翡翠色 オパール色 風の声

おひとりさまの人生 感じて 考えて 味わって(?)
草花とメダカに癒され生きています

おひとりさまの緊急連絡網

2009-02-20 | 1人で生きていく事
少し前に、独り身の叔母が緊急入院をしました。
生死をさまよい、なんとか生還し落ち着いたのですが、
我が身にもありえるかも知れないこの状況。

もし自分が危篤になったら、もし自分が亡くなったら、
私の日常を知らない親戚達が右往左往するのは、目に見えるようです。
今回の事で、専業主婦の伯母(姉)と叔母(妹)の2人が、情報を確認せずに、
聞きかじりの知識で行動するところを見たら、本気で「これは大変だ!」と青くなった次第です。

               
 
私は、離婚して1人暮らしを始めてから、「もしも」の時の為に、
連絡して欲しい人のリストを、いつも手帳に入れて持ち歩いています。
名前・電話番号・FAX番号・メールアドレス・どんな関係の人か・特に優先して連絡して欲しい人、
それらをExcelで表にして、縮小版にしたものです。

案外、交遊関係というのは、親子でも、夫婦でも、わかっていない場合が多いのではないでしょうか。
そうなると、たとえば弔問に来てくれた人でも、残された家族や親戚が優遇(?)するのは、
彼等が知っている人、と言うようになるのは、周辺の例を見ると、どうも多い気がします。

正直、それは嫌です!

遠い親戚より、近くの他人。
私の心情をよく知り、何かにつけて助けてもらっている友人達にこそ、ゆっくりお別れをして欲しいものです。
同居している家族がいるならともかく、核家族化が進んだ今、密な付き合いをしているのは、
親族ではない場合の方が多い筈です。

               

かつて母や父に、亡くなった場合に連絡して欲しい人の連絡先を教えてもらっていました。
母が亡くなって、実際に連絡を始めると、仕事関係の付き合いが膨大で、
年配の方は話しが長く、1日中電話をしまくりましたが、結局、連絡しきれずに葬儀になってしまいました。

今、私の持っているリストも、小学校の頃の緊急連絡網のように、
誰かに連絡したら、その知り合いには、その方から連絡がまわるような形式に、
作り直そうと思っています。

命に別状が無くても、入院したら連絡して欲しい友人、
危篤の時に連絡して欲しい友人、
亡くなったら葬儀の連絡をして欲しい友人・知人・仕事関係。
それぞれに分ける必要もあると思いました。

他にも、延命をどうするか、臓器提供をどうするか、
葬儀に関する希望、資産の処分について記した遺言書のありか、等々。

               

そして、そのリストがある事を、なるべく多くの人に知らせておかなければ、
用を成しません。

家族はいませんので、従姉妹や伯母、友人達に常々言っておかなければ、
必要な時に機能しないのと、誰か1人が突っ走ってしまう事を避ける為にも、
なるべく沢山の人に伝えておくべきだと思いました。

意外かと思われるかも知れませんが「私が一番よくわかっている」と言い出す人が、
結構何人も出るものなのです。
今回、おひとり様として生きて来た叔母についても、今、これが一番問題になっています。
私が1番よくわかっていると言う伯母(姉)、万事を託されていると言う近所の友人の方、
ついでに言えば、私もあれこれ聞かされている事があるのですが、
伯母(姉)の言う事と違っていたりで、心中、複雑なものがあります。
こんな時に、本人が書いたものが、一筆あれば・・・

結局、叔母は一命を取り留め、話を聞いてみると、
近所の方に色々と託しているのが正解だったのですが、
この方も、姉妹の主張を差し置いて、叔母の思いを守りきれるとも思えません。

               

余命宣告をされたような状態では、まわりから本人には聞きにくいものです。
自ら言う、夫婦間・親子間で聞く時は、なるべく元気なうちに話しをしておくのが一番です。

家族がいても、いなくても、若くても、若くなくても、
緊急連絡網、もしもの時にこうして欲しい事を書き綴ったもの、
作っておくに越した事はないと思うのです。


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新春大吉!

