少し前に、独り身の叔母が緊急入院をしました。
生死をさまよい、なんとか生還し落ち着いたのですが、
我が身にもありえるかも知れないこの状況。
もし自分が危篤になったら、もし自分が亡くなったら、
私の日常を知らない親戚達が右往左往するのは、目に見えるようです。
今回の事で、専業主婦の伯母(姉)と叔母(妹)の2人が、情報を確認せずに、
聞きかじりの知識で行動するところを見たら、本気で「これは大変だ!」と青くなった次第です。
私は、離婚して1人暮らしを始めてから、「もしも」の時の為に、
連絡して欲しい人のリストを、いつも手帳に入れて持ち歩いています。
名前・電話番号・FAX番号・メールアドレス・どんな関係の人か・特に優先して連絡して欲しい人、
それらをExcelで表にして、縮小版にしたものです。
案外、交遊関係というのは、親子でも、夫婦でも、わかっていない場合が多いのではないでしょうか。
そうなると、たとえば弔問に来てくれた人でも、残された家族や親戚が優遇(?)するのは、
彼等が知っている人、と言うようになるのは、周辺の例を見ると、どうも多い気がします。
正直、それは嫌です!
遠い親戚より、近くの他人。
私の心情をよく知り、何かにつけて助けてもらっている友人達にこそ、ゆっくりお別れをして欲しいものです。
同居している家族がいるならともかく、核家族化が進んだ今、密な付き合いをしているのは、
親族ではない場合の方が多い筈です。
かつて母や父に、亡くなった場合に連絡して欲しい人の連絡先を教えてもらっていました。
母が亡くなって、実際に連絡を始めると、仕事関係の付き合いが膨大で、
年配の方は話しが長く、1日中電話をしまくりましたが、結局、連絡しきれずに葬儀になってしまいました。
今、私の持っているリストも、小学校の頃の緊急連絡網のように、
誰かに連絡したら、その知り合いには、その方から連絡がまわるような形式に、
作り直そうと思っています。
命に別状が無くても、入院したら連絡して欲しい友人、
危篤の時に連絡して欲しい友人、
亡くなったら葬儀の連絡をして欲しい友人・知人・仕事関係。
それぞれに分ける必要もあると思いました。
他にも、延命をどうするか、臓器提供をどうするか、
葬儀に関する希望、資産の処分について記した遺言書のありか、等々。
そして、そのリストがある事を、なるべく多くの人に知らせておかなければ、
用を成しません。
家族はいませんので、従姉妹や伯母、友人達に常々言っておかなければ、
必要な時に機能しないのと、誰か1人が突っ走ってしまう事を避ける為にも、
なるべく沢山の人に伝えておくべきだと思いました。
意外かと思われるかも知れませんが「私が一番よくわかっている」と言い出す人が、
結構何人も出るものなのです。
今回、おひとり様として生きて来た叔母についても、今、これが一番問題になっています。
私が1番よくわかっていると言う伯母(姉)、万事を託されていると言う近所の友人の方、
ついでに言えば、私もあれこれ聞かされている事があるのですが、
伯母(姉)の言う事と違っていたりで、心中、複雑なものがあります。
こんな時に、本人が書いたものが、一筆あれば・・・
結局、叔母は一命を取り留め、話を聞いてみると、
近所の方に色々と託しているのが正解だったのですが、
この方も、姉妹の主張を差し置いて、叔母の思いを守りきれるとも思えません。
余命宣告をされたような状態では、まわりから本人には聞きにくいものです。
自ら言う、夫婦間・親子間で聞く時は、なるべく元気なうちに話しをしておくのが一番です。
家族がいても、いなくても、若くても、若くなくても、
緊急連絡網、もしもの時にこうして欲しい事を書き綴ったもの、
作っておくに越した事はないと思うのです。
自分の最期は、セルフ・プロデュースで逝きたいの
生死をさまよい、なんとか生還し落ち着いたのですが、
我が身にもありえるかも知れないこの状況。
もし自分が危篤になったら、もし自分が亡くなったら、
私の日常を知らない親戚達が右往左往するのは、目に見えるようです。
今回の事で、専業主婦の伯母(姉)と叔母(妹)の2人が、情報を確認せずに、
聞きかじりの知識で行動するところを見たら、本気で「これは大変だ!」と青くなった次第です。
私は、離婚して1人暮らしを始めてから、「もしも」の時の為に、
連絡して欲しい人のリストを、いつも手帳に入れて持ち歩いています。
名前・電話番号・FAX番号・メールアドレス・どんな関係の人か・特に優先して連絡して欲しい人、
それらをExcelで表にして、縮小版にしたものです。
案外、交遊関係というのは、親子でも、夫婦でも、わかっていない場合が多いのではないでしょうか。
そうなると、たとえば弔問に来てくれた人でも、残された家族や親戚が優遇(?)するのは、
彼等が知っている人、と言うようになるのは、周辺の例を見ると、どうも多い気がします。
正直、それは嫌です!
遠い親戚より、近くの他人。
私の心情をよく知り、何かにつけて助けてもらっている友人達にこそ、ゆっくりお別れをして欲しいものです。
同居している家族がいるならともかく、核家族化が進んだ今、密な付き合いをしているのは、
親族ではない場合の方が多い筈です。
かつて母や父に、亡くなった場合に連絡して欲しい人の連絡先を教えてもらっていました。
母が亡くなって、実際に連絡を始めると、仕事関係の付き合いが膨大で、
年配の方は話しが長く、1日中電話をしまくりましたが、結局、連絡しきれずに葬儀になってしまいました。
今、私の持っているリストも、小学校の頃の緊急連絡網のように、
誰かに連絡したら、その知り合いには、その方から連絡がまわるような形式に、
作り直そうと思っています。
命に別状が無くても、入院したら連絡して欲しい友人、
危篤の時に連絡して欲しい友人、
亡くなったら葬儀の連絡をして欲しい友人・知人・仕事関係。
それぞれに分ける必要もあると思いました。
他にも、延命をどうするか、臓器提供をどうするか、
葬儀に関する希望、資産の処分について記した遺言書のありか、等々。
そして、そのリストがある事を、なるべく多くの人に知らせておかなければ、
用を成しません。
家族はいませんので、従姉妹や伯母、友人達に常々言っておかなければ、
必要な時に機能しないのと、誰か1人が突っ走ってしまう事を避ける為にも、
なるべく沢山の人に伝えておくべきだと思いました。
意外かと思われるかも知れませんが「私が一番よくわかっている」と言い出す人が、
結構何人も出るものなのです。
今回、おひとり様として生きて来た叔母についても、今、これが一番問題になっています。
私が1番よくわかっていると言う伯母(姉)、万事を託されていると言う近所の友人の方、
ついでに言えば、私もあれこれ聞かされている事があるのですが、
伯母(姉)の言う事と違っていたりで、心中、複雑なものがあります。
こんな時に、本人が書いたものが、一筆あれば・・・
結局、叔母は一命を取り留め、話を聞いてみると、
近所の方に色々と託しているのが正解だったのですが、
この方も、姉妹の主張を差し置いて、叔母の思いを守りきれるとも思えません。
余命宣告をされたような状態では、まわりから本人には聞きにくいものです。
自ら言う、夫婦間・親子間で聞く時は、なるべく元気なうちに話しをしておくのが一番です。
家族がいても、いなくても、若くても、若くなくても、
緊急連絡網、もしもの時にこうして欲しい事を書き綴ったもの、
作っておくに越した事はないと思うのです。
自分の最期は、セルフ・プロデュースで逝きたいの