江戸時代前期の歌人である松永貞徳は、芭蕉よりも数十年早く、古典を基礎に俳諧の流派を確立したが、知識偏重・言語遊戯を専らとする作風は、やがてマンネリズムを招き、対抗する談林派に覇権を奪われたと解説されています。(^_^)
言葉遊びとも揶揄される貞門の作風には、次のような句があります。
「いつかいつかいつかと待ちしけふの月」
「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」
確かに、駄洒落が潜んでいるような、、、(≧∇≦)
一方、松尾芭蕉が開いた「蕉門」は、貞門俳諧、談林俳諧と続く史的な流れの中で、言い捨ての俳諧から、不易流行の詩美へと転換し、それを追求したことが特徴です。(^_^)
蕉風の成立において、重要な位置を占めるものが「心象風景」と「軽み」だと言われ、前者は「古池や蛙飛び込む水の音」、後者は「秋深き隣は何をする人ぞ」の句に、よく表れている、とされます。( ^_^)/~~~
この蕉門の流れを組む近代の俳人に、与謝蕪村、正岡子規、高浜虚子などがいるとのことで、いずれにせよ、現代においても、季語の要否に始まり、先の貞門と蕉門の論争は続いているようです。(^。^)
と、まぁ、そんな知識を得たところで、日々楽しむ俳句づくりには、何の影響もありませんが、せっかくですから、試みに、貞門の機知に富んだ言葉遊びと蕉門の不易流行を「和え物」にしながら、未だ見ぬ「牡丹焚」(ぼたんだき)を飾り付けた一句を詠んでみましょう。(^。^)
ちなみに、「牡丹焚」とは初冬の季語で、福島県の須賀川市では、毎年十一月第三土曜日の薄暮から宵にかけて須賀川牡丹園で「牡丹焚火の俳句会」が行われ、天寿を全うした牡丹の古木を焚いて供養されるそうです。(^-^)
やがて、焚き火の芳香が辺り一面に漂い、炎は次第に青紫色に変わるとのこと、、、そんな火を囲んでの俳句会とは、何とも幽玄な雰囲気ですね。( ^_^)/~~~
「軒(ノ木)に陽(火)の暮れゆく秋や牡丹焚」 祖谷馬関