でもよく考えると当時も保安隊向け車両は、おそらく現在と同様に特別の登録システムができていたと思われます。つまり保安隊独自の車検証です。CJ3A-J1は、おそらく最初のKDパック分の60数台で、実はCJ3B-J3が民間向けとして発売が開始される昭和29年央までの間は、CJ3A-J2(12ボルト換装)が保安隊向けに生産され続けていたのではと考えられます。手元にある信憑性の低いデータによると、保安隊向けJ2は毎年この程度生産され納入された可能性があります。(J57改@日野市の独断と偏見による類推です)
昭和28年(1953年) 全生産台数 2938台 ⇒ うち保安隊向け 1686台
29年(1954年) 2934台 ⇒ 2882台
30年(1955年) 1451台 216台本当のところは、定かではありませんが
私はCJ3A-J2が大量に生産されたのでは
ないかとの仮説を立てました。
?追記?
どうもこの仮説はある程度正しいようです。三菱ジープの〇〇の最終ページに
約1500台レベルのJ2が生産された旨の
記述がありました。
点と点がつながりました。
★三菱ジープ互助会★
代表発起人J57改@日野市
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