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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

原爆忌、鎮魂の設計思想。m(_ _)m

八月六日、忘れ得ぬ「広島原爆忌」です。

当日8時15分、米軍の爆撃機エノラゲイから投下された原子爆弾「リトルボーイ」は、広島上空で炸裂し、当時の広島市民の半数に及ぶ17万人の命を奪いました。(≧∇≦)

この原爆による悲惨な結末を語り継ぎ、世界の恒久平和を願うため、昭和30年、広島市中心部の爆心地付近に「広島平和記念公園」が建設されました。(^-^)

当時、この平和記念公園の建築設計を率いたのが、世界的な建築家「丹下健三」氏でした。
丹下氏は、公園敷地に東西軸と南北軸を設けて、東西軸には原爆資料館などを配し、南北軸は、中央の献花台から北へ原爆ドームを貫くビスタ(視野)を創りました。

その結果、毎年の原爆忌において、花を手向けた際、人々は、眼前に原爆ドームの全容を見ることになりました。(^-^)

建築による鎮魂と言っても過言ではない、素晴らしい設計思想だと思います。
今年もまた、真夏の日差しの中で、ドームの威容が戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えてゆくのでしょう。( ^_^)/~~~

原爆忌に世界の平和を祈る一句。

「献花台貫くドームや原爆忌」  祖谷馬関

コメント一覧

iyabakan2020
yakko様
コメントありがとうございます。
戦後の広島にお住まいだったのですね。痛々しい事実を目の当たりにされて、毎夏の原爆忌がお辛いことと存じます。m(_ _)m
我々、戦争を知らない子供たちにも、経験こそしていないものの、敗戦国の民として、戦争の事実を語り継ぐ義務があると思います。( ; _ ; )/
「二度と過ちは繰り返しませぬ」、、、広島に刻まれた尊いメッセージは、全世界に染み渡るべきだと思います。(^_^)
washiy8
広島には高校1年生から2年生2学期まで住んでいました。
60年以上も昔の話です。

父親の転勤で全国を廻りました。
広島の悲惨な原爆跡は、街を歩く人の中にも見られました。
顔も洋服から出ている体もケロイド状で見るも痛々しいものでした。

原爆なんて悪魔が作ったものが、戦争終結のためとの名のもとに、日本の広島・長崎に落とされたのです。

沢山の人が苦しみもがきながら死にました。
戦争反対を唱えて平和な国にする私達には使命がありますね。

若くて優秀な貴方のような方が率先して平和のための運動をしてくださいね。
よろしくお願いいたします。
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