翡翠色 オパール色 風の声

おひとりさまの人生 感じて 考えて 味わって(?)
草花とメダカに癒され生きています

父の人生 昭和という時代

2008-08-15 | 世の中の心配ゴト

お気に入りの1枚 祖父母と父とその姉2人の夏の1コマ 
おそらく昭和10年頃ではないかと思われます
まだ穏やかな日々だったのでしょうか・・・



今日くらいは、平和のありがたさを、考えてみませんか?


それまで考えた事もなかったのですが、父が亡くなり、母が亡くなって、
両親の人生について考えるようになりました。

父は昭和3年、母は昭和10年生まれ。
第二次世界大戦があった昭和16年~20年。
父は、一番楽しいであろう青春時代が戦時中です。

祖父は新宿で米屋を営んでおりましたが、統制品になり商売も出来ず、
渋谷の駅前で、旅館を始めましたが、東京大空襲で全部焼けてしまいました。

敵機が来て、みんなが防空壕に逃げ込むのに
物干し台でB29を見るのに夢中だった程、飛行機好きだった父。

航空隊に入隊を夢見ていた寸前で、終戦になり、一命を取りとめました。
でも、自分は特攻隊で死ぬ筈だったのに・・と、70歳を過ぎても言い続けていました。
その思いは、もう戦後教育で育った私の理解の範疇を越えています。

つかこうへいさんの「戦争で死ねなかったおとうさんのために」、
なんだか父の事みたいで、その昔、思わず手に取って読みました。


父も母も、食糧難を経験しています。
疎開先で肩身の狭い中で、それまでおぼっちゃん育ちだった父が、
畑を開墾して野菜を作る事が、どれほど切なかったことかと思いますが、
食べる為には、ただただ、鍬を振るしかなかったのです。
あまりの空腹と喉の渇きに、きれいそうな田んぼの水を飲んで、
赤痢と腸チフスににいっぺんにかかり、生死を彷徨ったと聞きました。
「蛍の墓」をご覧になった方は、体感できなくとも、その悲惨さは汲み取れる事でしょう。


もちろん、戦後も様々な苦労はしてきていますが、
今まさに後期高齢者と呼ばれる方達は、この世代です。
この世代の人達が、この平和で、飢える事のない時代を築いてくれたのに、
せめてなんとか福祉を手厚くできないのかと、心から思います。

自分も含め、今の60代より下の人は、財源不足の皺寄せを受けても仕方ないと思っています。
その為には、自衛手段も考えます。
でも、戦中戦後に、怖い思いを沢山して、ひもじい思いをした人達には、
せめて安心できる老後を、なんとかしてあげられないものかと、切に思うのです。


手前の男の子が父、真ん中が戦後すぐに結核で亡くなった叔母、右が上の叔母・現在80過ぎても元気に世界を旅しています


とあるおつきあいので、私は時々、作曲家の故・吉田正先生のオーケストラ
コンサートにお邪魔します。
昭和の名曲・吉田メロディーの数々をオーケストラが演奏するというコンサート。
お客さんは、70代~80代くらいの方が一番多い印象。

いつも最後に「異国の丘」という、シベリア抑留時代に作られた曲の演奏があり、
年配の方達は、口々に歌っています。
満員のホールを見渡すと、皆が、過ぎ去りし時代を、
万感の思いで、反芻している気がしてなりません・・・


第二次世界大戦は、歴史書の物語ではなく、ほんの少し前にあった事です。
今、あなたのまわりにいるお年寄りの方々が、みんな経験した事なんです。


そんな時代に生きたいですか?


私は思想的に右も左でもありませんが、やはり先人達の切ない時代を忘れてはいけないし、
尊敬も感謝もしています。

そんな思いをして生き抜いて来た祖父母や両親に、もう少し優しくしてあげればよかったと思いますが、
孝行したい時に、親はなし・・・です・・・




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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは~ (はづき)
2008-08-15 13:08:05
今日は、終戦記念日・・・

翠さんの記事で、思いだしました

この、時代を、生きてきた方々は、そうなんですよね~

青春も、なにも、なかったのだろ~と、そして、お米は配給になった。。。

そんな時代、今の、私たちには、とっても生き抜いてこれなかっただろうと。。。
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お返事 >父の人生 (翠のお返事)
2008-08-15 19:31:52
絶対に、そんな時代に生きたくないですよね。
戦争は、想像付かない位、恐ろしいです。
父と母は、かなりわがままな人達でしたが、
こんな時代に苦労したんだと思ったら、
好き放題していいよ、と言いたくなりました。
もし、私に子供が居たら、毎年8/15は、
教育の為に絶食させたいところです。
返信する
考えさせられます。 (原村)
2008-08-16 07:30:01
おはようございます。翠さん。

ジックリ考えてからコメントを。
今日も暑くなりそうです。
残暑厳しき折、ご自愛のほど。
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Unknown (ソダテ)
2008-08-16 10:30:58
翠さんの平和への願い。あの時代を生き抜いた方々への思い。
私も、同じ思いでおります。

私の母も、満州より引き揚げてきました。家族誰一人かけることなく。。。奇跡です。

その時、無事に帰ってこれなかったら、いま私はこの世にいません。こんなに幸せに食べることに困らずに生かせてもらっていません。

国を支えていく、若者が大勢亡くなり、生き残った方々の苦労は、私たちが想像すらできないものだったと思います。
その方々がいてくれたからこその今日。
忘れてはならないと思います。

改めて、考える機会を与えて下さってありがとうございます。
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お返事 >父の人生 (翠のお返事)
2008-08-16 18:53:30

原村さん、こんにちは!

