに交信をした証しとして

カードにその交信のデータを記載したものを双方から送り、交換をするならわしがあります。

このカードを集めて、各国の無線連盟や無線の団体などが発行するアワードというものがあり

これらの申請に使ったりします。

QSLカードは、各個人の局がおもいおもいのデザインで自分で作ったり、印刷会社に注文して作ったりしています。

近年はパソコンを使って作る方も多くなりました。

QSLカードを交換することは、その交信の思い出にもなりますし、

また近年は国際的にはその国の内戦や紛争・戦争などで

無線ができなくなったり、場合によっては国がなくなったりもします。

ですから、後では手に入らなくなったりもするのです。

 

当時を思い出しながら、QSLカードを整理しましたのでご覧下さい。

 

 まず振り出しは、チェコスロバキアの局です。

今から35年前の1981年の交信です。

今はこの国は、今は分離されてしまい ありません。

 

  

 

次は、1980年(昭和55年)交信のベルギーです。

 

 

続いて北欧の国フィンランドです。1981年の交信です。

 

 

次も最初と同じチェコスロバキアの局です。

真ん中の下の部分に当局の海外局に名乗っている”shige”シゲルからシゲと称していますが

カードに書いてくれています。

 

 

次はデンマークの局です。1982年9月の交信でした。

 

 

続いてはベルギー王国の局です。1980年の交信です。

 

  

 

次の局は1982年交信のフィンランドの局です。

写真をカードにしたものです。

 

 

次は場所がヨーロッパから南米に飛び日本からは地球の真裏に位置する

ブラジルで1980年の交信です。

 

次も場所が飛んで南の島パプアニューギニアの局です。1980年の交信です。

 

 

次はまたヨーロッパの局でスウェーデンです。1981年交信です。

次もポーランドの局です。1981年交信です。

 

 

次の局は1982年のソビエト連邦共和国USSRです。ソ連も現在は分離しており

国名はありませんね。

 

 

次も同じソ連局です。1980年交信です。

 

 

次はソ連邦リトアニアの局です。1980年交信です。

 

次は同じくラトビア局です。現在は皆別々の国になってますね。1982年交信です。

 

次はずっと南へ飛んでオーストラリアの局です。 1980年の交信です。

コアラやカンガルーの写真が載っています。

 

 

次もオーストラリアの局でこの方は当時年輩の方で日本びいきの

日本語がとても上手な人です。毎日のように日本の局と交信する有名な方です。

ビルさんという方です。 1981年の交信ですがその後も何度か交信できました。

 

 

次も同じオーストラリア局ですがカードの下に日本語で書いてくださいました。

ピーターさんです。

 

 

次は北米に飛んでカナダのロンさんという局です。 1980年の交信です。

 

 

次はアジアに戻ってインドの局です。 1980年交信です。

カードの表が写真などの場合は裏に交信データが記されています。

 

次はインドネシアの局です。 1980年交信です。

 

 

次は南の島バヌアツ共和国ポートビラの局です。 1982年交信です。

 

 

次はふたたびヨーロッパへ飛びルーマニア ブカレストの局です。 1981年交信です。

たしか、昔のオリンピック体操女子のコマネチさんの母国ですよね!

 

 

次は1981年交信のユーゴスラビアの局です。

 

 

次はニュージーランド局です。日本のほぼ真南ですので比較的

交信はしやすいところではあります。 1980年の交信です。

 

続いてはずっとずっと遠くの国アフリカの南部に位置する南アフリカ共和国ダーバンの局です。

1980年の交信ですが、当時は電波の飛びのコンディションがすごく良かったこと

に助けられた結果と思います。

 

 

電波の飛び方は、上空にある電離層という磁場によって反射しながら伝わります。

反射は、周波数によっても変わってきますし、何よりも大きいのは、太陽の黒点数により

大きな影響を受けます。黒点は多くなったり少なくなったりを繰り返すのですが、

この繰り返しがおおよそ11年の周期で起きるのです。これをサイクルと言いい、

1980年ごろは上昇期にあり遠くの国とも比較的楽に交信出来たのです。

 

とはいっても、当局の設備は当時初級局の免許でしたので、出力10ワットでした。

ワット数だけで考えれば、家庭用」100ボルト電球では60ワットから100ワットぐらいないと

明るくありませんがそれの6分の1か10分の1に相当するものです。こんな弱い電波でも

遠くアフリカや地球の裏側のブラジルなどまで飛んでいき話ができるのですから

楽しいですよね。 ちなみに現在は、平成8年に最上級の資格を得ましたので

200ワットの出力の局として免許されています。 

現在日本のアマチュア局の送信出力は1,000ワット=1kw(キロワット)まで

許可されますが、設備の面やその他のことで開設には

至っていません。もちろん免許資格の面では、クリアーしていますが!!!