2009-01-04 | 1人で生きていく事
   
遅ればせながら・・・


   あけまして おめでとうございます


静かで、穏やかな、新年を迎えました。

住む場所も追われる人々がニュースに映し出される切ない年の瀬、0時を過ぎ、
暖かな部屋で、ひもじさもなく、何かにおびえる事もなく、布団にもぐりこめる幸せを、
しみじみと感じながら、眠りにつきました。

この0時を越える事は、私にとっては大きな意味がありました。
この数年間、1年おきに、兄・父・母と、立て続けに誰かがこの世を去り、
もし何かの力が作用しているとすれば、昨年は私ではないかと、
根拠もない影に、戦々恐々としながら過ごした1年間でした。

ゆく年、くる年・・・・無事、クリア!

何かがふっきれたように、新しい年に突入しました!!



 紅白の大輪プリムラ お正月にあわせるように満開になり、ベランダガーデンを彩ってくれました


さて、今年の抱負という程でもないですが、人生の折り返し地点を過ぎたであろう年になり、
体力のあるうちにやりたいと思う事、頭の回転を少しでも落とさない為にもやりたい事、
少し整理して、ひとつひとつ現実化させて行きたいと思っています。

なかなかぼんやり思っているだけでは、いつまでたっても実現しないですよね。
こうして書き出す事が、初めの一歩のつもりで・・・


まずは、旅に出なければ・・・私のココロの栄養素であります。

体力の入りそうな場所へと出て行った20代・30代。

    アフリカのサバンナやサハラ砂漠、中国の山間部、アンデスやアマゾン・・・

まだまだ行きたい所がいっぱいです。

   一番の憧れはギアナ高地のテーブルマウンテン 理屈ではなく、だだただこの風景を見たいと思っています。
    
   それからナミブ砂漠の砂のうねりや、北極圏のオーロラ、南米最南端で氷河が海に崩れ落ちる瞬間も見てみたい。

   今は大変な事になっているイスラエルのキリスト教・ユダヤ教・イスラム教の聖地で、
    人間が作り出した宗教というものの存在について、改めて考えてみたい。

   素朴な子供の笑顔にも出会いたいし、自然と共に生きる術を持った人達の生活も経験してみたい。

   大好きなクリムトやモネやローランサンの絵を巡る旅もしてみたい。


私は、ヤワな旅人ではありますが、自分が失いかけている大切な心の芯や、こまでになかった価値観を、
必ずと言っていい程、旅は浮き彫りにしてくれます。

旅は、トラブルもあるし、嫌な思いをする事もあります。
でも、その経験は、必ずや元気の源となって、また暫く、私を動かしてくれるように思えてならないのです。

今年は、必ずや、どこかに行きます!!

    
(えー、途中迄になっているベトナムの旅話の続きもアップしますし、
他の国の思い出話も順次アップしていきますので、どうかまた、おつきあいの程を・・・)


 
          ぷくっと蕾みが膨らみだした水仙とアネモネ


それから、ここ近年、強く思うようになった事は、人に会うという事です。
忙しさにかまけいたり、照れもあって疎遠になっている人、
気になったら、こちらからアクションを起こそうと思います。

幼い頃仲良しだった友人、お世話になった方、特に年配の知り合い・・・

うちの家族を見ていると、相手にも自分にも、いつ何が起こるかわからない、
だから会いたいと思い続けている人には、ものぐさせずに、ちゃんと会う年にしようと思います。


やりたいと思っている趣味やスキルアップも、今年は一歩を踏み出そうと思います。
どこかの雑誌のコピーではありませんが、20代はお金が無く、30代は時間が無く、
40代になり、すったもんだの前半が過ぎ、やっとゆったりやりたい事に打ち込めそうな気がするのです。

もう少し英会話をちゃんと使えるものにしたいので、きちんとレッスンを受けようかと。
かねてからやりたいと思っていた陶芸や水墨画も、習いたいですね。
もう少し時間の余裕が出来たら、大学の社会人講座で文化人類学や世界経済について、
勉強もしたいなと思っています。


社会貢献なんて言うと、何か大それていますが、
自分がこの消費社会を生きている中で、自然生態に負担をかけている事や、
子供がいない事である余裕を、必要とするところに還元して行く事も考えています。


