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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

「猿を聞人捨子に秋の風いかに」 芭蕉

図巻発見により「野ざらし紀行」の株が急上昇中、、、かな?(^。^)

気を取り直して、真摯に「野ざらし紀行」と向き合いたいと思います。m(__)m

というわけで、「野ざらし紀行」より、本日の一句。

猿を聞人きくひと捨子に秋の風いかに」 芭蕉

ん?、、、猿を聞人、って何???

 さっそくネットで調べますと、、、

「富士川のほとりを行くに、三つばかりなる捨子の哀れげに泣くあり。この川の早瀬にかけて、うき世の波をしのぐにたへず、露ばかりの命待つ間と捨て置きけむ。小萩がもとの秋の風、今宵や散るらん、あすやしはれんと、袂(たもと)より食ひ物投げて通るに、、、」

旅に出た芭蕉が箱根の関所を越えて富士川のほとりまで来たところ、川原で二、三歳の捨て子がいかにも哀れ気な声で泣いています。

旅人の芭蕉は捨て子を拾いあげて行くわけにはいかず、食べ物を投げて通り過ぎた、とあります。

当時の農村は、耕地面積の不足から、人口のふえることは極端に押えられていました。従って妊娠中絶も多く、捨て子も多かった、とのこと。

 「猿を聞人」というのは、古来猿の鳴き声を聞くと断腸の思いがすると詩文に詠まれているからで、そんなことを詩文に詠んでいる詩人たちよと、自分を含めて詩人たちに呼びかけたのです。

 猿の鳴き声を悲しいと聞くのは、いわば虚事です。そんな虚事よりも、この眼前の捨て子に吹く秋風の現実の悲しみを、君たち詩人はどう受けとるかという問いを出したものです。

へぇ〜〜〜、知らなんだ。( ; _ ; )/~~~

まず、「猿を聞人」の意味が分からないと、この句の趣意が全く理解できません!!(◎_◎;)

その上で、「捨子」との対比の本意を理解できるか否か、、、深い作品ですね、、、まいった!m(__)m

高度な技巧を繰り出す芭蕉翁に、白旗、降参、そして、敬服の一句。(^_^)

 「薔薇の棘指の痛みや誰に問ふ」 祖谷馬関
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