エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

地の上での人間の位置

2024-07-11 | メッセージ

地の上での人間の位置

詩編104:19-24 
 
人が自然と対立する図式を、聖書は、というより元来人は、想定していなかったと思われます。104編の詩は、そういう前提から、いま私たちが捉える「自然」なるものをも、すべて「被造物」という横一線の仲間の内に捉えています。今日は天体を見上げるところから始まります。月と太陽の「季節のため」とは、太陽による四季の変化のことでしょうか。
 
新月毎に祭りをするようなしきたりの中で、月の満ち欠けが指標となっていた文化がここに見えるものと推測できます。つまり、私たちの言う「季節」感覚とは少し違うのではないか、ということです。太陽の「沈む場所」は日に日に変わります。本来の季節はこちらに基づきますが、現代では地球に存在するエネルギーは「太陽エネルギー」としています。
 
この詩でもその欠片は見えるのですが、太陽が闇をつくる、というのはどうでしょうか。よく考えると、太陽が照らさないことで、夜ができるわけです。動物の活動は、その夜行性ということを踏まえながら、詩人は描きます。ライオンが「神から食べ物を求める」という指摘は、動物を神が支えるということで、なかなか興味深いものです。
 
朝になり太陽が昇ると、動物たちは巣穴に戻ります。それに対して「人は仕事に出かけ/日暮れまで働く」のだそうです。ひとは、陽の光の下で活動するのです。光の中を歩むイメージも、こうして定着していくのかもしれません。ここでも、人が自然を支配しているというような思想は感じられません。人は自然の中の一部に過ぎないのです。
 
被造物は主によって創造されたのであり、主によって支配を受けています。その意味では、この世界はみな、神の国として存立しています。そこで詩人は主に向かって言います。「主よ、あなたの業はいかに豊かなことか/あなたは知恵によってすべてを造られた。/地はあなたの造られたもので満ちている。」私たちも、この詩人と共に主を見上げたい。
 
この地において、どうやら人間は、増えすぎてしまったようです。人間は、食物連鎖の関係を超越した位置に立ってしまいました。勝手に、そのように世界を造りかえてしまいました。人間がもしも神の位置に立つような錯覚を起こしているとすれば、由々しきことです。神を忘れて、神にでもなったと思ってしまうと、恐ろしいことになるのです。


主よ、あなたの業はいかに豊かなことか。
あなたは知恵によってすべてを造られた。
地はあなたの造られたもので満ちている。(詩編104:24)

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