あとは、このブログを初めとするメディアで、私なりの視点で思った事を、発信していく事。





さて、いつになく、のんびりとすごしたお正月。
1人な事もあり、おせちをきちんとは作ったりしませんが、それらしいお膳(と、言うか、ほとんどツマミ)を用意。
蟹はTちゃんが東京に帰って来るまで、おあずけ。

お雑煮を作って、スパークリングワインを開けちゃう事にしました。
よくよく考えてみると、1人でフルボトルのスパークリングワインを開けるのは初めてで、
コルクが抜けなくて四苦八苦。
ポンと、コルクが換気扇めがけて飛んで行った時には、すっかりお餅が焦げていました。
まぁ、年は明けても、ここのところは、相変わらず進歩していないところでございます。。。


この日の為に(?)買っておいたシャンパンストッパー、これさえあれば1人で毎日スパークリングワインです


なんと表現していいのか、上手く言葉になりませんが、今、私はとても幸せです。

特に楽しい事はなく、1人で生きているけれど、辛い事も、苦しい事もない。

それが、どけだけ有り難いと思えるかは、これまでの人生の痛い思いのなせる業です。
特に、3年前から昨春にかけての、泥海を泳ぎながら息をするのに精一杯だった日々を思えば、
もう怖いものなど無いようにも思えます。

世の中はとても冷え込んで、大変な事が起こるかも知れません。
それでも、多分私は焦らない事でしょう。
所詮はスーツケース1つあれば、生きて行けると、どこかで思っているからです。


近所の氏神様に初詣に行き、おみくじをひいたら「大吉」が出て、
にへらにへらと、ほくそ笑みながら、帰って来ました。

ホントに、ワタシ、シアセだわ・・・
どうか、この幸せが、みんなにも波及していく事を、願ってやみません。


大切なものは、どんな人にも真摯に接する事、人としての品格を失わない事、そして穏やかな心でいる事、

それだけを全ての基準において、生きていきたいと、今更ながらに思った、この年始なのでした。

こうして文字に書き記す事で、また時々眺めては、自分がブレていないかを、確認しながら
今年1年を過ごしていたいと思います。

ふつつか者ですが、今年も、宜しくお願い申し上げますね。


      気持ちも新たに、新しいカテゴリーに登録してみました。 
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スパークリングワインは、キムタクをツマミに・・・えへっ

みなさまのおかげです!

2008-12-29 | 1人で生きていく事
それは、夏の事でした・・・


 7月14日

お盆のお供えにメロンを買ったところに、マスクメロン2玉が届きました。
後で判った事ですが、ある方が、生産農家から買って、自ら配送を手配したとの事で、
すでに「おいしく食べられる日」の表示を2日程過ぎておりました。



もう、考える間もなく、食べました。
(あまりに慌てたので、メロンが3つ並んだ仏壇の写真を撮り忘れました)
1個は事務所に持って行き、お客さんが来る度に出して、その都度私も食べました。
ちなみに「ひとこと」の記録によると、食べ終わったのは7月23日です。


 7月19日

出張から帰ると、ポストに2日前の宅配便の不在票が入っておりました。
電話して持って来てもらうと・・・



クール便ではなく、普通便で届いたのは、ちょっと危険な事になりかけていた、2パックのサクランボでした。
丹誠込めて育てられたであろうそれは、とても甘く、高価であろう事は一目瞭然。
とにかくせっせと食べました。


 7月26日 

みなさんには、黙っていましたが、こんな物もお中元で頂いていました。



Tちゃんがいなかったので、正直なところ困りましたが、顔はにやけておりました。


9月10日

知り合いから美味しいトウモロコシを送ると、電話があったので、
1人では食べきれないからと遠慮すると言ったのですが、届いてみたら15本!!
これにはさすがに言葉を失いました・・・

 

とても甘くて美味しかったですが、T ちゃんも仕事が忙しくてずっと会えない時期だったので、
5本は背負って会社に持って行き、あとは火を通して冷凍庫に入れました。
最後の1本は、蟹を入れるスペースを確保する為に、ポタージュスープにして、やっと先日食べ切りました。


