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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

秋の季語「燕帰る」🐧

「病棟」や「入院」という言葉の響きは、それだけで「淋しさ」や「孤独」、病状によっては「絶望」を連想させますね。( ; _ ; )/~~~

実際には、回復に向かえば「希望」が見えてくるのでしょうが、必ずしもそうではない、哀しい運命があるのも、また現実です。(T . T)

とりわけ、患者が小さな子供の場合、その哀しみは言葉で言い表せないものとなります。m(__)m

病棟から健康を希求する人々の思いは、どん底から這い上がろうとするひたむきさと、時に諦めにも似た達観が同居しているのだと思います。( ; _ ; )/~~~

「第三病棟」 さだまさし

僕の病室 君のそろえた
青い水差しと 白いカーテン
子供の声に 目覚めれば 陽射し
坊やが窓越しに 笑顔でおはよう
あの子の部屋は 僕の真向い
お見舞の 苺が見える
やがて注射はいやだと泣き声
いずこも同じと 君が笑う

遊び盛りの 歳頃なのにね
あんなに可愛い 坊やなのにね
カルテ抱えた 君は一寸ふくれて
不公平だわとつぶやいた
紙飛行機のメッセージ
坊やから届いたよ
夏が過ぎれば 元気になるから
そしたら二人で キャッチボールしよう

返事をのせた 飛行機を折って
とばそうと見たら からっぽの部屋
少し遅めの 矢車草が
狭い花壇で 揺れるばかり
受けとる人の 誰もいない
手を離れた 飛行機
君と見送る 梅雨明けの空へ
坊やのもとへと 舞いあがる

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

人は、我が身が病棟にあって、初めて生命や人生に直面するのでしょう。そして、それは、すなわち、孤独との闘いでもあるのです。(^-^)

「病棟の燕帰りて独りぼち」 祖谷馬関

(注)「燕帰る」は仲秋の季語。春に渡って来た燕は秋に南方へ帰ってゆく。夏の間に雛をかえし、九月頃群れをなして帰ってゆくと、淋しさが残る。

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