みなさん、きっと色々な思いやお考えがあると思います。
少し違う世代の方のお考え、聞かせていただければ、幸いです。

私は、なんとかバテずにすごしております。
ありがとうございます。


ソダテさん、こんにちは!

段々年とともに切実に思う事が増えてくるような気がします。
お母様、大陸から引き上げていらしたのですね。
もの凄い混乱だった中、残留せずに、本当によかったです。
どれだけ故郷に帰りたくても帰れなかった人がいた事か・・・
少しでも親達の経験を、次世代に伝えて行かなければならないと、
最近になり、使命感のように思うようになりました。
なんだか、あまりにぞんざいに生きている人が多いような気がするんですよね。
まぁ、自分も含めてですけど・・・

トロピカルフルーツの成長、楽しみにしています
返信する
感謝します (みくあ)
2008-08-17 01:36:02
翠さんありがとうございます。

平和であることが「当たり前」となってしまった今の時代。
その平和があるのは、ほんの60年余り前の多くの犠牲のお蔭なんですよね。
「平和」であることはどんなに有り難いことでしょう。

多くの方たちの犠牲やご苦労があったからこそ、今の自分たちがあることへの感謝を持ちたいですし、もう二度と戦争は起こしてなならないと誓いたいです。
そして、家族や、自分の周りにいるひとたちとの人間関係を良くすることも平和への大きな貢献だと思います。
国と国の平和は、個々としては、ひとりひとりの人間の心が穏やかで平和で満ちてこそ成り立ちますものね。

昔の貴重なお写真を含め、多くの気づきを与えてくださったことに感謝をしています。
ありがとうございます。

話しはお写真に写っている叔母さまのことになりますが、この時から、ハイカラさんですね。
お育ちの良さもあるのでしょうが、ハイカラさんだというのがひと目解り、「その人らしさ」というものを大事に生きていくことの素晴らしさも感じています
返信する
お返事 >父の人生 (翠のお返事)
2008-08-17 14:23:04
みくあさん、こんにちは!

一昨年でしたか、ドラマで特攻兵が現代にタイムスリップして、
「こんな時代を作る為に、自分たちは戦ったんじゃない!」と叫ぶシーンがあったのですが、
あぁ、その通りだなと思い、とても印象に残りました。
彼らの思いに感謝して、ちゃんと生きて行かなければいけませんよね。

せめて、飢える事のありがたみを、一人一人が考えたら、随分世の中が変わるような気がします。
祈るだけではない、具体的なアクションとして。

伯母は、とても元気です。
70過ぎてスキーを始め、絵画や書など趣味に生き、
伯父亡き後、80を過ぎた今でも、一人でパックツアーに乗って海外へ行っています。
父以上に、乙女時代を戦争に席巻された世代、
せめて楽しい思いを一つでもしてほしいと、陰ながら願っています。








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平和ボケ (Harry Potter)
2011-08-15 08:51:50
まずは素敵なお写真に見とれてしまいました。
写真ってとってはおくけどこうして取り出してその方の存在を確認するってなかなかしないもの。
翠さんのお父様への愛情が感じられます。

私の両親は戦時中は幼く、祖父母も比較的恵まれた環境にいたため悲壮な戦争体験を語りつがれた経験はないのですが、本や映画を通してその壮絶さは想像できます。
現代社会で受験戦争がなんだとかニートだとか言われているけれど、飢えているのが日常化し、毎日のように身近な人たちが亡くなっていく、愛する人を戦地に送る生木を裂かれる思い、空襲警報におびえ明日の命も知れない生活が1年以上続く、そんな生活に比べれば甘いのではないかと思います。
決して戦争は風化も美化もさせてはいけない。
なんとしても英知で避けなければならないものだと思います。

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ハリーさん、コメントありがとうございます (翠のお返事)
2011-08-16 09:49:54
いつも感情に任せて、人の都合はおかまいなしに、
あれこれ言ってくる父との関係というのは、微妙なものでした。
携帯電話の番号も、かなり長い事秘密にしていましたし、
教えてからも、かけて来ては一方的に喋るので、着信拒否にしていた事もありました。
でも、確かに父の愛情に対して気が状態だった事も、自分では認識しています。
大変な思いで生きて来たのに、もうちょっと優しくしておけばよかったと、思った時には遅過ぎました。

毎日が死と隣り合わせの日々。
このブログにも出て来る、吉田正さんの奥様と懇意にさせていただいていたのですが、神田から逃げ惑った空襲の話をよく教えて頂きました。
毎回言っていた事は、ドラマでやる戦争は綺麗過ぎるという事で、あんなもんじゃない、を繰り返していました。

そういう時代があってこその今なのですから、感謝と鎮魂の気持ちを忘れてはいけませんね。
自分にとっても歴史上の話という感覚でしたが、私が生まれるわずか10数年前にあった事で、
非常にリアルな現実なんですよね、実は。
激動の時代を生きた人達が、語ってくれるうちに、是非、お子さん達にも、お話をして頂くといいですね。
自分に子どもがいたら、1日位、食事抜きにして、平和のありがたみを感じさせたいところです。
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