 10月23日

このあたりからは、皆さんの記憶にも新しいかと思いますが、またもや呆然とする程の大漁です。
味のしっかりしたイチジク、あまりの美味しさに食べ過ぎて、胸焼けを起こしました。

 


生で食べきれない分は、何やらにしたり、すいとんにしたりして頂きました。
「何やら」は、まだ冷凍庫に2瓶あります。


さて、そうこうしているうちに、お歳暮の季節がやってきました。


 11月23日 

箱根旅行から帰って来ると、またもやポストに2日前の宅配便の不在票が入っておりました。
あのサクランボと同じ送り主です。どうも留守をめがけて送っているとしか思えない、タイミング。
で、取り寄せてみると・・・



たっぷり1ヶ月分くらいありそうな柿が届きました。
とりあえずベランダに置きましたが、丁度生協で柿を取り寄せており、
柿は足が早いので、何個か会社に持って行き、お裾分けしました。


 12月1日

まだ柿も食べ切れていなかったですが、今度はふじリンゴとラ・フランスの詰め合わせが届きました。
しかも、この時も生協でリンゴを取り寄せた直後の事でした。



リンゴは少しTちゃんに持たせて、ラ・フランスは少しづつ部屋に移して追熟させましたが、
最後は追われるように、食べました。

本当に、今年はよくフルーツを貰うわ・・と、フルーツ無しでは行きていけない私は、
とても喜んでおりました。


 12月9日

さて、この日、たまげたものが届きました。
それが一番上の写真です。。

中身はと言うと・・・

 
大きなスイカとメロン、真冬のスイカはなかなか食べきれなくて大変でした。それから柿とみかん。

 
「キーウィのたまご」という名のミニ・キーウィ(隣のみかんと比較)。 そして紅白のりんご。

 
それから、土佐名物の大きな文旦を3個。これは昨年も頂いたのですが、瑞々しくて、甘くてとても美味しいものです。

これを送って下った方、昨年は大晦日に着くように下さったのですが、
今年はお歳暮シーズンまっただ中だったので、我が家のベランダには、4つの箱が並ぶ事となりました。
もう、朝に昼に晩に、フルーツ食べまくりました。


この方から頂いたら、もう後は無いだろうと、なんとなく安心していたら・・・


 12月12日

うやうやしい包装紙につつまれた、これが届きました。



千疋屋のメロンでございます。
え~!! また、果物~!! と、おののきつつも、その特選メロンに内心ニヤケておりました。
ちなみに食べごろは14~16日頃となっていましたが、先に届いたメロンを食べなければならなかったので、
ずっと冷蔵庫に入れて、やっと一昨日ベランダに移したところです。
これは、明日切ろうと思います。
Tちゃんが帰省する前に、食べさせてあげなきゃね。

しかし、このメロンを下さった方、毎年、銘店の和菓子を下さっていたのに、
どうして今年はメロンにする気になったのでしょう・・・


はぁ~・・・本当に、今年はフルーツの当たり年だわ・・・

それでも、フルーツの神様は、まだ私に微笑み続け、いえ、笑いこけていた事と思います。


 12月16日

朝、出掛けようとしたら、タリラリラリラ~ン♪とチャイムが鳴るのでインターフォンを見ると、
いつもの異常に愛想のいい宅配便のお兄さんが、カメラの向こうで微笑んでいました。

   「××(翠)さん、お届け物で~す♪」

何だろうなと思ったら・・・・



今度は、リンゴとキーウィの詰め合わせでした!!
もう、私も笑っちゃいました。



さて、どうしてこんなに、私にはフルーツばかり届くのか・・・?

これは、あの世の父が、そうし向けているに違いないと、睨んでいます。

父は、お酒がほとんど飲めない人で、毎週必ず、広尾の果物専門店で、
とびっきりのフルーツを、5,000円分位買って来てくれました。

   「お酒を飲む事を考えれば、安いものだよ」

そんな言葉が、今も耳に残っています。

父のお陰で、我が家はみんなフルーツが大好きでした。

そして、実は、これらを送って下さった半分以上は、母の姉妹達(9人兄弟)なんです。
私が1人になって、どうしているかと気にかけてくれて、フルーツ好きの我が一家を思い、
美味しいフルーツを見つけては、送ってくれる、という事なのだと思います。


