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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

中国の春節と干支の話

中国🇨🇳のお正月「春節」を迎え、チャイニーズたちの大移動が始まりました。(^。^)

ゼロコロナ政策取り止めの反動で中国内の感染者数が爆発的に増加しているのに、20億人近くの移動が見込まれているそうです。!(◎_◎;)

一方で、「爆買い」と揶揄されたチャイニーズたち贅沢さは影を潜め、今は「節約」の流れが顕著だそうです。( ; _ ; )/~~~

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春節の映像に干支の「うさぎ」が紹介されており、調べてみると、予想どおり、我が国の十二支は、古代中国から伝わったようです。(^-^)

以下、ネットからの引用です。

十二支は中国の殷の時代(紀元前1700年頃~紀元前1046年)の甲骨文字から生まれ、十二支は日付を記録する暦として使われていました。 
1年を12ヶ月で区切るために考え出されたというこの暦の中で、植物の営みを意味する12の文字を1か月ごとに割り当てたことが十二支の始まりと考えられています。

近年、干支といえば、とら、うさぎなど十二支と同じ意味で使われることが多いですが、実際には少し異なります。 
干支(えと)は十干と十二支を合わせたもので、「十干十二支」を略した言葉です。 
中国の上古に始る暦法上の用語で、年,月を始めとして、時間、方位、ことがらの順序などに用いられます。

十干(じっかん)は「甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)」となり、もともと甲、乙、丙、丁…と、日を順に10日のまとまりで数えるための呼び名でした。

つまり、十干と十二支の組み合わせて、「干支」となります。十干の最初の「甲」と十二支の最初の「子」の組み合わせ「甲子(きのえね)」から始まり、「乙丑」「丙寅」「辛卯」・・・と続き、「癸亥(みずのとい)」まで60種類ありますので、六十干支とも呼びます。

今では年のことでしか干支を使わない人が多くなりましたが、暦を大切にしていたころは、干支は暮くらしになくてはならないものでした。例え、お昼の12時を表す「正午(しょうご)」、契約書などでよく見る「甲」と「乙」、野球でおなじみの甲子園球場の「子」、毎年節分が近づくと話題に上る「恵方」が干支から来ています。

中国の十二支は、韓国、日本、ベトナム、シンガポール、タイ、ミャンマーなど、他のいくつかのアジア諸国に大きな影響を与えています。
いくつかの国では、十二支の動物が同じですが、ちがう動物も存在します。

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「其方もか睨む達磨と雪兎」 祖谷馬関

(注)雪兎は晩冬の季語。盆に雪の塊をのせ、目は南天の実の赤を、耳には南天や笹の葉をつけ兎の形にする。雪達磨とともに子供のころの郷愁を誘う。

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