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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

福井県三国の俳人・森田愛子氏

新聞日曜版の特集記事で「森田愛子」なる俳人の存在を知りました。(^。^)

1917年、大正6年、福井県三国市の豪商・森田家に生まれた愛子は、何不自由なく育つが、二十歳の頃に肺結核に罹り、鎌倉に転地療養したそうです。(^-^)

その鎌倉で、高浜虚子の門下である伊藤柏翠と出会い、俳句を奨められたことから、愛子もまた虚子に師事することになりました。(^_^)

後に、三国を訪れた高浜虚子は、愛子とその母と再会。山中温泉の旅館「よしのや」での宴席で、愛子母娘が歌い踊るのを見て涙があふれた虚子は、箸袋に「不思議やな汝が踊れば我等泣く 虚子」と句を書いたそうです。m(._.)m

山中温泉から虚子を敦賀まで見送る途中に、虹が立つのを見たことが、写生小説「虹物語」の発端となり、そのヒロインは愛子だとされています。( ; _ ; )/~~~

これに因んで、森田愛子は、その若すぎる晩年に、このような句を残したそうです。( ; _ ; )/~~~

「ニジキエテ スデニナケレド アルゴトシ」 森田愛子

普通に書くと、「虹消えてすでに無けれど有る如し」なのですが、カタカナで詠まれていることで、何とも言い難い悲哀が募りますね。

29歳の若さで逝った愛子の墓は、寿福寺(鎌倉)、月窓寺(三国)、性海寺(三国。森田家の菩提寺)、高野山奥の院の4カ所にあるそうです。m(__)m

なかでも、鎌倉の寿福寺では「森田愛子の墓」という文字は、高浜虚子が書き、墓標は高浜虚子の墓の方へ向けて建てられているそうです。(^。^)

愛子の命日である4月1日には、月窓寺などにて愛子忌が営まれるとのこと。(^-^)

俳句を嗜む馬関としても、森田愛子さん所縁の土地、福井県三国を訪ねてみたくなりました。(^_^)

「憧れし人も儚き春の虹」 祖谷馬関

(注)春の虹は初虹とも言う。虹だけだと夏の季語だが、初虹となると春初めて立つ虹のこと。七十二候の清明のころに「虹初めてあらわる」の一候があり、それと対応する。太陽の光が弱いころの虹であり、淡くはかない感じがある。
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