本当に、本当に、ありがたい事です。


でも・・・このフルーツを分け合って食べる家族もなく、お裾分けする隣人もいない事、
私が、1人でいる事を1番痛感するのは、実はこういう時なんです・・・

   
      親父さん、もうフルーツはたっぷりあるから、大丈夫だよ・・・


こうしてフルーツ大収穫の1年が暮れようとしています。


今年は何気なくブログを始めましたが、沢山の方とお話が出来、楽しい時間をいただきました。
これもまた、大きな大きな収穫でした。

みなさま、どうもありがとうございました!

また、2009年も、このなんだかよくわからないブログにおつきあいいただければ、
とーっても、うれしいです。


   I wish you a very happy new year !! 沢山の感謝をこめて


     全ての人に、全ての事に、感謝して、感謝して、また感謝して・・・  にほんブログ村 その他日記ブログ 40代 日々のできごとへ

羊男の冬の夜

2008-11-20 | 1人で生きていく事
東京の秋も深まって参りました。
あちらこちらから、雪だよりも届き、“ぬくいもの”が恋しい今日この頃。

さて、一人暮らしの生活。
夜はこんな感じで、ソファーに座って、テレビを見たりしております。



そろそろ寒くなって来たので、床暖房を入れました。


すると・・・



暖を求めて、椅子から降り・・・


しかし、座布団よりも、床に直接触れた方があたたかく・・・



自然と身体は床にくっついていきます。


そのうち、枕も登場し・・・



完全に寝転がり、


あげくの果ては・・・



身体ぜんぶを床に密着!

こういう変な生き物、どこかにいたような・・・!?


そして、こんな事でもしようものなら・・・



討ち死にです・・・ 


床暖房、ありがたいやら、おそろしいやら、一歩もここから出たくなくなります。

こうして、一人暮らしの冬の夜は更けていくのでした~・・・


えー、今回の写真の、モデルを勤めてくれたのは、抱き枕「ひつじのメルくん」です。

昨年の秋、病気になったり、事故の後遺症がでたり、心身共に参っていた時、
家族も失い、アレルギーで犬とさえ暮らせないと嘆いていたら、
親友のMちゃんが、昨年のクリスマスにプレゼントしてくれました。

これまで、アレルギーの為、ぬいぐるみを置かないようにしてきましたが、
あまりの肌触りの良さと可愛さに負けて、我が家のリビングルームに住まわせる事にしました。

何より、このメルくん、こんな事ができるのです。



自ら洗って、自ら脱水・・・
けなげ過ぎます・・・

これで、アレルギーの心配もありません!


ちなみに、夏はこんな感じです。



目線の先がテレビで、Tちゃんが来ているときは、先に寝転がったもの勝ちの“特等席”、いえ、“特等寝台”です。


     気持ちよく眠れるシアワセ、この世で一番のシアワセ  にほんブログ村 その他日記ブログ 40代 日々のできごとへ
    

 ぐうすか 

離婚年齢・再婚年齢

2008-10-09 | 1人で生きていく事
                    今回の写真は、かつて私が住んでいた部屋の前の、金木犀と芙蓉です



20代の終わり、丁度、こんな金木犀の香る頃、
私は離婚して、生まれて初めて、1人暮らしを始めました。

寂しいとかより、すっきりした清々しい気持ちの方が、圧倒的に大きくて、
窓外の、金木犀のあまい香りを、すぅーっと吸い込んだのをよく覚えています。

1階にあった、南向きのその部屋は、小さな庭に面しており、
木々に埋もれるような感じが気に入って、狭いながらも10年以上住んでいました。


           


思えば、何の覚悟もなかった自分が結婚したのが、問題だったと、今は思います。
誰かと添い遂げるという覚悟も、両家とのつながりができて嫁になるという覚悟も・・・

元夫が、元彼に、私と寝たと嘘をつき、それが原因で元彼が離れて行った事を、
結婚してから知らされて、そこから溝が広がって行きました。

お酒を飲むと人格が変わる元夫が、どこかで迷惑をかけていないかと、
毎晩、びくびく、きりきりしながら、電話が鳴るのに怯えていました。

寝る間もない程、自分の仕事が忙しい時は、もうそれだけでヘトヘト。

そして、そんな元夫をみると、もし子供が出来たら、
今度はその子と2人で、酔った元夫を待つだけの生活になるのかと思うと、
恐ろしくて、どうしても子供を欲しいと、思えませんでした。

