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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

高浜虚子命名の銘酒「小鼓」、丹波にあり。🍶

明治から大正、昭和にわたり、俳壇や文壇で活躍し、文化勲章受章者でもある「高浜虚子」、、、愛媛県松山に生まれ、松山東高校で、後の俳人「河東碧梧桐」と同級となり、三高、今の京都大学に進学しました。
碧梧桐と共に先輩格の正岡子規に兄事し、俳句を始めたそうです。(^。^)

学生時代を通じて、虚子と碧梧桐は大変仲が良かったのですが、正岡子規が早逝した後、虚子は俳句を辞め小説の道へ、碧梧桐は五七五に囚われない新傾向俳句を唱えました。(^_^)

虚子は大正2年に俳壇復帰。その理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであり、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、「花鳥諷詠」「客観写生」を旨とすることを主張、「守旧派」として碧梧桐と激しく対立しました。(≧∇≦)

若き頃、虚子は、碧梧桐の入院中に彼の婚約者である糸子を奪って結婚した、とありますから、俳風をめぐる論争以外でも、深い溝があったのでしょうね。m(._.)m

反面、碧梧桐が亡くなった翌年の昭和12年、虚子は、かつての親友であり激論を交わしたライバル、碧梧桐の死を悼む句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」を詠んでいます。(^-^)

虚子は、俳壇に復帰したのち、同人誌『ホトトギス』は大きく勢力を伸ばし、虚子は俳壇に君臨する存在であった、と言われています。(^_^)

この『ホトトギス』からは飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男、川端茅舎、松本たかしらが輩出されています。(^_^)

ここで、虚子の名句をご紹介。

遠山に日の当たりたる枯野かな
去年今年貫く棒の如きもの
流れ行く大根の葉の早さかな

うーん、はっきり申し上げて、「花鳥諷詠」というには物足りないし、「客観写生」と言えば、そんなものかな?、と感じるくらいで、あまり感激するところもない句ですね。(≧∇≦)

という中で、新聞紙上で、この高浜虚子が、丹波の造り酒屋の銘酒に、自ら「小鼓」と名付けた記事を拝見しました。(^.^)

ご当地の西山酒造は、ユニークな通信販売やSNSによる情報発信で健在。(^_^)

馬関としては、未だ味わえぬ銘酒「小鼓」を夢に、虚子の想いを辿りたいばかりの一句。

「小鼓や虚子想ふ酒冬間近」  祖谷馬関

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