 

今日はここまでとして、続きを別のページで立ち上げたいと思います。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

それではまた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


読売新聞コラム記事 「アマ無線記事」の転載について ( 時代の証言者の続きNO28)

2016年03月24日 | アマチュア無線

    読売新聞のコラム記事

 

時代の証言者 #28 (平成28年3月24日)朝刊記事からの転載です。

阪神淡路大震災からアマチュア無線が災害通信に威力を発揮することが

改めて見直され、特に5年前の 3.11 大震災の時の東北各局の活躍も記憶に新しいところです。

さすが JARL原会長(当時の)と今日の記事で改めて実行力の高さに感服したところです。

普通ですとアマチュア無線の無線局の開設は、昔の電波管理局、現在は通信局長あてに

申請書を提出し、審査の後に無線局免許が発給されて初めて電波を出すことができるのですが

早くても2、3週間か1か月近くかかるのです。ずっと以前は、3か月ぐらいかかっていました。

それが大災害対応のため、現総務省がJARL原会長の電話1本で認可を出したということは、ものすごい

超法規的ともいううべきことなのです。

ちなみに、記事の中の無線局コールサインを 8J3AAA ~ 8J3AAB AAC・・・を何百局出します。

とありますが、このコールサインは、JARL(日本アマチュア無線連盟)の特別局に与えられるもので

頭の数字は、JARLの特別局であることを意味します。2番目は 日本国を表す J (JAPAN) です。

3番目の数字の  は日本の中の関西地区を表す数字です。( 日本は数字の0から9までを使い

エリアを10地区に分けています。)0は信越エリア 1は関東エリア 2は東海エリア 3が関西エリア

4が中国エリア 5が四国エリア 6が九州(沖縄を含む)エリア 7が東北エリア 8が北海道エリア

9が北陸エリア と割り当てられています。

4番目から3文字(AAA) は、無線用語でサフィックスといい、

個別に単純にその局であることを表しています。

この組み合わせは、私たちが使用しているコールサインもそうなのですが、

世界に2つと無いものなのです。

従いまして、冒頭の 8J3AAA のコールサインは 日本の関西エリアのJARL特別局

AAAという個別の局となるわけです。

 しつこい説明になりましたが、無線に関係ない方の訪れもあるかと思い、あえて記しました。

 

 #28 記事

 

 今日は当日分の1記事です。 見やすいように少しサイズを上げてみました。

いつも当ページへ来ていただき、感謝申し上げます。

 

ではまた!

 

 

 


読売新聞コラム記事 「アマ無線記事」の転載について ( 時代の証言者の続きNO25からNO27)

2016年03月23日 | アマチュア無線

読売新聞のコラム記事 「時代の証言者」 #25 #26 #27

3日分をまとめて転載します。

 

 #25

この中国からの放送は、古くはジャミング放送といって

使用している我々ハムの運用周波数帯で、強力な放送波を

出してくるので、ハムの出す微弱な電波と違い、

数百、数千KWもの強力電波ですから、そこいらじゅうに中国語が飛び交う

悲惨な状態でした。

そんなわけで、この強力電波の合間を縫って比較的静かなところを

見つけて交信をしていると、いきなり使用電波に重なる周波数で

強力放送を仕掛けてきて、こちらの交信はご破算になるといったことも

しょっちゅうでしたね。

現在はこのようなことがないので静かにQSOが楽しめるようになりました。

当時はこの中国のジャミング放送に、もう一つソ連あたりから

出される ウッドペッカーノイズ というのがありまして、文字通りキツツキの

木をたたく音に似ているところからこう呼ばれましたが、こちらも強力な電波で

交信できないような状態になり、恐れられていました。

こちらはレーダー等の発する雑音電波のようでしたが、ものすごい強力な電波で

とても太刀打ちできる代物ではありませんでしたが、先の中国電波と合わせて

JARLの地道な努力もあって、解決に至ったものと思いますが、

現在ではほとんど聞こえなくなっています。

 

 #26

現在では、国内でもフォックスハンティングやオリエンテーリングとして

無線探査ゲームがあちこちで行われており、国際大会なども行われています。

当局の所属する無線クラブでも、過去に何回かフォックスハンティングを開催し

クラブメンバーで楽しみました。

JARLの茨城県支部でも毎年開催しているようです。

 

 #27

 

 #27号では、 私が以前に書いた 小渕恵三氏(のちの総理大臣)が

国会議員アマ無線クラブの会長になり、アマチュア無線の 衛星通信

のための衛星打ち上げに寄与されたことが書かれています。