私がお酒好きだったら、元夫の気持ちを、もっと理解してあげられるのかも、とも思いました。

でも、お酒に支配され、目が座って、暴言を吐くその人が、自分の夫とだと思うと、
嫌悪感がこみあげて、どうしようもありませんでした。





そんな時に、仕事で出会ったある人を、好きになりました。
妻子のある方でしたので、どうにもなりませんでしたが、
ふと、その人の子供が欲しいなんて、思ってしまったんですよね。


  ・・・あぁ、私の中に、子供が欲しいと思う気持ちがあるんだ・・・


自分の中に眠っていた感情に気付いた時、
結婚って、そういう相手とするべきものだと思い、
この結婚は、間違っていたのだと、確信しました。



    で、数年間の結婚生活、THE END ・・・



でも、元夫へは、恨み事より、私が深く考えずポンと結婚してしまった事を、
申し訳なかったと思うばかりです。
お酒さえ飲まなければ、いい人でしたので。

それから、元夫のご両親が大好きだったので、離婚の時の唯一の辛さは、
元夫の、おとうさん、おかあさんと、もう会えないという事でした。





再独身になり、もう十数年。

少しの恋、いくつかの別れ。
出資していた会社の危機、仕事の独立、病気や事故、親を看取ったり、その後の相続大騒動、
正直な所、再婚どころではない事が次々と起こり、出産の期も逃しました。

こんなに長く再婚せずにいると、離婚した時は、まったく思っていませんでした。
離婚した事は、まったく後悔していませんけれど・・・


           


さて、40歳を過ぎた頃から、同級生達が、バタバタと離婚や別居に走りました。
同級生が20人程集まって、まともに結婚しているのは、4人だけ。
あとは、離婚、別居中、バツイチ、不倫中・・・・やれやれ・・・

離婚や別居の理由は、それぞれ。
配偶者の浮気が一番多く、やたらな拘束、金銭のルーズさ、等々。

そこに我慢していた妻達が、子供の手が離れ、社会復帰した時に、まわりの男性を見、
経済的自立に目覚め、三行半・・・というパターンは、ほぼ共通しています。

子供がもう少し大きくなる迄はと、籍だけそのままにして、別居というケースも多いです。

一番の被害者は子供だと思いますが、親の夫婦喧嘩を見て、
早く離婚すればいいのにと、小学生の頃から親に勧めていた私としては、
不仲の親が一緒に居続けるのが、本当に正解か、とも思わないでもありません。

夫婦の事は、その2人にしか判らないと、基本的には思いますけど、
なーんとなく透けて見えるような、夫婦関係の壊れる理由。


           


離婚したある友人に聞きました。

    「誰かいい人いるんでしょ? 再婚しないの?」

    「うん。
     もう少ししたら、子供が恋をする年になるから、
     そうしたら親の恋愛も理解できると思うので、彼を紹介しようと思って」

なるほど~・・・・

離婚した女性達が、皆、喜々として見えるのも、共通している事かも知れません。



40~45歳が離婚年齢だとすれば、45歳~55歳あたりが再婚年齢 !?

・・・まぁ、いくつでも、可能だと思いますが、流行りそうな時期として。


友人達は私に、再婚して、ハワイで結婚式をしろ、と言います。
みんなで必ず行くから、と・・・・

家族抜きで、羽を伸ばせる海外旅行なんて、そんな事でもなきゃ行けないから、だって!!
あたしゃ、ダシかい! まったくもう。。。


とりあえず、パートナーはいますけど、結婚の予定はありません。
なんでだろね。不倫でもなんでもないんだけど・・・

はっきり言える事は、孫を抱く事を楽しみにしているであろう、彼のご両親の事を思うと、
私からは絶対に、何も言い出せないって事・・・・

Tちゃんの弟さん、早く誰かと結婚してくれないかなー・・・



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