AI日本株式オープン(絶対収益追求型)は、AI(人工知能)が資産運用をしてくれるという事なのですが、
その一方で、運用における『人間の役割』についても、一定程度認めているようです。
ただ、その説明は、記事によって違いがありました。
「投資判断はAIが行う一方で、注文の執行は人間が行う」という事なのですが、
投資判断にヒューマン・ジャッジが介在するかどうかという点で、全く逆の2パターンの解説がありました。
投資判断に「人間の判断は含まれない」と説明しているパターン
- MUFG Innovation Hub『三菱UFJ信託銀行が運用する、人工知能を活用した投資信託とは[2017.2.24]』
- 実際の売買は、AIが大量のデータから得た知見に基づき算出する取引情報を人間の目でチェックし、実施する。
アルゴリズム取引のように、システムやプログラムに取引を任せきりにするのではなく、AIには最も得意とするデータ解析の部分を担当させたということだ。 - Yahoo!ニュース『「AIファンド」は、人間のトレーダーを駆逐するのか[2017.09.07]』
- 「朝、出社してくると、今日売買すべき銘柄と株数がパソコンに表示されている。いま『日本AI』の運用担当者の仕事はAIが出してきた売買の指示を確認し実行すること。AIの判断に基づくAIが主役の運用です」
三菱UFJ信託銀行資産運用部の岡本訓幸チーフファンドマネージャーはそう笑う。 - Yahoo!マーケティングソリューション『資産運用はAIと人間の共存が不可欠~三菱UFJ信託銀行の挑戦[後編][2017.10.11]』
- 「まず、現時点においてAIが行っているのは、どの銘柄をどれだけ買うべきか、先物をどれだけヘッジすべきかを、提示するところまでです。実際の売買等は、人間がやっています。思わぬエラーやミスを回避するためにも全自動ではありません。ただ、AIが出した判断に、人間の判断を加えることはしていません」(岡本氏)
岡本氏によれば、AIが出した判断に人間の判断を加えないことが、AI運用で成果を出すためのポイントだという。
人間では目を通しきれない膨大な量のデータから導き出した結果なので、仮に人間が見て首をかしげるような内容だったとしても、信じるべきというわけだ。そもそも、人間とは異なる運用判断ができるからこそ、ファンドとしての存在意義があるし、人間が運用するファンドに対するリスクヘッジにもなる。
投資判断に「人間の判断は含まれる」と説明しているパターン
- 日経コンピュータ『ディープラーニングで資産運用、三菱UFJ信託が新たな金融商品[2017.02.06]』
- 三菱UFJ信託銀行では、2016年3月から2017年1月までの10カ月間にわたって、深層学習を使った投資ファンドを試験運用してきた。
検証の結果、人間の判断に深層学習を使った判定を加えることで、人間よりも投資成績が良い結果が得られた。
投資ファンドでは、深層学習が判定した結果を、人間の運営担当者にアラートで通知。染谷次長は「最終的な判断は人間の担当者に委ねている。AIの予測モデルに完全に任せるわけではない」と説明する。2008年のリーマン・ショックなど、「予測しやすい傾向を大きく外れた」(染谷次長)大きな変動を予測するのはAIを使っても難しい。 -
日本経済新聞『AI開発にも倫理を、実現するか「人道知能」[2017.3.31]』
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売買する銘柄やタイミングを助言しているのは三菱UFJ信託銀行だ。運用20年を超すベテラン、岡本訓幸チーフファンドマネージャーがAIと二人三脚でアドバイスする。ただ、重要なことは、AIがすべて決めているわけではない点だ。代田氏(※ 三菱UFJ国際投信 代田秀雄取締役)は「相場の大きな変わり目をみるのは人間の役割」と強調している。大局の判断が人間に残された仕事だという。
いずれの記事も、AI日本株式オープン(絶対収益追求型)が設定された以降のものです。
実際の運用はどのように行われているのでしょうか?
販売資料などには、「AIとヒトの役割分担」についての説明がないため、はっきりとはわかりませんが、
このように、ファンド・コンセプトの重要な部分について、対外的な説明でまったく逆の説明がなされている点は、問題ではないかと思います。
なお、目論見書の冒頭には、次にように書かれてありました:
❝今回ご用意したファンドは、人とAIが協力し、ポートフォリオを決定する絶対収益追求型の投資信託です。❞
出所:https://www.am.mufg.jp/pdf/koumokuromi/252629/252629_20170201.pdf
このように説明がぶれてしまうのは、「AIを活用した運用」というコンセプトが、しっかりと確立できていないせいではないか、
とすら思えてしまいます。
(その場、その場で、都合のいいことを言っているだけではないか、と言われても仕方ないようにも思えてしまいます)