ルカ11:29-32
「しるし」とは、分かったような、分からないような語です。「証拠」のようなものと理解すればよい、と言われることがあります。時に「象徴・シンボル」と見てはどうでしょう。「メタファー」を想定してもよいかも。「今の時代は邪悪な時代である」は、全体として突きつける言葉ではあるでしょうが、ここだけ聞いて終わりではありません。
イエスの伝えたいことは、まだ十分受けたことにはなりません。「ヨナのしるし」並びに、ソロモンのことを知るべきだ、とすべきでしょう。ヨナのニネベに対する関係と、ソロモンの南の女王に対する関係が重ねられているのです。このメタファーは何でしょうか。これら二つ挙げられた事柄に共通するのは、異邦世界です。
ニネベは元来、ユダヤとは何のつながりもありませんでした。南の女王とはどこのことか定かでないとも言われますが、エジプトなりエチオピアなり、アフリカの国の女王だろうと見られています。イスラエルからすれば、神に選ばれた国とは思えないところです。しかし、ソロモン王からは絶大な祝福を受けました。
ニネベの都は、悔い改めた故に救われました。女王は、ソロモンの知恵を称えたことで、イスラエルの神と栄光と出会ったのでしょう。このようなシンボル的なあり方は、異邦人と神との結びつきを示すものですが、イエス・キリストの現れは、それどころのものではありません。ルカはそれを伝えたいはずです。
イエス自身がそう言っていたのかもしれませんが、私たちはルカのスタンスで、イエスをしっかりと捉えたいと思います。悔い改めと異邦人に着目するルカは「裁きの時」をいま考えます。南の女王とニネベの人々も、また復活すると言い、今の時代の人々を「罪に定める」とまで断じています。もちろん、神が背後でそうさせるのです。
この箇所まで、ベルゼブル論争や、汚れた霊といったことに、ルカは触れてきました。悔い改めなど他人事のようにしか考えていないこの時代、それを邪悪だとしているのではないでしょうか。自分が救われているという証拠を欲しがるのは、ひどく自己本位でありましょう。そして、そこに私たち自身の姿を見る思いがしないでしょうか。
今の時代は邪悪な時代である。
しるしを欲しがるが、
ヨナのしるしのほかには、
しるしは与えられない。(ルカ11:29)