京都シリーズ、ちょいマニアックなお寺のご紹介。(^。^)
寺町通、鴨川デルタから加茂川沿いに北西へ、阿弥陀寺の隣にある「十念寺」と言うお寺です。(^-^)
以下、ネットより引用。m(__)m
門の向こうに鳳凰を頂く異様なデザインの本堂が建っており、建築家である大阪の一心寺の住職の設計によるものといわれる。(写真参照)
西山浄土宗のお寺で、六代将軍足利義教の帰依により誓願寺の一坊として1431年に開創されており、寺内には「足利義教」の墓や、織田信長他数々の武将の診療もした医者として活躍した「曲直瀬道三」(まなせどうさん)の墓所ともなっている。
へー、くじ引き将軍と言われた、室町幕府六代将軍「足利義教」公の墓所とは、ビッグネームですね!!(◎_◎;)
足利義教は、三代将軍足利義満の子ですが、長男の義持が将軍職を継いだことから、義教は出家し青蓮院の門跡・義円となりました。(天台宗座主、大僧正も務めた)
ところが、足利義持の子、五代将軍・義量が若くして亡くなり、六代将軍を決める際、石清水八幡宮で「くじ引き」を行うこととなり、義教が選ばれたのでした。
義教は幕府権力再建に尽力しましたが、猜疑心が強く些細な理由で処罰や殺害された武家や公家が相次いだことから人々から「万人恐怖」と呼ばれ恐れられた、とのこと。
1441年、「嘉吉の乱」で、功臣だった赤松満祐に暗殺されましたが、十念寺が、その義教公の墓所とは、知らなんだ。( ; _ ; )/~~~
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
さて、「奥の細道」より、今日の一句。
「雲の峰幾つ崩て月の山」 芭蕉
月の山とは「月山」なのでしょうね。(^。^)
前句で、羽黒山が出て、その際、月山、湯殿山と、三山巡りをする、とありましたから。(^-^)
さっそくネットで調べてみましょう。(^_^)
(解説)
芭蕉は、旧暦6月6日に、月山(がっさん)に登頂しました。
この句は頂上での景色を詠んだのではなく、月山を真正面から見たときに詠まれた句です。
この句は頂上での景色を詠んだのではなく、月山を真正面から見たときに詠まれた句です。
月山は山形県の庄内地方にある出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の一つです。
芭蕉がおくのほそ道の旅の中で登った山の中で一番高い山と言われています。
この句の「いくつ崩れて」の部分で、時間の長さ、雲が変化する様子、最後の「月の山」で月山は不動のものという存在感が表されています。
この句の中で、変化する雲が「動」、変わらない月山が「静」で、動と静が両立した作品となっています。
芭蕉がおくのほそ道の旅の中で登った山の中で一番高い山と言われています。
この句の「いくつ崩れて」の部分で、時間の長さ、雲が変化する様子、最後の「月の山」で月山は不動のものという存在感が表されています。
この句の中で、変化する雲が「動」、変わらない月山が「静」で、動と静が両立した作品となっています。
(句意)
入道雲がいくつもいくつも沸き上がってはその姿を崩して行く。そういう千変万化する世界の中で月山がすっくと不動の姿で屹立している。
芭蕉一行は、月山の全景の見える位置に立って、入道雲と残雪をいただく月山を視界に入れているのであろう。
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にゃるほど!🐈⬛
雲と月山、動と静の対比ですか!、こりゃ素晴らしい!(◎_◎;)
文学的技巧が冴え渡りますね!(^_^)
では、馬関より、返句献上申し上げます。
「風誘ひ気儘なるかな赤蜻蛉」 祖谷馬関
(注)秋茜とも呼ばれる赤蜻蛉、風に乗って自由に宙を飛んでいますね。けど、気儘に見せて、こちらの様子をじっくり伺っているのでは?、と勘ぐりたくもなります。(^。^)