エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

反面教師の証し

2024-06-25 | メッセージ

ヨナ1:1-10 
 
「主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ」とは、物語の始まりとして絶妙なものです。どうしてそんなことが起こったのか、背景の説明を求める人がいるかもしれません。が、全く意に介しません。神の介入というのは、そういうものです。人の側に、理由や原因があるわけではありません。マリアやヨセフの側に期待や望みがあったのではありません。
 
ニネベの人々の悪が主の前に上ってきたことが、ヨナとどう関係があるでしょうか。何故ヨナが、ニネベへ行って呼びかけねばならないのでしょうか。ヨナはこれに従いませんでした。主の声を聞いて、どうして私が、とか、私にはできません、とか、答えた者の例は聖書にはたくさんあります。しかし、ヨナは立ち上がり、逃亡したのでした。
 
前代未聞です。ニネベとは全く違う方向へ行く船に乗ります。ただそこにじっとしていてもよさそうなものを、そこから逃げ去ることで、主からも逃げることができると単純に考えたようです。私たちも、心当たりがあることではないでしょうか。とにかく何か逃げ出さなければ、と、その場を離れればよいような気になるわけです。
 
このとき、ヨナは「船賃」を払っています。人間として正式な手続きをとったことが、わざわざ記されています。人としては社会的になんら問題とはならない行動だったということですが、神の言葉に背いたということが、よけいに際立たせられるように見えます。主は、そのままにはしておきません。海に大嵐を起こし、船を危機に陥れます。
 
船は、つまり人間の思惑は、「砕けそうになった」のでした。乗っている船乗りたちは、いろいろな神をそれぞれ信奉しています。人間の側の信仰心で以て、助けを求めます。創造主にではなく、それぞれの神へ叫ぶのです。船を軽くしようと積み荷を捨てる、というように、結局人の知恵を頼りとしていることにも注目しましょう。
 
寝ているヨナは、何を思っていたでしょう。あなたもあなたの神を呼べ。どんな神でもよいから、とにかく呼び出されるべきだ、というのが通常の人間の考え方でした。神意がこのように明らかになることは、当時常識であったかもしれません。災いが起きると、それは誰か人のせいなのです。旧約聖書にもよくそうしたことが描かれています。
 
果たしてヨナが、その原因だと判明します。ヨナは覚悟していました。観念して、事情を明らかにします。創造主の命令に背き、神の許から逃亡してきたのだ、と話します。人々は、それを信じました。ヨナの語る創造主のことを信じたのです。ヨナの告白は、好ましからざる「証し」でした。しかし、人々が、この神の存在を、きっと信じたのです。


人々は非常に恐れ、ヨナに「あなたは何をしたのか」と言った。
ヨナが、主の御顔を避けて逃亡したことを伝えたので、
人々はその経緯を知った。(ヨナ1:10)

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