シゲジイのgooブログです!

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ラジオ少年などについて (ラジオ製作記事第2段)

2016年03月14日 | アマチュア無線

 

 真空管ラジオ製作にあたり、キットの頒布を頂いた

NPO法人 ラジオ少年の記事です。

 

   

 

 

 

    今回製作した5球スーパーのものではありませんがほぼ同型のキットの配線図です。

 

 真空管を5本使うので5球と言い、スーパーヘテロダイン方式受信機からスーパーを取って

5球スーパーラジオ というのです。

回路図の中の、丸い図が真空管の記号でこの回路は5球のほかに、

もう1本追加して6球となっています。これは特殊な真空管で

マジック・アイ というもので放送曲を選曲するときにバリコンという部品のつまみを

まわして行うのですが、同調したことが分かるようにネオン管になっている部分が

扇子のように閉じたり開いたりするのです。これを見て同調点がわかるようにした

真空管の一種です。

 

 

 

 


読売新聞のコラム記事のアマ無線記事の転載について

2016年03月14日 | アマチュア無線

読売新聞のコラム記事 時代の証言者

この記事はシリーズで ハローCQ 原 昌三 の記事が

掲載されていましたので

切り抜きで転載させていただきます。

筆者の 原 昌三 さんは、最近まで日本アマチュア無線連盟の会長職

長い間、務めてこられた方です。

ここ毎日、読売新聞に掲載されていたようですが、気が付かずにいたため

自宅に残されていたもののみ #15から#20 まで切り抜きました。

#15 では タイトルがアマ無線 南極へ行く と題して

初めて昭和基地に アマ無線 が設置されるに至ることが記載されております。

基地に設置されたその後は、越冬隊が現地の観測作業の余暇時間を利用するなどで

アマ無線局の運用がされてきています。

小生も相当昔になりますが、昭和基地と交信できました。

現地とは、気象条件や電波の伝わり方(電波の伝搬といいます。)

の日々の変化などいくつかの条件が整わないと

交信が難しい現状があります。

 

アマチュア無線は、有名人の方も免許を持って実際に交信されている方も

大勢います。

古くは、今は故人ですが ひょっこりひょうたん島 で有名な藤村有弘さんも

有名人ハムでした。

また、先般、大臣職を辞されました小渕優子さんのお父さんの

今は亡き 小渕恵三前総理大臣も著名人のアマ無線家で

国会内に衆議院議員時代には、国会アマチュア無線クラブを作って

活躍されると同時に、アマ無線に造詣の深い方でしたので、

原前会長も大いに親交を深めたと協会誌の記事等で目にしてきました。

 

当局も、平成22年に協会の会員として30年以上表彰を受けましたが

当時の 原 昌三会長名 の賞状がシャックに飾ってあります。

以下に新聞切り抜きをアップします。

 

  ハロー CQ 原 昌三 15

 

   ハロー CQ 原 昌三 16

 

    ハロー CQ 原 昌三 17

 

    ハロー CQ 原 昌三 18

 

    ハロー CQ 原 昌三 19

 

   ハロー CQ 原 昌三 20

   平成28年3月14日 新聞

 

#1号から記事があったのだと思いますが

当局の所にあった6号分を転載しました。

 

それではまた!

 

 

 


昔懐かしい真空管ラジオの制作について

2016年03月14日 | アマチュア無線

昔懐かしい真空管ラジオの制作について

 

  上の写真は、キットを組み立ててみたものです。久しぶりに半田ゴテを握りました。

 

今日は、昔懐かしい真空管ラジオを紹介します。

今から、50数年前に小生が小学生のころ、図書室の本で 鉱石ラジオ

(現在のゲルマニュームラジオ)の記事を見て、ものすごく興味を抱きました。

その後、この鉱石ラジオを作ってみたくなり何とか部品を集めて

作ってみました。この辺りが小生が電気について興味を持つきっかけだった

ように思います。

鉱石ラジオは、イヤフォーンで聴くのですが、スピーカーから音の出る

ラジオを作ってみたくなり、昭和30年代の後半ごろだったと思いますが

当時は、お金がないので古くなったラジオなどから部品を取り、

どうしても必要な部品で手元にないもの(例えば同調コイルなど)は

水海道の街の中にあった、電気屋さんに部品を売っているところがあり

お小遣いを貯めて自転車ではるばる買いに行った。

(そんなに遠方ではないが、当時の田舎の小学生には遠くに感じていた。)

そして集めた部品を並べて組み立てを夜も寝ずに行ったことを思い出す。

最初から音がですに、いろいろ試行錯誤を繰り返しやっているうちに

スピーカーから放送の音が聞こえだした。感動の一瞬でした。

その後中学生になって、アマチュア無線に興味を持ち、当時守谷市にあった本屋さんに行き、

国家試験の問題集を手に入れて、毎日友達に協力をしてもらい勉強しました。

しかし、当時は受験に行くには東京までいかねばならず、田舎住まいの中学生にはハードルが高く

しかも受験の時か免許申請の時か忘れましたが、当時は医師の健康診断書が必要でした。

そのようなわけで、国家試験を東京蒲田にあった日本電子工学院で受験したのは、

高校生になってからでした。

現在も続けているアマチュア無線の原点は、

正に鉱石ラジオそして真空管ラジオ作りであったと思っています。

 

中学生の頃は、秋葉原に行くことも出来るようになり、真空管ラジオなどの

部品は、お金さえ出せばすぐに手に入る状況にありました。

しかも当時はまだトランジスターが普及する前でしたので

部品などは、沢山出回っていたのです。

 

現在は、真空管などといっても知っている人も少なくなり、

若い人は、なに?それ! の世界ではないかと思います。

 

そんなこんなで、昔のことを思い出し、ラジオを作ってみたくなりました。

しかし、かなか部品の調達が今となっては、大変難しくなってしまいました。

そこで 東北にあるNPO法人のラジオ少年というところで部品や

制作キットを頒布していることを知り、今回制作した5球スーパーラジオキットを購入し

制作に至った次第です。

当然昔と違い、今は作られていない真空管やその他の部品類ですので

法人でも手に入れるのは困難ですから、価格は、今のメーカー製の

立派なICラジオやステレオが買えるものです。

今この記事を書いている最中も 写真の5球スーパーで

NHKの国会中継を聴きながらやっています。

結構いい音で聞こえています。 真空管式は音にぬくもりと柔らかさを感じています。

オーディオの世界でもいまだに、真空管式アンプを用いているオールドファンが

沢山います。

今真空管式アンプを買おうとすると、ちょっとしたものでも

15万円ぐらいから50万円ぐらいしています。

先ほどの真空管ラジオ時代でしたら、同じものが数万円で制作可能でした。

  時代は変わりましたね。!!!

 

 今日は思い出話にお付き合いいただきありがとうございました。

次は、パソコンや無線の思い出話を書いてみようと思っています。

また、見ていただけると嬉しいです。

  それでは!