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アマチュア無線交信(QSO)の思い出 QSLカード の交換について(海外局との交信) パート1

2016年03月24日 | アマチュア無線

このところの

寒の戻りで、寒い日が多く部屋の中で過ごす時間が多かったので

今まで溜まっていたQSLカードの整理を行いました。

QSLカードというのは、世界各国のハムが、交信をするとお互いに交信をした証しとして

カードにその交信のデータを記載したものを双方から送り、交換をするならわしがあります。

このカードを集めて、各国の無線連盟や無線の団体などが発行するアワードというものがあり

これらの申請に使ったりします。

QSLカードは、各個人の局がおもいおもいのデザインで自分で作ったり、印刷会社に注文して作ったりしています。

近年はパソコンを使って作る方も多くなりました。

QSLカードを交換することは、その交信の思い出にもなりますし、

また近年は国際的にはその国の内戦や紛争・戦争などで

無線ができなくなったり、場合によっては国がなくなったりもします。

ですから、後では手に入らなくなったりもするのです。

 

当時を思い出しながら、QSLカードを整理しましたのでご覧下さい。

 

 まず振り出しは、チェコスロバキアの局です。

今から35年前の1981年の交信です。

今はこの国は、今は分離されてしまい ありません。

 

  

 

次は、1980年(昭和55年)交信のベルギーです。

 

 

続いて北欧の国フィンランドです。1981年の交信です。

 

 

次も最初と同じチェコスロバキアの局です。

真ん中の下の部分に当局の海外局に名乗っている”shige”シゲルからシゲと称していますが

カードに書いてくれています。

 

 

次はデンマークの局です。1982年9月の交信でした。

 

 

続いてはベルギー王国の局です。1980年の交信です。

 

  

 

次の局は1982年交信のフィンランドの局です。

写真をカードにしたものです。

 

 

次は場所がヨーロッパから南米に飛び日本からは地球の真裏に位置する

ブラジルで1980年の交信です。

 

次も場所が飛んで南の島パプアニューギニアの局です。1980年の交信です。

 

 

次はまたヨーロッパの局でスウェーデンです。1981年交信です。

次もポーランドの局です。1981年交信です。

 

 

次の局は1982年のソビエト連邦共和国USSRです。ソ連も現在は分離しており

国名はありませんね。

 

 

次も同じソ連局です。1980年交信です。

 

 

次はソ連邦リトアニアの局です。1980年交信です。

 

次は同じくラトビア局です。現在は皆別々の国になってますね。1982年交信です。

 

次はずっと南へ飛んでオーストラリアの局です。 1980年の交信です。

コアラやカンガルーの写真が載っています。

 

 

次もオーストラリアの局でこの方は当時年輩の方で日本びいきの

日本語がとても上手な人です。毎日のように日本の局と交信する有名な方です。

ビルさんという方です。 1981年の交信ですがその後も何度か交信できました。

 

 

次も同じオーストラリア局ですがカードの下に日本語で書いてくださいました。

ピーターさんです。

 

 

次は北米に飛んでカナダのロンさんという局です。 1980年の交信です。

 

 

次はアジアに戻ってインドの局です。 1980年交信です。

カードの表が写真などの場合は裏に交信データが記されています。

 

次はインドネシアの局です。 1980年交信です。

 

 

次は南の島バヌアツ共和国ポートビラの局です。 1982年交信です。

 

 

次はふたたびヨーロッパへ飛びルーマニア ブカレストの局です。 1981年交信です。

たしか、昔のオリンピック体操女子のコマネチさんの母国ですよね!

 

 

次は1981年交信のユーゴスラビアの局です。

 

 

次はニュージーランド局です。日本のほぼ真南ですので比較的

交信はしやすいところではあります。 1980年の交信です。

 

続いてはずっとずっと遠くの国アフリカの南部に位置する南アフリカ共和国ダーバンの局です。

1980年の交信ですが、当時は電波の飛びのコンディションがすごく良かったこと

に助けられた結果と思います。

 

 

電波の飛び方は、上空にある電離層という磁場によって反射しながら伝わります。

反射は、周波数によっても変わってきますし、何よりも大きいのは、太陽の黒点数により

大きな影響を受けます。黒点は多くなったり少なくなったりを繰り返すのですが、

この繰り返しがおおよそ11年の周期で起きるのです。これをサイクルと言いい、

1980年ごろは上昇期にあり遠くの国とも比較的楽に交信出来たのです。

 

とはいっても、当局の設備は当時初級局の免許でしたので、出力10ワットでした。

ワット数だけで考えれば、家庭用」100ボルト電球では60ワットから100ワットぐらいないと

明るくありませんがそれの6分の1か10分の1に相当するものです。こんな弱い電波でも

遠くアフリカや地球の裏側のブラジルなどまで飛んでいき話ができるのですから

楽しいですよね。 ちなみに現在は、平成8年に最上級の資格を得ましたので

200ワットの出力の局として免許されています。 

現在日本のアマチュア局の送信出力は1,000ワット=1kw(キロワット)まで

許可されますが、設備の面やその他のことで開設には

至っていません。もちろん免許資格の面では、クリアーしていますが!!!

 

今日はここまでとして、続きを別のページで立ち上げたいと思います。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

それではまた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


読売新聞コラム記事 「アマ無線記事」の転載について ( 時代の証言者の続きNO28)

2016年03月24日 | アマチュア無線

    読売新聞のコラム記事

 

時代の証言者 #28 (平成28年3月24日)朝刊記事からの転載です。

阪神淡路大震災からアマチュア無線が災害通信に威力を発揮することが

改めて見直され、特に5年前の 3.11 大震災の時の東北各局の活躍も記憶に新しいところです。

さすが JARL原会長(当時の)と今日の記事で改めて実行力の高さに感服したところです。

普通ですとアマチュア無線の無線局の開設は、昔の電波管理局、現在は通信局長あてに

申請書を提出し、審査の後に無線局免許が発給されて初めて電波を出すことができるのですが

早くても2、3週間か1か月近くかかるのです。ずっと以前は、3か月ぐらいかかっていました。

それが大災害対応のため、現総務省がJARL原会長の電話1本で認可を出したということは、ものすごい

超法規的ともいううべきことなのです。

ちなみに、記事の中の無線局コールサインを 8J3AAA ~ 8J3AAB AAC・・・を何百局出します。

とありますが、このコールサインは、JARL(日本アマチュア無線連盟)の特別局に与えられるもので

頭の数字は、JARLの特別局であることを意味します。2番目は 日本国を表す J (JAPAN) です。

3番目の数字の  は日本の中の関西地区を表す数字です。( 日本は数字の0から9までを使い

エリアを10地区に分けています。)0は信越エリア 1は関東エリア 2は東海エリア 3が関西エリア

4が中国エリア 5が四国エリア 6が九州(沖縄を含む)エリア 7が東北エリア 8が北海道エリア

9が北陸エリア と割り当てられています。

4番目から3文字(AAA) は、無線用語でサフィックスといい、

個別に単純にその局であることを表しています。

この組み合わせは、私たちが使用しているコールサインもそうなのですが、

世界に2つと無いものなのです。

従いまして、冒頭の 8J3AAA のコールサインは 日本の関西エリアのJARL特別局

AAAという個別の局となるわけです。

 しつこい説明になりましたが、無線に関係ない方の訪れもあるかと思い、あえて記しました。

 

 #28 記事

 

 今日は当日分の1記事です。 見やすいように少しサイズを上げてみました。

いつも当ページへ来ていただき、感謝申し上げます。

 

ではまた!